kaleidoscope

自閉症スペクトラム障害、ADHD、うつ病を抱える如月の万華鏡のような頭の中を、書き連ねていきます。わわわアールブリュット作家。

Tシャツアート 第一弾

先日から、Tシャツアートに取り組んでいます。

 

あーとの教室でもらった5枚のTシャツと、送られてきた20枚のTシャツ、合わせて25枚を5月中に描き上げる予定です。

 大量のTシャツを見た母上に、「内職やな」と笑われました(;^ω^)

 今のところ、5枚描き上げています。

 

↓さかな電車

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↓ふくろう

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↓モンスター

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↓城

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↓ぞう

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これらは、わわわアールブリュットさんにて販売していただきます(#^^#)

 

あと20枚、テーマは決まっているので、ぼちぼち描いていきます。

大学生・部活

吹奏楽部に所属

 

大学にも、サークルという部活のようなものがありました。

この大学では、「部活」と呼べるのは、強化サークルだけでした。

強化サークルとは、大学から補助金が出ていて、全国大会を目指すようなサークルのことです。

 

私は、迷わず吹奏楽サークルに入部しました。

入部当初は、へたくそな弱小バンドで、人数も少なく。

私が所属しているうちに、どんどん大きくなり。

京都府代表の座を奪い、関西コンクールに出場するまでになりました。

今では、強化サークルに仲間入りし、「部活」と呼べるようになっています。

 

フルート兼パーカッション

 

入部した時には、すでにフルートパートには1回生が三人いました。

私も、フルートパートを希望しましたし、自前で楽器を持っていたので、フルートに入りたい!と言いました。

部長には、中学で打楽器の経験があるなら、打楽器に回ってほしいと言われたのですが…。

部長と話し合いの末、どうしても打楽器の手が足りないときは、ヘルパーとして打楽器に回る、ということで決着がつきました。

こうして、私は入部してすぐ、フルートと打楽器のかけもちをすることになりました。

結局、フルートに入った1回生一人は、すぐ辞めてしまいました。

大学も辞めて、音大へ入りなおすということでした。

 

この時出会った、同じパートの子の母親が、私の父親の、仕事の部下でした。

お互い、「あの話に聞いてる○○さん!?」っていう会話が(笑)

世間は狭いですね。

 

のんびり練習、自信を持つ

 

最初のうちは、週2回の練習で、練習時間も短く、どちらかというとつまらない状態でした。

 

私は、高校時代とは違い、自分の腕にそれなりに自信を持つようになりました。

決して、劣ってなどいないことに、気付きました。

 

合宿・積み込み係

 

8月の夏休みには、一応合宿にも行きました。

合宿に出かける日。

朝から、トラックに大型楽器を積み込みます。

私は、その積み込みを手伝う「キャリー」に配属されました。

10名弱で、大型の重い楽器を運びます。

その時2回生の先輩が仕切っていたのですが。

仕切り方が悪く、私はイライラしてしまいました。

 

高校のとき、積み込みがあるごとに、指揮をとる人以外は毎回別の人が選ばれ。

「トラック(の荷台)に乗れ!指示を出せ!」と言われて、訓練されていました。

そのため、私は自ら荷台に上がり込み。

私が、指揮を取り始めました。

私の采配に、そのほうが早いと思った先輩は、すべてを任せてくれました。

その後も、楽器を運ぶときは、私に指揮をとらせてくれました。

幹部の内の一人の先輩が、私を指名してくれました。

後輩のくせに!なんていう先輩は、いませんでした。

 

そのおかげで、私はそののちも、どんなことに対しても、自分が「指揮を執る」ことに関しては、苦痛に思ったことはありません。

合理的でないことにイライラしますから、自分で考えた一番合理的な方法で他人を動かす立場に、向いていると思います。

私より合理的な人がいれば、その人に従います。

ただ、私はトップに立つ器ではないので、思う存分腕をふるえる、ナンバーツーに向いているようです。

鬼副長と言われた、新撰組の土方さんのように(笑)


役員決め

 

10月。3回生の先輩方が、引退しました。

ここからは、2回生が主導で活動を進めていきます。

大学のサークルは、完全自治です。

部長・指揮者・渉外が「幹部」とよばれ、その幹部を中心に、活動が進められました。

 

