不安や恐怖は、悪いものなのか?
感情の中心
発達障害(特に自閉症スペクトラム障害)のある人にとって、一番大きな感情は「不安」と「恐怖」だといいます。
それは本当だと思います。
当事者によって書かれた本にも、「不安」と「恐怖」の話が、たくさん出てきます。
動物は本来、「不安」と「恐怖」が感情の中心を占めている、といいます。
犬や猫でも、はじめての人、初めてのものに対して、まずは警戒しますよね。
はじめて見るものは、それが安全なのか、危険なのかわからない。
はじめての場所は、どこに何が潜んでいるかわからない。
だから、「不安」や「恐怖」という感情を持つことによって、自分の身をより安全な側へ置くようにできているんだと思います。
SNSで、「発達障害のある人は不安ベースで生きている」という話で盛り上がっていました。
そこでは、どちらかというと「不安」や「恐怖」といった感情は、否定的に扱われているように思いました。
しかし、不安や恐怖は、否定されるべきものなのでしょうか?
不安ベースであることは、悪いことなのでしょうか?
私は、疑問に思っています。
身を守るため
不安や恐怖の感情は、先に書いたように、動物が自分の身を守るために生み出した感情です。
自分の身が安全であるために、不安や恐怖といった感情が、必要だった。
発達障害者(特に自閉症者)は、多数派さんよりも、より原始的な、本能的な力が強いといわれています。
要するに、動物的感覚が強い、ということです。
ここで注意してほしいのは、「本能や動物的感覚は劣ったもの」だと思ってしまうことです。
本能や動物的感覚は、決して劣っている感覚ではありません。。
本能や動物的感覚は、窮地に陥ったとき、一番大事な感覚です。
それが鈍いと、自分の身を守ることができません。
私も、不安や恐怖が強く、それによってしんどい思いをすることも、多々あります。
しかし、だからといって不安や恐怖がなければいいとは思いません。
むしろ、不安や恐怖に鈍感な多数派さんが、心配です。
多数派さんは、楽観的過ぎて、危険を察知できないと思うからです。
普段生きていくうえで、不安や恐怖が少ないにこしたことはありません。
その方が、生きやすいでしょう。
しかし、だからといって、不安や恐怖の感情を否定してよいものなのか。
不安や恐怖を、悪と決めつけてしまってよいのか。
不安や恐怖を認め、受け入れながら共存する。
そうすることが、本来の人間の姿なのではないか。
私は、そう思っています。