kaleidoscope

自閉症スペクトラム障害、ADHD、うつ病を抱える如月の万華鏡のような頭の中を、書き連ねていきます。わわわアールブリュット作家。

高校3年生

高校3年生に進級

 

高校3年生になりました。

またクラス替えがあり(といっても、文系2クラスのクラス替えなので、メンバーの半分は同じままです)。

私は3年B組でした。

3年間B組(笑)

そして、1年生の時もそうでしたが、3年生でもまた、ハトコの男子が同じクラスになりました。

父親同士がいとこなのです。

 

先生は、英語の先生で。50代くらいの、独身の先生でした。

本名と、英語の教師であることから、ジョージと呼ばれていました。(笑)

 

授業は予備校状態・英語ができない

 

3年生になると、授業もほとんど、センター試験の過去問を解いていく内容になりました。

過去問を解き、先生が解説する。

そんな授業が、続きました。

定期テストもあり、私の数学と英語の成績は目も当てられないもので。

でも、センター試験では必須科目なので、どうにかしなければなりません。

三者面談では、担任が英語教師だったこともあり、英語はなんとかならんかと、特に言われてしましました。

私は、「授業を聞いてても分からない。どうやって文章を組み立てるのかが、分からない」と言いました。

先生も、解決方法は分かりませんでした。

 

塾にもずっと行っていましたが、英語も数学も、先生の方がお手上げ状態でした。

 

自衛隊の試験を受ける

 

9月。

私は、自衛隊一般曹候補生の試験を受けました。

学校で席が隣りの子も、受けに来ていました(びっくり!)

受付には、八尾駐屯地のヘリ搭乗体験の時にお世話になって、仲良くなった陸自のおじさんがいました。

このおじさんも吹奏楽をやっていたので、意気投合していました。

受付で、声をかけてくれて、嬉しかった!

 

10月。

今度は、防大の試験を受けました。

ここでもまた、仲良くなった陸自のおじさんが受付に!

他の受験生が受付する中、おじさんと二人でおしゃべりしてました(笑)

他の担当者も受験者も、「何者?」って思っただろうね(;^ω^)

 

残念ながら、どちらも落ちてしまいました。

私は、一生自衛隊ファンでいることを誓いました。

今でも、自衛隊(特に海上自衛隊)が大好きで。

毎年、必ず艦を見に行きます。

そして、自衛官に絡み倒して帰ってきます(*'▽')


文化祭

 

この年の文化祭は、模擬店でした。

3年生は模擬店と決まっていました。

みんなでおそろいの、短いエプロンを作って。

ユニフォームとして、Tシャツも作りました。

そして、私たちは、焼きそばを売りました。

ジョージが勝手に、イカ焼きの販売も決めて、イカも購入してしまいました。

仕方がないので、イカ焼きも売りました。

イカ焼きは、ずっとジョージが焼いていました(笑)

生徒の意見を無視するなんて、何という先生…。

それでも、それなりの収益を上げて、成功に終わりました。


試験に次ぐ試験

 

そして、文化祭が終わると、ついに追い込みに入ります。

模試の嵐です。

大嵐でした。

センター試験も、どんどん近づいてきます。

受ける大学も、本格的に絞り込まれていきました。

 

センター試験直前。

生物の先生が、神主さんだったので、合格祈願をした鉛筆を、3年生全員に配ってくれました。

 

センター試験当日は、二日間ともすごく冷え込み。

大雪でした。

私たちは、自分の学校で試験を受けました。

他の子たちは、W大学や、うちの学校まで試験を受けに来ました。



私は、大学で歴史を勉強して、学芸員資格を取ることに決めていました。

私が唯一、80点台をキープしていたのが、日本史だったからです。

日本史の先生にもそのことを話していました。

この先生は、名前から、「ケンショー先生」と呼ばれていました。

私はこの先生が好きでした。

 

そして、京女と関西大学、を受けました。

どちらも、落ちました。

 

大学に合格

 