他にも、担当があり、それぞれどれかの担当につかねばなりません。

1回生は、見習いとして、この時に話し合いで担当を決めます。

私は、楽器管理に立候補しました。

楽器管理が、トラックを手配し、他大学との楽器の貸し借りの役目を担います。

一人は、必ず打楽器から出すことになっていました。

私は、管楽器のことも、打楽器のことも分かります。

そして、トラックを手配するには、どう積めば、小さいトラックで楽器を運べるか、を考える必要があります。

トラックが小さい方が、借り賃が安いからです。

すでにキャリー隊の指揮を執っていた私には、うってつけだと思いました。

周りも分かっていたので、私はすぐに楽器管理に決まりました。


先輩になる

 

2回生になり、後輩が入ってきました。

この子が、また変わった子で。

私とこの子と二人で、練習中に騒いで、よくパートリーダーに怒られました(笑)

その子は後々、指揮者になりました。

 

フルートパートには、一つ上の先輩がいなかったので、私たちは2回生ですでにパート内の権力者になっていました(笑)

同い年が3人なので、揉めもしましたが、仲良く楽しく、活動していました。

後輩も加わり、爆笑しながらパート練習をしたりもしていました。

 

コンクールに出場

 

この年、2回生からの要望もあり、私たちの部は初めて、コンクールに出場しました。

それまでは、人数も少なく、どちらかというとやる気のないバンドだったので、コンクールには出場していませんでした。

はじめての出場なので、小人数枠で出場。

練習は増えましたが、楽しかった。

この時、私は打楽器を担当。

他大学の打楽器の人に教えてもらいました。

その人は、私が打楽器担当だと思い込んでいて。

他の曲の練習で、フルートを吹いているのを目撃し、ものすごい形相でびっくりしていました(爆笑)

この時から、私は、打楽器の腕前も認めてもらえるようになりました。

というより、打楽器のほうが向いていることが、はっきりわかりました…。

 

長くなるので、次回に続きます。

てんかんの治療に再々チャレンジ

神経内科

 

昨日は、医大神経内科に行きました。

雨が降っていて、朝から絶不調。

とにかく怠いし眠いし、行くのも億劫だったけど、行かなきゃ仕方ないですから、頑張って行ってきました。

 

待合がいっぱい

 

待合はいっぱいで、座る場所もなく、しばらく立ったまま待っていました。

2人で3つの席を占領してる人もいましてね…。

バンどけて、詰めてくれたら一人座れるのに。

単なる付き添いで元気な人もいっしょに座ってるから、患者が座れない(;^ω^)

お年寄りは席を譲ってもらえるけれど、患者であっても若ければ譲られることはありません。

「座らせてください」というのも面倒だったので、立ったままでいました。

若い=元気、という図式、いつになったらなくなるんでしょうかね…。

 

治療について

 

30分ほど待って、名前が呼ばれました。

神経精神科からのお返事もあり、神経内科で治療することになりました。

 

神経精神科からのお返事が、パソコンの画面に表示されているのが見えたのですが。

てんかん発作と偽発作が混ざっていると思われる」というようなことが書いてありました。

 

偽発作とは、「偽」と書きますが、決して詐病というわけではありません。

イメージが悪いこと、本来の状態を表せていないことから、「心因性てんかん発作」と呼ばれています。

心身症や身体表現性障害の一つで、ストレスを無意識に体の不調としてあらわしてしまうものです。

ですから、偽発作も、本人も無意識のうちにてんかん発作に似た状況を作り出してしまっている、ということです。

 

偽発作があるとはいえ、本来のてんかん発作があることはほぼ間違いないだろうということで、服薬治療を開始することになりました。

やはり、「てんかん発作があるのであれば、薬を飲んだ方がいい」とのこと。

 

今までにほとんどの抗てんかん薬を試し、どれも飲めなかったので、新しく発売された2種類の薬のうち、ビムパットという薬を試してみることになりました。

ただ、今までの薬剤過敏の状況から、まずは通常成人量の1/8から始めることになりました。

先生が「錠剤割れないから、粉薬になるけどごめんね」というので、本当に粉薬だと思っていたのですが。

処方箋には「50㎎錠 粉砕」と書かれていました。

なるほど、錠剤を粉砕して粉薬にするっていう意味だったのね(;^ω^)

 

これで、2週間様子を見ます。

本来は1週間なのですが、ちょうど連休にぶつかってしまうので、2週間になりました。

どうしても眠気がひどいときは、2日に1回もしくは3日に1回の服用にして、とにかく飲み続けるように、との指示でした。

 

てんかん薬は、飲み続けることに意味があるので、できるだけ頑張って続けたほうがいいみたいです。

 

疑問に思うことを聞いてみる

 

ついでに、手のしびれと感覚の麻痺について聞いてみました。

すべてがてんかん発作のせいとは言い切れないので、何とも言えないとのことでした。

パニック発作でも体がしびれることもあるし、精神的な問題を抱えているので見分けるのは難しいようです(´・ω・`)

 

改善するかな?

