kaleidoscope

自閉症スペクトラム障害、ADHD、うつ病を抱える如月の万華鏡のような頭の中を、書き連ねていきます。わわわアールブリュット作家。

パニックの時の頭の中

私の中では

自閉っ子によくあるパニック。

私も時々、パニックをおこします。


パニックを起こした時。

私の中で、一体どんなことが起こっているのでしょう?

 

自分の感情がわからない

以前、歯の治療中に、パニックを起こしかけました。

その時の状況を思い出して、整理してみると。

「自分の感情が分からない」ということに理由があるのでは?と思い至りました。


パニックを起こす時。それは、嫌なこと、気に入らないことがあった時です。

でも、パニックを起こした時点で、自分自身、嫌な思いをしている、という感覚はなくて。

「嫌だ」という気持ちが、自分で理解できないから、行動で表してしまうのではないか?と思うのです。


歯科治療中に、実際に起きたことで言うと。

歯を削るときの振動が気持ち悪くて。

そのあとも、大嫌いなミラーを使ったり。

私の我慢は、限界でした。

そして、その状況から逃げようと、ちょっと暴れました。


その時、私の中では、もやもやとしたよくわからないものが、ぐるぐると渦巻いていて。

頭の中を、かき乱していきます。

暫くは 、そのもやもやをおさめようと、冷静になろうと、努力していました。

しかし、竜巻のようなぐるぐる渦巻きは、どんどん勢力を増し。

ついに、私の手に負えなくなり。

頭の中には、嵐が吹き荒れました。


その時点で、どっかん爆発。

頭の中はぐちゃぐちゃで。

自分の行動をコントロールするなんてことは、もう出来なくなっていて。

ぐるぐる渦巻きから逃れようと必死で。


「もうちょっとだけ我慢してー」という、歯医者さんの声に、我に返りました。

先生の一言で、頭の中の嵐は去り。

再び、冷静になることができました。

「我慢」という言葉を聞いて初めて、「あぁ、私は嫌なことを、必死に我慢していたんだ。」と気付きました。


後からその時のことを思い出して、よく考えてみて。

ぐるぐる渦巻きは、「嫌だ、やめて!」という「気持ち」だったことを、理解しました。


その場では、自分が「嫌だ!」と感じていたなんて、理解できていませんでした。

とにかく、なんだかよくわからないものに襲われて。

我を失った。

そんな感じです。

 

パニック時に必要なこと

パニックの時に、静かに、短く声をかけることが大事だということ。

それは、正しいと思います。

自分の状態を理解させてくれる言葉が、必要だと思います。

それがないと、自分がどうしてパニックを起こしているのかも、分からない。


静かな場所で、クールダウンすることも、効果的だと思います。

頭のぐるぐる渦巻きが、早く去ると思うからです。

ぐるぐる渦巻きの最中に、あれこれ指示されたり、うるさくされると、渦巻きは余計に勢力を拡大します。


ある程度、「嫌だ」が分かる状況であれば。

自分で「嫌だからやめて」と言うこともできるでしょう。

「○○が嫌だ」と伝えられれば、パニックは起こさずに済むでしょう。


しかし、その「嫌だ」を理解する前に限界が来てしまったら。

その時は、もうパニックを起こしてしまうしかありません。

あっちにも、こっちにもいる

結構身近にいる

以前、栗原類さんが、NHKの番組で、自身がADD(注意欠如障害)の当事者であることを、公にしました。


正直、びっくりはしませんでした。

変な人だなぁって思ってましたから。

(ただ、話を聞いているとどうも、ADDよりもASDではないのか?という疑問が浮かびましたが…)

 
最近は有名な人たちも、発達障害であることをカミングアウトしているし。

身の周りにも、発達障害だっていう人が結構いるし。

本人も周りも気付いていないけど、その気があるなっていう人も、結構いるし。

発達障害って、思ってるより世の中にたくさん存在するんじゃない?って思うんです。

 

コミュニティが作れるかも

今はまだ、発達障害の人の人数って、少ないように思われますけど。

実は、全員が集まれば、一つの自治体を運営できるくらいの人数が、充分いるのではないかと思います。

下手をすれば、近畿地方とかみたいに、地方が一つ出来ちゃうんじゃないかと、思うんです。


割合的には、発達障害者はまだまだ少数派かもしれません。

でも、定型さんに遠慮するような少なさではないんじゃないかと。

 

発達平坦症候群

もし、発達障害の人の数が、定型さんを上回る人数になったら。

今とは逆に、定型さんは「なんでも平均的にできるけど、面白くない人」っていうくくりに入れられて。

「普通すぎて、人生楽しくないんじゃない?」とか言われちゃったりして。

「発達凸凹症候群」じゃなくて、「発達平坦症候群」とか言われちゃったりして…。

 

当たり前の存在

今は、発達障害ってなにか特別なもののようにとらえられていますけど。

だんだんと、「あれ?あっちにも、こっちにもいるじゃない。なんだ、びっくりするようなことじゃないんだな」って思われる世の中になっていくんじゃないかな。


一人一人が生きやすい世の中になることを目指して。

みんなが違うことが「当たり前」だという認識が、世間に広まって。

みんなと違うことは悪いことではない、という感覚がもっともっとひろまって。

豊かな社会になればいいな。

自閉は例えるならMT車

自動では動かない

人間は、生きる上でのいろいろな動作を、自動で行うようにできています。

目に入る景色から、必要な情報と必要でない情報を瞬時に選り分け、必要なものだけ見る。

耳に入る音から、必要な音と必要でない音を瞬時に選り分け、必要な音だけを聞く。

そういう、無意識に行われている情報の処理。


少数派である自閉症スペクトラムの人は、そのような、生きる上でのいろいろな処理を、手動で行っていると言われています。

だから、生きているだけでも、多数派さんよりも多くのエネルギーを必要としていて。

すぐに疲弊してしまう。

 


