障害か個性か
障害とは、個性か
「障害は個性だ」という言葉、ちらほら耳にします。
その言葉を聞くたびに、私は思います。
「障害って、本当に個性なの?」
障害って、個性と言い切れるんでしょうか?
逆に言うと個性は障害である…となりますが。
逆は必ずしも真ならず。
でも、現実ではそう簡単に割り切れるものではないと思うんです。
障害の程度や、障害の内容によっても、「個性」と言えるか「障害」となるのかは、変わってくるでしょう。
私にとって
そこで、考えてみました。
私の中で、障害は個性かどうかを。
私には、
★ADHD
★てんかん(もしくはほかの神経疾患)
★うつ病
の4つの障害があります。
一つずつ、考えてみます。
これは、結構特性に振り回され、二次障害まで発症しているので、私の中の感覚としては「障害」です。
言いたいことがうまく伝わらない。
言われていることの意味が分からない。
納得がいかないと行動できない。
多数派さんと感覚が違いすぎて、もう訳が分からない。
など…。
自閉症スペクトラム障害に関する特性は、私にとってマイナス面が大きいのです。
ですから、私は自閉症スペクトラム障害に関しては、「個性である」ということはできません。
★ADHD
これに関しては、私は「個性」ととらえてもいいかな、と思います。
というのは、私のADHDはそこまでひどくはないからだと思います。
重度のADHDであれば、生活にかなりの困難を伴うので、それは「障害」ととらえることになると思います。
ただ、私の場合は重度ではなく、頭の多動が生み出すアイデアが、作品を成立させているため、「個性」ととらえられると思うのです。
ADHDは、今のところ、プラスの面もしっかりとあります。
★てんかん(もしくはほかの神経疾患)
これはどう考えても、「個性」ではありません。
発作のたびに体力が削られる。
発作により、行動が制限される。
発作により、状態が悪化する。
マイナス面しかありません。
これはどう考えても、「個性」とは言えないでしょう。
ですから、私の中でてんかんは「障害」です。
★うつ病
これも、「個性」ととらえるには非常に苦しい部分があります。
うつ病の苦しさは、何も生み出しません。
ただただ、苦しいだけです。
時には、命さえ投げ捨てたくなります。
それを「個性」と言えるか?
言えないでしょう…。
障害≠個性
こうして考えると、私一人の中にも、「障害だけど個性だ」と言える部分と、「障害はあくまで障害だ」という部分が混在しています。
ですから、障害=個性という式は成り立ちません。
障害を個性ととらえて前向きに生きることは、よいことです。
しかし、障害はあくまで障害であり、それを受け止めることも大事だと思うのです。
それと、もう一つ。
「障害は個性だ」と発言していいのは、当事者もしくは当事者のことをよく知る人だけだと、私は思っています。
それ以外の人が「障害は個性だ」というのは、違うと思うんです。
障害を実際に経験したからこそ、「障害は個性」と言えると思うからです。
障害の軽重、障害の内容によって、それを個性ととらえるか障害ととらえるかは、変わってきます。
また、本人の苦痛の強弱によっても、変わってきます。
ですから、安易に「障害は個性だ」ということに、私は違和感を覚えます。
本人が心から「私は障害を抱えているけれど、これは個性です」という場合は、賛同します。
しかし、たとえ同じ障害であったとしても、それが全員に当てはまるわけではない。
人それぞれ、「個性」ととらえるか「障害」ととらえるかは違う。
そう考えています。