そして、京都にある女子大、KT大学(2年生から共学になった)に、センター試験の成績だけで受験できるコースで受験し。

その大学の、文学部歴史学科に合格しました。

大学の地位としては、下の方でしたが。

この大学には、かなり有名な先生方がそろっていました。

歴史をやってて、その先生の名前を知らないなら、モグリだ!というくらいの先生方が。

入学してから分かったことでしたが、めちゃくちゃラッキーでした。

 

1月中に合格したので、私は担任と、日本史の先生に報告しに行きました。

日本史の先生が、「どこの大学?」と聞いてくれたので、「京都です」と言ったら。

「京都か、それはいい。日本史を勉強するなら京都が一番だ!」と言いました。

先生はいつもそう言っていました。

だから、私は京都の大学で歴史を学ぶことを決めました。

 

2月からは、登校日以外は学校に行かなくてもよくなります。

国公立の大学の試験が、本格的に始まるからです。

 

卒業

 

そして、3月。

私は、成績が悪いながらも、なんとか卒業しました。

式の後、先生にあいさつをしに行きました。

担任は、ずっと「国公立を受けろ、夜間でもいいから!」と言っていましたが、私は自分の道は自分で決める!と、言うことを聞きませんでした。

だから、「お前は、最後まで言うこと聞かんかったなぁ」と苦笑されました。

 

でも、私は自分で進路を決めたので、心残りはありませんでした。

絵の新作「忍者」完成!

絵の新作「忍者」が完成しました!

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忍者の横顔のシルエットに、手裏剣。

私、小さいころからずっと忍者が好きなんです。

忍者の知識も、そこそこ持ち合わせています。

↓線画

 

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これをいつもの細密画で埋めていくと…

↓完成です

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今度の日曜日は、わわわのあーとの教室・大阪校の開校日です!

とても楽しみです!!

神経内科から精神神経科へ

医大病院の神経内科に行ってきた

 

昨日、医大病院の神経内科に行ってきました。

 

9時30分の予約だったので、9時には到着するように家を出て、バスで病院へ。

病院について、紹介状と診察券を出して、手続きをしてもらい、30分ほど待ちました。

 

待っている間に、問診票を書くもんだと思っていたんですが、問診票は一切なし。

「問診票は?」と思っている間に、9時30分になり、そのまま診察室に呼ばれました。

 

診察

 

先生がまず自己紹介してくれて。

お願いしますと挨拶して。

本題に入りました。

 

優秀な患者?

 

「紹介状にいろいろ書いてくれてますね。このことについて、順番に聞かせてください。まず、最初に症状が出たのはいつ頃ですか?」と聞かれました。

何を聞かれるのかわかっていたので、今までの経過、症状、困っていること、心配なことなどをA4用紙にまとめて持っていました。

なので、「時系列に書いたものを持ってきました」と言って、それを先生に渡しました。

 

それを見た先生が、「おお、これはいいですね!素晴らしい!」と。

ダテにドクターGを見ているわけではありません(笑)

 

それに目を通して、大体把握できたらしく、問診はほとんどなし。

家族の発症歴など、書いていない部分のみ説明しました。

サクサクっと話が進んだので、「ホントにこれいいわー!ありがとうございます!」と先生に褒められました。

優秀な患者でしょう?(笑)

 

てんかんかどうかの判断

 

結局、てんかんかどうかを判断するのは非常に難しく、やはり診断を確定させるには静岡に行くしかない、とのことでした。

静岡で確定診断が出れば、もちろん医大で治療は可能だし、薬も調整が完了すれば、かかりつけのクリニックに戻ることも可能、と。

 

精神神経科へ

 

