kaleidoscope

自閉症スペクトラム障害、ADHD、うつ病を抱える如月の万華鏡のような頭の中を、書き連ねていきます。わわわアールブリュット作家。

才能とは

才能の有無の基準って?

 

発達障害に関する話題を見ていると、ちょくちょく「才能」に関する話が出てきます。

「才能がある人はいいよな」

「自分には才能なんてない」

「子供の才能を見つけて伸ばさなきゃ!」

「うちの子には才能なんてない」

いろいろ、意見が飛び交っています。

 

才能って、なんなんでしょうね…。

よくわかりません。

自分でもよくわからないもの。

そういうものなんだと思います。

 

明らかに、とんでもなく何かしらの方向に突出した能力があれば、すぐにほかの人に気づいてもらえるかもしれません。

しかし、磨けば光る可能性のある、まだ原石でしかないちょっとした能力なんて、誰にも気づかれないものなんじゃないかな…。

 

自分で自分の才能に気づく人なんて、ほとんどいないんじゃないかな、と思うんです。

いろいろ、あれこれ試しにやってみるうちに、「あれ?もしかして、向いてる?」と思ったり。

自分にはできないと思い込んでいたことが、やってみたらほかの人に評価されたり。

才能って、そういうもんなんじゃないかな、と。

 

才能がないって、どうして言い切れるの?

 

「自分には才能がない」とか。

「うちの子には突出した能力なんてない」とか。

よく聞きますけど。

もしかしたら、探す方向が違うだけかもしれませんよ?

絵を描くこと、音楽ができること、運動ができること、お勉強ができることなどなど、「才能」について思い込みがある可能性もあるんじゃないでしょうか。

 

才能なんて、いつどこで、どんな形で見つかるかわからないものだと思うんです。

遅咲きの才能だって、あると思うんです。

もしかしたら、一般的に「才能」と考えられていること以外の分野に、得意があるのかもしれない。

 

WAISなどの知能検査だけを見て、突出した能力なんてない、と嘆くのは、もっと間違っていると思います。

あれはあくまで、能力のごく一部を調べる検査です。

絵を描く能力、音楽をする能力なんて、検査に入っていないでしょう?

WAISで、ごく限られた能力の凸凹はわかっても、その人の持つすべての能力がわかるわけではないんです。

 

逆に、自分で「これは才能だ!」と思ったことにどんどん取り組み、能力を伸ばしていった結果、成功するということもあるんじゃないかな、と最近思っています。

 

自信がなくてもいい。

とにかく、「やってみようかな」と思ったことには、積極的に取り組んでいくのがいいんじゃないかな、と思います。

どんな偉大な天才だって、最初から自信を持っていたわけではないはずです。

とことん突き詰めた結果、人に認められた。

それだけなんじゃないかな、って。

 

アインシュタインは、自分のことを天才だなんて思っていなかったそうです。

おそらく彼は、自分の好きなことを、好きなだけやっていただけなんじゃないでしょうか。

 

好きなことは、人生を豊かにする

 

「才能を見つける」よりも大事なことは、「好きなことを見つける」ことかもしれません。

たとえそれで食っていけなくても。

少なくとも、「好きなこと」は、人生を豊かにすると思います。