「変人」は誉め言葉
変な奴
発達障害を抱えている人のほとんどが、一度は言われたことがあると思います。
「お前、変わってるな」
「変人だな」
そう言われて、傷ついた、という人も多いことでしょう。
しかし。
私は、それを褒め言葉として受け取っています。
開き直った
中学生や高校生の頃。
クラスにうまくなじめなかったり、周囲との関係をうまく構築できなかったり。
困ったことが、沢山ありました。
そのころの私は、「変人だな」って言われたら、傷ついていたことでしょう。
中学・高校時代を何とか生き延び。
大学に入って。
私は、「変人」という言葉は、褒め言葉だととらえるようになりました。
大学では、歴史学科に所属していたこともあり、先生も学生も、変わった人たちばかりでした。
勿論、仲良くなった友達も、変な奴ばっかり。
時々、このブログを見てくれている友達も、変わってます。
(怒るなよ~、ほめてるんだから・笑)
そのころから、私は、「変わっている」ことは、一つの個性であるととらえるようになりました。
開き直ったというかなんというか…(笑)
変わっているからこそ、人と違うことができる。
歴史を動かした人たちだって、変わった人たちばかりです。
世界がひっくり返るような、大発見をした人たちだって、周りから見れば「変人」ばかりです。
綺麗な曲を沢山作った人だって、ものすごく変な人だったりします。
凄い絵を描く人だって、「狂ってる」と言われていたりします。
私の高校の大先輩で、世界的に有名な博物学者も、「気持ち悪い」と言われていたそうです。
人とは違うという才能
「変」であることって、一種の才能なんじゃないのか?
というのが、今の私の考え方です。
それが何かの役に立つかどうかは置いておいて。
「他の人と違う」ということは、ある意味才能だと思うんです。
変わってるからこそ、違うものの見方ができる。
みんなが同じ角度から見ていたら解決できない物事でも。
みんなと違う角度で見るから、解決できる。
「変わっている」と言われて、落ち込んでいては何にもなりませんけど。
「変わっている」ことを受け止めて、上手に利用することができれば、それは才能となり得るのではないでしょうか?
そんなふうに考えているので。
私にとって、「変人」とか「変わっている」という言葉は褒め言葉であり。
そう言われることは、光栄なことでもあるのです。