しかし、静岡は遠すぎて行くのが大変なので、同じ医大の精神神経科にてんかんに詳しい先生がいるので、そちらに回してもらうことになりました。

てんかんのほかに、発達障害やうつなど、ほかの症状がたくさんあるので、精神神経科で診てもらうのがいいかな、という判断です。

私としては、医大の精神科で診てもらえるのはラッキー!です。

メンタルクリニックは、ほかのところにかかったことはない?」と聞かれて。

「ここだけです」と答えると。

「それなら、精神科にかかってみるのもいいと思う」とのことでした。

神経内科の方から精神科に回してもらえるなら、ありがたい。

自分から、かかりつけ医にセカンドオピニオンを頼むのは非常に言い出しにくいから(;´・ω・)

 

やはり治療は難しい

 

そして、てんかんと確定したとしても、薬剤過敏で薬が飲めないので、難しいというようなことを言われました。

「この状態ではしんどいやろうから、治してあげたいんやけど…難しいなぁ…」と(苦笑)

とにかく、薬に慣れて眠気が治まるまで、「1日寝ててもいい!」くらいの大きな覚悟が必要だ、とのこと…。

 

メンタルクリニックの先生も、すごく少ない量で出してたと思うけど…。これだけの種類を試してダメだったなら、それはそのクリニックでは手に負えないと思うわ…」と言われました(;^ω^)

 

検査

 

というわけで、月曜日に脳波検査と精神神経科の予約を入れてもらいました。

CTとMRIは以前に取っているので、いらないとのこと。

 

難しい患者

 

とにかく、医大でも手こずる患者のようです…。

そして、神経内科と精神神経科の間でたらいまわしにされそうな気がしないでもない…。

とりあえず、どっちかで適切な処置をしてもらえて、少しでも楽になればいいな…。

 

自立支援制度さまさま

 

そうそう、費用は自立支援医療の自己負担上限額を超えていたので、無料でした。

ほんこの制度助かる…。

ありがたいです(*^^)v

高校の部活動

高校は3年間吹奏楽部に所属

 

高校に入学した私は、すぐ吹奏楽部に入部しました。

高校では、いろいろな部活を見学して回る期間が、1週間設けられていました。

1年生全員が、必ずどこかの部に所属しなければならないからです。

私は、吹奏楽部の見学に行き、その場で入部を申し出ました。

 

吹奏楽部に入部

 

入部するときには、中学での吹奏楽の経験の有無・担当楽器などを書かされました。

でも、私はフルートパートに入りたくて、フルートを習いだしていましたので、そのことも書きました。

そして、とりあえずすべての楽器を吹いて回り、適性も検査されました。

私は、口腔内の過敏のために、咥えて吹く楽器が吹けません。

なので、サックスやクラリネットなどのリード楽器は、吹けませんでした。

トランペットなどの金管楽器は、音を出すことができました。

 

入部してすぐは、とりあえずのパートに振り分けられました。

中学で所属していたパートに入ります。

同学年に、フルート経験者が一人しかいなかったので、私はとりあえずフルートに配属されました。

そのフルートパートには、中学の吹奏楽の先輩がいました。

その先輩は、中学でもフルートを吹いていて。

下の名前が、私と同じでした。

だから、かわいがってもらいました。

しかし、その先輩は、私が入部してすぐ、部活を辞めてしまいました。

私の味方になってくれる先輩が、早くもいなくなってしまいました。

 

フルートパートに所属

 

そして、入部者が決まって、パート分けが行われました。

これは、先生が決めます。

なので、中学でやっていた楽器と、違う楽器に振り分けられる可能性もありました。

発表は、クラリネットから順番に行われました。

私は、フルートパートに入ることができました。

他の子は、中学ではトランペットだったのにホルンに回されたり。

打楽器に回されたりと、いろいろありました。

初心者も数名いましたが、その子たちは中学校からの経験者がいないパートに配属になりました。

 

こうして、私の高校での吹奏楽生活が始まりました。

 

部活での人間関係

 

一番最初に、総合人文科の女の子と仲良くなりました。

その子は、市外から通学していたので、高校に知り合いはいなかったようで。

部活でも、知り合いがいないので、自然と私とペアになりました。

他の子は、みんな中学からの友達で。

同じ吹奏楽部から数人ずつ来ていたので、すでにグループが出来上がっていました。

 