 

というわけで、2週間服薬して様子を見ることになりました。

これで多少状況が改善するといいんだけどな…。

高校1年生

 高校生になった 

無事高校入試を突破した私は、4月から高校生になりました。

高校までは、自転車で15分ほど。

毎日、自転車で通いました。

 

入学式前に、教科書販売があるので、教科書を買い。

体操服や、クラス章も買いました。

その高校は、女子はセーラー服でしたが、襟章もありました。

 

私は、普通科だったので、1年B組になりました。

普通科が4クラス。

理数科が2クラス。

総合人文科が2クラス。

ぜんぶで、8クラスでした。

二つ上の先輩たちは、9クラスありました。

 

担任

 

1年B組の担任の先生は、27歳の女性でした。

小柄で短髪。

活気のある先生でした。

遠足の時には生徒も私服参加だったので、小柄な先生は生徒と見分けがつきませんでした(笑)

 

入学式

 

入学式の当日から、一日学校にいました。

入学式が終わると、教室に入り。

自己紹介などをして。

そのあと、1年生は全員体育館の1階にある、柔道場に入れられました。

(体育館は2階建てでした)

そこで、学校の歴史や、先輩である偉人の話、女子の襟章の由来を聞き。

校歌を覚えさせられました。

 

学校の先輩には、世界的に有名な博物学者や、第二次世界大戦で日米開戦を避けようと奮闘した、海軍出身の外交官・野村吉三郎などがいます。

戦前・昭和の旧制中学校の時代には、野球部が強く。

当時の天皇が学校にいらっしゃったこともあるそうです。

今でも、天皇のお立ち台が残っています。

そういう話を聞き。

 

次の日からは、もう勉強が始まりました。


部活

 

この学校は、「文武両道」を目標に掲げています。

なので、1年生は全員、どこかの部に所属しなければなりませんでした。

私は、迷わず吹奏楽部の見学に行き。

すぐ、入部しました。

そして、パートわけの時も、無事フルートパートに入ることができました。


遠足

 

高校でも、1年に1回、遠足がありました。

1年生の遠足は、イチゴ狩り&バーベキューでした。


人間関係

 

1年B組では、私は名前の順で後ろから2番目。

一番最後の子と、仲良くなりました。

その子は、同じ中学から来た友達がいましたが、その子たちとクラスが離れて一人でした。

それで、基本的にはその子と1対1での友達づきあいが始まりました。

その子はとても頭がよく。

高校でも、塾にも行かず、自力で勉強して、最終的に神戸大学に合格していました。

だから、勉強で分からないことは、時々聞いて教えてもらっていました。

 

そのほかにも、部活が同じ友達もいましたし、何人かと表面的に付き合いもしました。

でも、基本クラスでは浮いていました。

というより、私自身が、なじめてない感をすごく持っていました。

進学校なので、あまりアイドルがどうこう、化粧がどうこうという話がなかったのが、救いでした。

そして、変わった子も割といたし、何を考えているのか分からない子も多かったし。

そういう意味では、ハイレベルの学校に入ってよかったのかもしれません。


授業についていけない

 

授業が始まって。

中学の勉強との内容の差に、驚きました。

さすがに、ハイレベルな子たちが選ばれて入ってくる学校だけあって、授業のスピードが速く、内容も難しかった。

授業時間も、他の学校は中学と同じ50分でしたが、この高校は65分あります。

1時間5分です。

集中し続けるのに、すごく苦労しました。

授業の内容についていけず、成績は、底辺でした。

 

授業中も、一人ガサガサしたり、ぼんやりしていました。

先生の話が分からないし。

問題を解けと言われても、分からないし。

空想の世界に入っていることも、多かったです。

 

文化祭

 

文化祭では、劇をしました。

1年生は劇をすること、と決まっていました。

白雪姫と眠り姫など、いろいろごちゃ混ぜにした劇をしました。

私は、小道具係になりました。

物を作るのが得意だった私は、短剣などを、段ボールで作りました。

みんなが感心してみていました。

 

修学旅行

 

修学旅行にも行きました。
この高校は、2年生の後半から受験対策に入るため、1年生の3学期に修学旅行に行きます。

修学旅行も、それなりに楽しかったです。

 

浮いてはいたけれど

 

クラスで浮いてはいたけれど、それなりに相手をしてくれる子もいたし。

先生が上手にクラスをまとめていたこともあり。

このクラスは、まぁまぁ楽しかったです。

一年生は、何とか乗り切りました。

脳波検査の結果

脳波検査を受けた

 

