大学2回生
2回生に進級
春休みがあけて、2回生になりました。
ディズニーランドに行って、友達とは更に仲良くなりました。
チセとも、同じ授業になることも多く、このころからいつも5人で行動するようになりました。
といっても、みんな個人行動をとることも多く、常に一緒だったわけではありません。
メンバーの内、誰かがいるのを見つけたら、そこへ行くという感じです。
時間割づくり
春休み中に大学にシラバス(講義案内のごつい冊子)を取りに行き。
春休み中に、時間割を組みました。
もう手順は分かっていたので、だいたいの分を組みました。
私と友達は、別行動になることも多かったけど、一人で授業を受けることも平気でした。
専門的な講義
2回生になると、途端に専門的な講義が増えました。
一般教養は、1回生で取りきれなかった分を取る、という感じでした。
それと、日本史講読a・b・c・dといった、古代から近代まで、4つの区分の授業もありました。
これらの授業が、専門分野への入り口となります。
私は、日本史購読はすべての授業を取りました。
古代~第二次世界大戦まで、学びました。
担当の先生の専門分野の講義になるので、まんべんなくというわけにはいきませんでしたが。
日本史講読cは、アイ・ハツエ・イツミも一緒に受けました。
そのせいで、しばらくの間「ショーグネイトパワー(将軍権力を英訳するとこうなる)」が、私たちの間ではやりました。
遺跡出土史料講読も、楽しかったなぁ。
これは、a・bと、前期後期に分かれていて。
遺跡から出土した土器・木簡などに書かれている文字や、時には絵、出土した場所などから、意味を読み取るという授業でした。
発掘現場を図面に起こしたものを史料として使ったり、すごく面白かった。
トイレ溝(昔トイレとして使われていた溝)からの出土品(もちろん、排泄物まみれ)を嬉々として掘っていた研究者の話も、面白かった(笑)
昔、トイレットペーパーがなかったころは、不要になった木簡を割って、ふいていました。
それを、「「籌 木(ちゅうぎ)」と呼びます。
イツミとハツエもその授業を取っていたので、私たちの間で流行り言葉になりました。
汚い話だけど、他人が聞いても何のことかわからないですし。
この授業のテストでは、高得点を取りました。
古代史の購読の授業では、古代の法律の文書をみんなで読みました。
古代の法律なので、すべて漢文です。
しかも、返り点もなし。
私は、高校時代から漢文は得意でしたから、すごく楽しい授業でした。
漢文の言い回しって、めちゃくちゃカッコいい!
その授業は、予習をして行って、先生に当てられたらその部分を読み上げ、訳すというスタイルでした。
毎回、宿題もありました。
感性が大事
あるとき、作物関係の法律を読んで訳してくるという宿題が出ました。
文中に、「植麦」と書いてあったと思います。
私は、図書館ですべての漢字が調べられる辞書を使って、その漢字の意味を調べました。
みんな同じ辞書を使って宿題をしたのですが。
その宿題の答え合わせをした先生が、宿題について言及しました。
植の読み方が、人によって違い、3通りほど出てきました。
麦を「植える」と、田植えのように訳した人が多く。
私と、もう一人誰かだけが、麦を「播く(まく)」と訳しました。
そして、その3通りそれぞれ、訳した人が一人代表で読まされました。
正解は、「麦を播く」でした。
有名な絵画でもありますよね、「麦を播く人」って。
だから、私は麦を「植える」はおかしいとおもい、辞書では一番最後に載っていた読み方の、「播く」を選んだのです。
先生は、その「感性」が歴史を研究するにあたって重要だ、と言いました。
ここでも、人と違う感覚を持つことを、ほめられました。
このとき。
「私は間違ってない!私はいつも正しい!」というタイプの子(私たちは市松とか、にゃーと呼んでました)が、先生に当てられて、意気揚々と「麦を植える」と発表したのですが。
そのあとで私が発表してそれが正解で、先生に褒められたことが気に入らないらしく。
事あるごとに、私を敵視するようになりました。
私は、面倒くさいので放置していましたが(笑)
因みに、市松と呼んだのは、髪型が市松人形みたいだったからです。