しかし。

折角仲良くなったのに、その女の子は家の都合ですぐ退部してしまいました。

私は、また一人になってしまいました。

 

それから3年間。

なんとかみんなの中にまじりながら、居場所のない毎日が続きました。

平日は、授業終わりから夕方6時ころまでの練習なので、大したことはありませんでしたが。

土曜や日曜の練習は、あさ9時から夕方5時。

丸一日なので、すごく気を使いました。

お昼ご飯も食べないといけないからです。

私は、居場所確保に精一杯でした。


吹奏楽部は体育会系

 

コンクールなどの本番前は、平日は朝7時から朝練、8時30分からは授業。

放課後は3時30分から練習開始、終わるのが夜の7時や8時、時には10時になることもありました。

休みの日は朝7時から夜6時、舞台練習があるときは夜10時に帰宅したこともあります。

警察に補導される時間ギリギリです。

3泊4日くらいで、長野県や鳥取県の大山に、高山訓練にも行きました。

マラソン選手のように、酸欠状態にして訓練するのです。

そこでのロングトーンは、酸欠で目の前がホワイトアウトしました。

 

もう、文化部なんて甘っちょろいものではありません。

体育系の部活よりも、練習時間が長く。

練習も、厳しいものでした。

 

1年生の時

 

特に、1年生の時の顧問は口が悪く。

あまりにもできないと、「アホ!ボケ!カス!死んでまえ!」が口癖でした。

私は完全にひるんでしまいました。

 

1年生のコンクールでは、「タイタニック・サーガ」という、タイタニック号沈没をテーマにした曲を演奏。

私はフルートを吹いて、曲の最後のところだけ、パーカッションの手が足りないので、ヘルパー(助っ人)に行きました。

中学でパーカッションをやっていたから。

やっぱり、パーカッションは楽しかった。

きっと、一番向いているのだと思います。

 

そして、最初の内こそ、初心者でもある程度吹けたので許されていましたが。

私は、フルートを吹き始めて1年で、スランプに陥りました。

吹奏楽で一番難しい楽器は、打楽器で。

二番目に難しいのが、フルートだと言われています。

 

最初は勢いよく上達しましたが、途中で伸びない期間に突入してしまいました。

そのころは、3年生が引退し、2年生が権力を持っていました。

私がスランプに陥った時、フルートの先輩は何とかしてスランプを抜け出せるよう、あれこれ考えて指導してくれました。

それでも、なかなか抜け出せませんでした。

 

同じ旋律を吹くパート同士が集まって練習する、セクション練習というものがありました。

あるとき、そのセクション練習で、私が最も苦手とする、トランペットのN先輩と一緒に練習することになってしまいました。

N先輩は、めちゃくちゃ気が強く、自分が一番!な性格でした。

なぜか、私のことが気に入らないらしく、目の敵にしていました。

N先輩は、フルートパートの先輩に、何か耳打ちしました。

何と言われたかは、分かりませんが、私のことだと思いました。

多分、間違ってはいないと思います。

フルートの先輩は、「さすがにそれは言ったらあかんやろ!」と言ってくれましたが…。

そんなことがあり、私のスランプは増々酷くなりました。

 

今考えると、おそらく、私が委縮してしまっていたからだと思います。

出来ることも、できなくなってしまっていました。

 

2年生の時

 

そのまま、私は2年生になり。

辛いまま、吹奏楽を続けていました。

何だか、辞めてはいけない気がしていたから。

音楽自体は嫌いではないし、私の唯一の自己表現の手段だったから。

言葉で自分の気持ちを伝えることができない私にとって、音楽は、自分の気持ちをぶつけられる唯一の「コトバ」でした。

 

後輩が、入ってきました。

その子は、中学からの経験者で、手のかからない子でした。

私は、更に委縮しましたが、ここで気持ちを切り替え。

なんとか、スランプからは抜け出しました。

先輩も、「なんか最近うまくなったなぁ。何があったん?」と言っていました(笑)

 