昨日は、医大病院で脳波検査を受けてきました。

わざと過呼吸にしたり、フラッシュをたいたり、いろんな負荷をかけて脳波の状態を調べる検査です。

 

特殊なのりで電極を頭に貼り付けて、準備して、検査をして。

30~45分くらいだといわれていたのですが、50分かかりました(;^ω^)

 

終わった後は、一応のりをふき取ってくれるものの、全部取り切れるわけではないので、髪の毛がべたべた・バリバリです(笑)

 

医大の精神科を受診

 

そして、その後は神経精神科を受診しました。

そこで、今までの経緯を簡単に説明しました。

てんかんのこと、自閉症スペクトラムのこと、うつのことなどなど…。

 

その間に、神経内科からの紹介状が見えたのですが。

症状から、てんかんが強く疑われるが、精神症状との絡みなどについて診察してほしい、というようなことが書かれていました。

 

脳波検査の結果

 

脳波検査の結果は、ハッキリとした異状はない、とのことでした。

しかし、てんかんを否定する材料はなく(てんかん発作であっても、脳の深い部分が震源である場合、頭皮での脳波検査では異常が拾えない)、本当のてんかん発作と、心因性発作が混ざっている状態ではないか…とのことでした。

 

てんかん発作と心因性発作が混ざっていると、ややこしいんですよね…。

とりあえず、脳波に異常はないものの、てんかんである可能性は非常に高いので、てんかんの治療をするために、もういちど神経内科に戻ることになりました。

 

やっぱり、思った通り、精神科と神経内科の間で押し付け合いになってる(笑)

 

気分の上下の原因

 

精神的な問題について、質問はありますか?とのことだったので。

「うつて言われてるけど、本当にうつなの?って思うことがあります。気分の上下が激しくて…」と言うと。

「いわゆる、鬱病とかのうつの状態ではないと思う。一時的にうつ状態になったりする、非定型な状態ではあると思うけど…。自閉症スペクトラムからくる気分の上下なんじゃないかな」とのことでした。

 

なるほど…。

ということは、エビリファイを上手に使って、コントロールしていくしかないんだろうなぁ(´・ω・`)

 

医師不足

 

医大の神経精神科が医師不足で、一人異動になって、その後の人員の確保ができないので、「転院のご協力をお願いします」って書いてあった…。

人が足りなくて初診を限定してたり、受診日を限定してたり、だいぶんやばい感じなんだけど…大丈夫なの?(;^ω^)

 

そんな状態なので、メンタルのことは今まで通りかかりつけのメンタルクリニックで診てもらうことになりました。

 

再び神経内科

 

次回はまた神経内科に行くことになるのですが、神経精神科では予約が取れないので、自分で取ってくださいと言われ。

帰りに、神経内科の予約を取ってきました。

いつでもいい、最短でと言うと、水曜日に予約が入りました。

 

神経内科で、どんな話になるのやら…。

とりあえず、本当のてんかん発作もあるらしいので、それを何とかしてくれるといいな…。

あーとの教室に行ってきました

わわわアールブリュット あーとの教室

 

昨日は、わわわあーとの教室大阪校の開校日でした!

天下茶屋駅のすぐそばの場所での開催なので、家から徒歩1分の駅から特急に乗って、1時間弱で到着できます。

 

初日の教室に、もりちゃんと参加してきました(*^^)v

 

参加者は3人。

もりちゃんと私、そして小学3年生くらいの男の子が一人でした。

 

今回は、Tシャツに絵を描いてきました。

 

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ジンベエザメとネコです。

これ以外にも、ホシゾラフグを描きました。

全部で3枚です。

 

この、濃いグレーのTシャツは描くのが難しい。

色によっては、どす黒い色に変わってしまうからです。

 

濃いグレーのTシャツにいい感じに描ける人がいないらしく、もりちゃんと如月が担当することになそうです(笑)

 

Tシャツを描いている間も、もりちゃんとお話ししていました。

もりちゃんがクマと星の絵を描いていたから、「ポーラースター(北極星)!」「おおぐま!」「こぐま!」と単語だけ発していたら。

もりちゃんとの間で、会話が成立しました。

北極星おおぐま座こぐま座みたいだね」っていう意味だったんですが、それが見事に伝わるんです。

 

面白いですねぇ。

これが、私たちなりのコミュニケーションなんです。

多数派さんから見れば、奇妙に見えるかもしれないけど(笑)

 

お絵かき中に、いろんな話を聞いたし、いろんなことを教わりました。

私の絵が、どんどん貸し出されていること。

海外の方が絵を購入してくださったこと。

これで如月も世界的画家かな?(笑)

 

今後描く絵の裏に、サインを入れることになって。

そのサインも考えました。

アルファベットの筆記体のサインに、ちょこっと絵を添えます。

本当の画家っぽい(∩´∀`)∩

 

そして、人によって、使うのが得意な色、苦手な色があることがわかりました。

もりちゃんは茶色を使うのが上手で、黒が苦手。

如月は、黒を使うのが得意で、茶色が使えない。

お互い逆なところが、面白い!

