のんびり生きようと思えるようになった
焦り
最近、大丈夫か?というくらい、焦りがなくなってきています。
焦りは病気の症状でもあるので、焦りがないというのはいいことではあるのですが。
あんまりのんびりしてて大丈夫かなとおもうことも(;^_^A
仕事を辞めてすぐの頃。
早く次の仕事に就かなきゃ!と、焦っていました。
なぜ焦っていたのか。
無意識に、「仕事をしている」ということが、「社会とつながっている」ということだと、思い込んでいたからだと思うのです。
社会とつながっていない人間はダメだ、という思い込みも、ありました。
だから、仕事をしていない人間はダメだ、と思っていました。
生きているだけで社会とつながっている
でも、違うんですよね。
仕事をしていようがしていまいが、どこで何をしていようと、生きていさえすれば、それだけで社会とつながっているんですよね。
逆に、社会とつながらずに生きることは、絶対にできない。
生きようと思えば、食べ物も食べるし、水分も摂る。
食べ物は、農家さんが作ってくれているし、水だって、浄水場で働いている人がいるから、飲めるのです。
間接的にではあっても、生きているだけで、社会とかかわっているのです。
仕事って、何だろう?
仕事ができないことは、悪いことか?
そうではないと思うのです。
仕事の定義ってなんでしょう?
働いて賃金を得ること?
仕事って、一体いつできた言葉なのでしょう?
昔々、皆が自給自足をしていた時代。
生きるために働いていた。
それは、「仕事」と呼ばれていたのでしょうか。
どんなに苦しくても、一日一日を必死に生きる。
「生きる」ということ。
それは、大きなくくりでいう「仕事」になると思うのです。
賃金を得て、親孝行がしたい。
そんなことも、よく耳にします。
しかし、賃金を得るために体や精神を壊すことが、親孝行と言えるのでしょうか?
それなら、働けなくてもいいから、死にたくても、何とか我慢して生きていること、それだけで充分親孝行と言えるのではないでしょうか?
犯罪を犯さずに生きる。
それだけで充分、社会の役に立っているのです。
それだけでは満足できない、という人もいるでしょう。
でも私は、働けない分、まっとうに生きることで、社会に貢献しようと思うのです。
自分に合った方法で働く
もう働かない、と言っているわけではありません。
ただ、自分に合った働き方ができるチャンスが来るまで、焦らずにいようと思うのです。
外で働くのではなく、自分の体調を崩さない方法で、働こうと思うのです。
私は外で働くことに向いていないから、出勤しないで済む方法で働く。
外で働く方がいい人は、外で働く。
自分に合った働き方で、それぞれが働けばいいと思うのです。
働くなら、体調を整えて、長く続けられるようにすること。
それが、社会・会社に迷惑をかけない、ということ。
体調が整わないなら、無理に働くことはない。
決して裕福ではない
我が家は、決して裕福ではありません。
両親は少ない年金で暮らしています。
住宅ローンも、まだまだ沢山残っています。
つい最近、私の障害年金が2級に上がりましたが、それでも生活はぎりぎりです。
医療費がバカにならないのです…。
金銭的には、ランクは下の上くらいになるのでしょうか。
働けるなら、私も働いて、家にお金を入れるべきです。
しかし、働いて、精神的に不安定になって、家でパニックを起こしたり泣き叫んだりするくらいなら、のんびりと過ごして、安定した状態で家族と接する方が、よほど親孝行だと思っています。
働いているころは、酷い状態でしたから…。
働くよりも大事なこと
毎日、働かない分、いろいろと考えています。
生きるってなんだろう?
社会の役に立つって、どういうことだろう?
生きていくうえで、こんなことを考える時間があることは、本当に幸せなことだと思うのです。
こういうことを考えられることこそが、「人間らしい生き方」ではないか、と思っています。
だから、焦る必要はない、むしろ、焦ったらもったいない、と思います。