しかし。

トランペットに入った後輩が曲者で。

前出のN先輩と同じ中学出身なこともあり、私のことを何か吹き込まれたのでしょう。

ものすごく強く当たってきました。

この子も、性格に難ありでした。

私が引退するまで、ずっと私のことを見下す態度を取ってきました。

 

私は、後輩たちが入部しても、誰が誰やら、見分けがつきませんでした。

もちろん、自分のパートの後輩の名前と顔はすぐ覚えました。

でも、後輩全員の顔と名前は、1年経っても完全には一致していませんでした。

だから、クラリネットセカンドを吹いている○○さん、という風に言ってもらわないと、分かりませんでした。

 

2年生のコンクールでは、「パリの幻影」という曲を演奏しました。

この時に、ずいぶん和音の知識を得ました。

 

3年生の時

 

そして、3年生になりました。

二つ下の後輩が、2人入ってきました。

可愛い可愛い後輩でした。

そのころには、私もずいぶん吹けるようになっていたので、同学年の子と二人で、2人の後輩の指導をしました。

後輩の指導をすることで、私もずいぶん上達しました。

人に教えることは、自分のレベルアップの一番の近道です。

それを、この時に痛感しました。

だから、今でも人に教えるときには、自分も学びなおす気持ちでいます。

 

3年生のコンクールでは、「GR」を演奏。

分かる人は分かると思いますが、あの横山光輝の「ジャイアントロボ」の中で使われた名曲です。

この曲は、演奏しているだけで泣ける名曲でした。

そして、高校生活最後のコンクールの曲、最後の舞台で。

本番の舞台上で、今までの苦労を思い出し、泣きそうになりました。

 

そうして、私は無事、吹奏楽部を引退しました。

 

部活動で得たもの

 

人間関係では苦労しました。

でも、それ以上に、音楽に関する知識を手に入れることができました。

全員にフルスコア(指揮者用の楽譜)が配られ。

3年生は、そこに書かれている音から、これは何の和音で、どう組み合わせると綺麗に鳴るのか、ということも分かっていなければなりませんでした。

そして、セクション練習などでは、20名ほどを前にして、交代で練習を仕切ることもしました。

そのおかげで、私は人前で意見を言うことができるようになりました。

 

そういう意味では、辛かったけれど、非常に有意義な時間だったと思っています。

高校の授業と塾通い

高校の授業と塾通い

 

高校では、授業の内容が、中学とは格段に違いました。

あまりのスピードと内容のむずかしさに、だんだん授業についていけなくなりました。

特に、1年生の時は、数学は先生との相性が悪かったこともあり。

全く分かりませんでした。

他の子たちも、「数学の先生の説明が悪すぎる!先生を変えてくれ!」と担任に詰め寄ったくらい。

(このあたりが、頭のいい子たちが集まってるなって思う。普通、先生変えてなんて言わないよね・笑)

周りの子でさえわからないのだから、私にわかるわけがありません。

そのため、数学のテストでは200点満点の60点あたりを取っていました。

(200点満点なので、60点で赤点です)

 

前後の式のつながりが理解できない

 

私は、数学の式をきっちり全部書いてもらわないと、どうして前の式から次の式が出てくるのかが、わかりません。

ロボットアニメなんかの変形シーンがありますが、その変形前と変形後だけを見せられても、どうつながっているのかが分からないのです。

変形途中を順を追って教えてほしいのです。

ここで、かなり躓きました。

しかし、みんなが分からなくて悩むところは、私には簡単すぎて。

逆に、みんなが分かることが、私だけわからないのです。

これには、困りました。


覚えられない

 

他の授業も難しく。

英語の授業もダメダメでした。

毎週、単語テストがあるのですが。

その単語も覚えられず。

長文読解はまだしも、オーラルコミュニケーション(文法などの勉強)なんて、壊滅的で。

先生からは、「覚えようと努力しているか?」と聞かれること多数。

どんなに頑張っても、頭に入らないときは入らないのです。

そして、日本語のコミュニケーションでさえメチャクチャなのに、英語のコミュニケーションルールを学ぶなんて、無理な話です(苦笑)