 

おかげで、布描きペンの茶色と、マッキーの黒と黒のボールペンの物々交換が成立しました(#^^#)

 

そうそう、如月の絵の題名が難しいっていう話もあったなーw

もともと、題材自体が気象現象であまり知られていなかったりするから、余計だろうな(;^ω^)

 

得るものの多い、すごく濃厚な2時間でした。

男の子が途中で「もう帰るー」って言って帰っちゃったから、ほぼもりちゃんと貸切で、 特別授業状態だったから…(笑)

 

とにかく、とっても楽しかったです!

ガサガサしまくって、椅子に座ってるのに何回も机に脚をぶつけたけどw

 

これからしばらくは、通常のお絵かきと、Tシャツのお絵かきを並行していくことになりそうです(*'▽')

 

 

高校1年生・修学旅行

修学旅行へ

 

私の通っていた高校は、進学校なので、1年生の3月に修学旅行に行きます。

毎年、行先は沖縄と決まっていました。

 

行先変更

 

しかし、高校1年生の9月11日。

あの、アメリカの同時多発テロが起こりました。

そして、世界は混乱に陥りました。

沖縄には、米軍基地が沢山あります。

なので、私たちは先生に、「修学旅行は沖縄だが、行先をどうするか?」と聞かれました。

クラスは、沖縄はちょっと怖いかも、という意見で一致しました。

そして、先生方の会議でも、行先を変更することになりました。

 

修学旅行は、いくつか候補があったうち、多数決で長野でのスキーに決まりました。

沖縄へ行かなくなった代わりに、沖縄で勉強するはずだった戦争のことを、グループごとに自習という形で勉強し、レポートを提出しました。

 

スキー旅行へ

 

一日目は、朝からバスに乗り、長野へ。

これは、一度吹奏楽部の合宿でほぼ同じ場所へ行っていたので、不安はありませんでした。

実際、通った道は全く同じでした(笑)

ホテルに着いたのは、夜6時でした。

そこからすぐ、荷物を部屋に入れて食事をし。

クラスごとに風呂に入って。

みんなで寝ました。

部屋割りも、割と仲良くしてた子たちと同じだったので、楽しかったです。

 

次の日は、一日スキーをしました。

10人ずつのグループごとに、コーチがついてくれました。

私は、父親に少しだけスキーを教えてもらっていたので、初心者コースにはいましたが、それなりにすべっていました。

上級者の子たちは、グループに入らず勝手に滑っていいことになっていたので、周りは初心者ばかりでした。

その日は、夕方にみんなで餅つきをしました。

 

そして、次の日も一日スキーをしました。

この日は、直滑降をしました。

これが一番楽しかった!

まっすぐ滑るだけだし、すごいスピードが出るし。

他の子は怖がってしりもちをついていましたが、私だけはコーチと全く同じことができました。

褒められました(笑)

 

最終日。

お昼3時ころまで、スキーをしました。

中級者コースも滑りました。

 

ストックが使えない

 

私は、スキーはストックを使わない方が、ターンもしやすいみたいです。

普通は、ストックを使ってタイミングを取るそうですが。

一度にいくつものことができないからでしょうか、ストックを使うタイミングを取る方が難しいのです。

だから、ストックはほったらかしにして、板だけで、ターンもしていました。

ちょっと上級者っぽい?(笑)

 

コーチは50代くらいのおじさんでしたが、ベテランで教え方もうまく、好きでした。

このコーチのおかげで、私はとてもたのしむことができました。



帰宅

 

最終日、コーチたちにお礼を言って、私たちは再びバスに乗り。

夕食は、大型銭湯で食べました。

お風呂に入りたい子は入り。

そして、車中泊で、帰路につきました。

 

この修学旅行は、楽しかった。

クラスで浮き気味だったとはいえ、それなりに相手をしてくれる子たちもいたし。

スキーも好きだし。

楽しめる修学旅行で、よかったですニコニコ