高校3年生
高校3年生に進級
高校3年生になりました。
またクラス替えがあり(といっても、文系2クラスのクラス替えなので、メンバーの半分は同じままです)。
私は3年B組でした。
3年間B組(笑)
そして、1年生の時もそうでしたが、3年生でもまた、ハトコの男子が同じクラスになりました。
父親同士がいとこなのです。
先生は、英語の先生で。50代くらいの、独身の先生でした。
本名と、英語の教師であることから、ジョージと呼ばれていました。(笑)
授業は予備校状態・英語ができない
3年生になると、授業もほとんど、センター試験の過去問を解いていく内容になりました。
過去問を解き、先生が解説する。
そんな授業が、続きました。
定期テストもあり、私の数学と英語の成績は目も当てられないもので。
でも、センター試験では必須科目なので、どうにかしなければなりません。
三者面談では、担任が英語教師だったこともあり、英語はなんとかならんかと、特に言われてしましました。
私は、「授業を聞いてても分からない。どうやって文章を組み立てるのかが、分からない」と言いました。
先生も、解決方法は分かりませんでした。
塾にもずっと行っていましたが、英語も数学も、先生の方がお手上げ状態でした。
自衛隊の試験を受ける
9月。
学校で席が隣りの子も、受けに来ていました(びっくり!)
受付には、八尾駐屯地のヘリ搭乗体験の時にお世話になって、仲良くなった陸自のおじさんがいました。
このおじさんも吹奏楽をやっていたので、意気投合していました。
受付で、声をかけてくれて、嬉しかった!
10月。
今度は、防大の試験を受けました。
ここでもまた、仲良くなった陸自のおじさんが受付に!
他の受験生が受付する中、おじさんと二人でおしゃべりしてました(笑)
他の担当者も受験者も、「何者?」って思っただろうね(;^ω^)
残念ながら、どちらも落ちてしまいました。
私は、一生自衛隊ファンでいることを誓いました。
毎年、必ず艦を見に行きます。
そして、自衛官に絡み倒して帰ってきます(*'▽')
文化祭
この年の文化祭は、模擬店でした。
3年生は模擬店と決まっていました。
みんなでおそろいの、短いエプロンを作って。
ユニフォームとして、Tシャツも作りました。
そして、私たちは、焼きそばを売りました。
ジョージが勝手に、イカ焼きの販売も決めて、イカも購入してしまいました。
仕方がないので、イカ焼きも売りました。
イカ焼きは、ずっとジョージが焼いていました(笑)
生徒の意見を無視するなんて、何という先生…。
それでも、それなりの収益を上げて、成功に終わりました。
試験に次ぐ試験
そして、文化祭が終わると、ついに追い込みに入ります。
模試の嵐です。
大嵐でした。
センター試験も、どんどん近づいてきます。
受ける大学も、本格的に絞り込まれていきました。
センター試験直前。
生物の先生が、神主さんだったので、合格祈願をした鉛筆を、3年生全員に配ってくれました。
センター試験当日は、二日間ともすごく冷え込み。
大雪でした。
私たちは、自分の学校で試験を受けました。
他の子たちは、W大学や、うちの学校まで試験を受けに来ました。
私は、大学で歴史を勉強して、学芸員資格を取ることに決めていました。
私が唯一、80点台をキープしていたのが、日本史だったからです。
日本史の先生にもそのことを話していました。
この先生は、名前から、「ケンショー先生」と呼ばれていました。
私はこの先生が好きでした。
そして、京女と関西大学、を受けました。
どちらも、落ちました。
大学に合格
そして、京都にある女子大、KT大学(2年生から共学になった)に、センター試験の成績だけで受験できるコースで受験し。
その大学の、文学部歴史学科に合格しました。
大学の地位としては、下の方でしたが。
この大学には、かなり有名な先生方がそろっていました。
歴史をやってて、その先生の名前を知らないなら、モグリだ!というくらいの先生方が。
入学してから分かったことでしたが、めちゃくちゃラッキーでした。
1月中に合格したので、私は担任と、日本史の先生に報告しに行きました。
日本史の先生が、「どこの大学?」と聞いてくれたので、「京都です」と言ったら。
「京都か、それはいい。日本史を勉強するなら京都が一番だ!」と言いました。
先生はいつもそう言っていました。
だから、私は京都の大学で歴史を学ぶことを決めました。
2月からは、登校日以外は学校に行かなくてもよくなります。
国公立の大学の試験が、本格的に始まるからです。
卒業
そして、3月。
私は、成績が悪いながらも、なんとか卒業しました。
式の後、先生にあいさつをしに行きました。
担任は、ずっと「国公立を受けろ、夜間でもいいから!」と言っていましたが、私は自分の道は自分で決める!と、言うことを聞きませんでした。
だから、「お前は、最後まで言うこと聞かんかったなぁ」と苦笑されました。
でも、私は自分で進路を決めたので、心残りはありませんでした。