 

意図が読み取れない

 

あと、国語の現代文は、まったくわかりませんでした。

文章は読めますし、意味も理解できます。

しかし、作者が何を意図しているのか?と聞かれても、全く分かりませんでした。

ただ、古典と漢文は割と点数が良かったです。

漢文なんて、ルールがきっちり決まっているので、それ通りに読んでいけばいいからです。

私は、白文(返り点をつけていない漢文)も、自力で返り点が付けられるようになっていきました。

 

カタカナがダメ

 

政治経済や、生物、日本史などの、覚えれば解けるような教科はそれなりの点数を取っていました。

ただ、世界史は、カタカナの名前が沢山出てくるので、全く覚えられませんでした。

 

授業が分からない、集中できない

 

そんな状態だったので、授業中は先生が何を言っているのか分からず、ぼんやりしていることが多かったです。

そして、テストの答えの解説の時に、先生が「ここは授業で説明したけど」と言ったことも、時々聞いた覚えのないことがありました。

友達に聞くと、「先生言ってたよ」というのです。

今から考えると。

私が、自分の世界に入り込んで、ぼんやりしていて聞いていたかったか。

もしかすると、てんかんの発作で一時的に意識が飛んでいたのかもしれません。

 

あまりに数学や英語の点数が悪いので。

私は塾に行くことになりました。


塾通い

 

私は、クラスで授業をする形式の塾はいやでした。

なぜなら、塾でまで友達づきあいをしなければならなくなるからです。

それと、学校の授業が分からないのに、塾でも授業形式でされると、塾の授業も理解できないと思ったからです。

そして、みんなが分かるところが分からなくて。

みんなが分からないところが分かるんだから、授業形式では意味がないと、もう分かっていたからです。



なので、近所の塾で、2人の生徒に1人の先生がついて指導する方式のところを選び。

本当は中学生までが対象でしたが、頼み込んで高校生の私も受け入れてもらいました。

私の前にも一人、高校生がいました。

私の後は、数人の高校生が入りました。

中学の同級生の女の子とも、一緒に授業を受けたことがあります。

 

2人の生徒に1人の先生がつくので、学校の宿題などを中心に勉強しました。

分からないところは徹底的に教えてくれました。

それで、大分助かりましたが。

数学だけはやはり、式と式の「間」が分からず、先生も私を持て余す状態でした。

 

どこがわからないのかがわからない

 

そして、一番困ったのが。

「どこがわからんの?」と聞かれても、「全部」としか答えられないことでした。

私は、「どこが分からないかが、分からない」状態だったのです。

だから、分からないから教えて、ということもできなかったです。

 

これは、今になってもそうです。

仕事で分からないところが出てきても、どこが分からないのかが分からないので、自分から聞くことが難しいのです。

だから、一つずつ、「ここは分かる?じゃぁ次は?」という風に、順番に確認してもらわないと、問題点が分からないのです。

 

こんな状態だったので、高校では、勉強でずいぶん苦労しました。

成績も、底辺のあたりでした。

医大病院に行くのを応援された?(通院)

医大病院の初診まであとちょっと

 

昨日は、メンタルクリニックの定期受診日でした。

いつものように朝イチで診察券を出しに行くと、9時40分には戻ってください、とのこと。

一旦帰宅して、ちょこっとやること済ませて、病院に戻りました。

 

新患さんが多い時期

 

病院に戻って、3人待ち。

受付の電話が次々と鳴っていました。

新患さんが多いらしく、予約が1か月待ちらしい…(;^_^A

時期が時期だから、仕方ない。

4月、5月はみんなしんどくなって、新患さんが増える時期なのです。

で、薬とかの関係で待てない人を、別の病院に案内していました。

大変だなぁ…。

 

待合で

 

待っている間、大声で独り言をいうおじさんが隣にいて。

うるさいなーと思っていました。

独り言と言っても、病的な独り言じゃなくて、普通の独り言だと思われます。

 

診察

 

診察室に呼ばれて、いつものように絵のコピーと、気分表を提出。

今回は、でこぼこれたー第4号も提出しました。

 

まず、絵を見る先生。

今回提出したのは、「サンピラー」と「かぶと」。

それを見ながら先生が何やら言っていたけれど、待合で声の大きなおじさんと、いつも2人組で来てうるさいおばさんたちが話はじめて。

すごくうるさくて気が散る。

 

続いて、先生がでこぼこれたー4号をじっくり見ていました。

写真の場所とか、化粧品の話とかして。

質問チャートを見ながら、「そうか、こういう風に考えてるんか…」と。

私が「普通の人は無意識にやってるんやと思う」言うと。

先生が「うーん、そうかもなぁ…こんな細かいとこまで考えてないと思う。この表が作れるのがすごい。逆に言うと、それだけ大変ってことやね…」と。

もりちゃんのおかげで、また一つ先生に大変さが伝わりました(*´ω`*)

 

待合ではお静かに

 

でこぼこれたーを見ていたときに、待合のおじさんの声がどんどん大きくなってきて。

先生が「ホンマに声大きいなぁ…」と言ったので。

「あのおじさん、うるさい」と言うと、先生が「一人暮らしで、家でしゃべる人おらんのよ…だからここでよくしゃべる」と。

しばらく放っておいたのですが、どんどんヒートアップするおじさん。

ついに、先生が受付のお姉さんを呼んで、おじさんに静かにするよう伝えました。

おじさん、怒られたー(笑)

病院では静かにしましょうって、教わらなかったのかなー?

 

気分表の解読

 

ようやく気分表の解読に取り掛かりました。

左手の指をハサミで切ってしまったことに気づかなかった、という話をして。

「その時も意識飛んでたかもね」って言われたので。

「というよりも、左手がしびれてて感覚がおかしい。指があることもわかってたし、見えてたのに切ったことに気づかなかった。だいぶん経ってからけっこうざっくり切れてることに気づいた」と言うと。

先生が真剣な顔になって、「それはやっぱり、ちゃんと医大で診てもらった方がいいかも…」と。

 だから、前からそういうてますやん(;^ω^)

 

医大に行けば、脳波は確実に取るやろうし、そのほかの検査も詳しくしてくれると思う。1日では終わらんと思うけど…」と。

もとより、その覚悟でございます(;´・ω・)

ついでに、「入院になるけど、寝てる間の脳波も診てもらった方がいいかもね」とのことでした。

 

ついでに、最近ツイッターでちょっと盛り上がった「怪盗キッドのIQが400あるのは、どうやってはかったのか」という話について、先生も「謎やな」と言っていました(笑)

 だって、WAISでは確か最高は160で、それ以上は測定不可能になるはず。

そもそも、あの快斗(キッド)が落ち着いてWAISを受けられるんだろうか?

問題をちらっと見て、全部ばーっと答えて正解して終わらせちゃうんじゃない?

っていう話をしていたのです(笑)

 

そんなどうでもいい話もして。

19日が医大の初診なので、「頑張って行ってきてね。何かとっかかりがつかめればいいんやけど…」ということで。

診察が終了しました。

 

ドキドキ

 

さてさて、どんな流れになるのやら。

 医大神経内科の受診、ドキドキです。

 

発達障害マガジン『でこぼこれたー』 第4号公開!

お待たせいたしました、でこぼこれたーの第4号が完成いたしましたので、お知らせします。

 

↓表紙

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関西のとある場所。

ラピュタの場所としてちょっと有名です。

 

↓目次

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↓お化粧やお肌の手入れのこと

 もりちゃんバージョン

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如月バージョン

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↓質問や相談って難しいよね…

 

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↓お楽しみ、4コマページ

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↓奥付

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↓PDF版

 

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夏の体調管理など、暑い夏を乗り切るアイデア募集中です!

 

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