例えるなら、路上を走るMT車

最近では、街中を走る車のほとんどが、AT車です。

AT車は、面倒な作業を自動で行ってくれます。

MT車よりも作業が少ない分、簡単に運転することができます。

私でもエンストすることなく、スムーズに運転ができます。


それに比べて、MT車は、慣れないとふとした瞬間にエンストする。

手順を間違えればエンスト。

交差点でエンストしたら、大変です。


周りのAT車は、みんなすいすい走って行きます。

これは、人間で言うなら、自動で生きている多数派さん。

ちょっとしたことでエンストしてしまうMT車。

エンストするたびに、「邪魔だ!」とクラクションを鳴らされる。

これは、人間で言うなら、こまかい手動作業が必要な、少数派さん。


いつもと順番が違ったり。

入力のコマンドが少しでも違えば、エンストしてしまうのです。

そのエンストというのが、「パニック」にあたるものだと思うのです。

 

パニックにも、いろいろな形態があります。

泣き叫んだり。

壁などに頭を打ち付けたり。

その他の自傷行為だったり。

一見パニックに見えない、「フリーズ」だったり。


フリーズタイプの人は、完全に「エンスト」状態ですよね。

頭のエンジンが止まってしまって。

何も考えられなくなって。

行動することもできなくなる。

 

うまく走りたい

AT車の中で、エンストすることなくすいすい走るためには、MT車の運転に慣れなければなりません。

 

車なら、しばらく運転すれば慣れることでしょう。

しかし、人間の場合、もっと複雑な作業をしているので、なかなか慣れることができません。

自動で動かない身体に、いちいち細かい指令を出しながら、何とか人の邪魔にならないように生きていく。

それは、とても労力のいることです。


しかし、車のように、MT車は面倒だから、AT車に乗り換えよう!

なんてことは、できません。

生まれてきたMT車仕様の身体で、生きていくしかないんです。


AT車に混じって街中を走るMT車のように。

上手く「世間」という道を走って行けたらなぁ、と思います

約束することが怖い

体調が保証できない

私は、約束をすることが、怖いんです。

約束の中でも、確約するのが一番怖い。

なぜかって?

確約すると、その約束は絶対に果たさなければならないからです。

 

体調がよくないことが多くて、その約束の日に、必ず約束を果たせる自信がありません。

その日に向けて、どんなに体調を整えていても。

当日になってみると、体調が悪い、なんてこともよくあります。

 

ルールに忠実

「約束を破ってはいけない」。

これは、小さなころから言われ続けてきて。

私の中に、確固としたルールとして、存在しています。

約束を破るということは、そのルールを破るということです。

ルールを破るということは、私の存在が揺らぐことです。

命を失うくらい、恐ろしいことなのです。

 

約束を破ってしまう可能性があるときに、約束をすること。

それは、私にとって、不安でしかないのです。

「約束を守れないのは、いけないことだ。」

「約束を守れないかもしれない。どうしよう。」

 

そんな不安が、どんどん膨れ上がって。

不安で押しつぶされそうになって。

たまらなくなります。

約束なんてしなきゃよかったと、後悔の毎日を送ることになります。

我慢ができなくなって、約束自体を断ってしまうこともあります。

 

逃げられないと思い込んでしまう

どうしても約束をする必要があるときは、「体調がよければ」と付け加えるようにしています。

直前になるまで、参加できるかどうか、分からないですよ、と説明を付け加えます。

それでも、相手が私が参加することに大きな期待を寄せていると、とても苦しくなります。

 

相手は、私が参加することを望んでいる。

でも、私はその日になるまで、参加できるかどうか、わからない。

ドタキャンは失礼なことで。

相手を悲しませる。

迷惑をかける。

やっぱり、約束なんてしなきゃよかったー!!

って、パニックを起こします。

 

約束をしても、当日キャンセルOK!

ドタキャンくらい、構わないよ!

体調が悪いなら、しかたない!

って、笑い飛ばしてくれる人との約束なら、できるんですけど…。

なかなか、難しいものです。

体調不良がデフォルト

体調不良ってなに?

常々、不思議に思っていたことがあります。

それは、「体調不良なので休みます」という言葉。

 

体調不良の内容を聞いてみると、大抵、こんな返事が返ってきます。

「頭が痛いです」

「お腹が痛いです」

「だるいです」

「風邪です」

 

この中で、「風邪です」というのは、理解できます。

私も、風邪を引いた時はいつもとは違うしんどさがありますから。

しかし、「頭が痛い」「お腹が痛い」「だるい」というのが、体調不良に当てはまるのか?

それが、理解できませんでした。

 

それが最近、どうやら多くの人にとって、頭痛や腹痛は充分体調不良である、ということが理解できるようになりました。

逆に言うと、なぜ私にとって、頭痛や腹痛は体調不良とは認められないのか?ということが、理解できました。

 

ずっと体調不良だった

メンタルクリニックでは毎回、先生が、気分・体調表を解読し。

私が今どういう状態なのか、教えてくれます。

先生曰く、「調子のいい日は、春過ぎに10日ほど。秋ごろに10日ほど。一年で20日くらいしかないね。」と。

 

そこではじめて、私はずっと体調が悪いのだということを、知りました。

私は、自分では常に体調がいいつもりでした。

自分で自分が、「しんどい」ということに、気が付いていませんでした。

多くの人から見れば、私は常に体調が悪い状態だったのです。

 

頭痛なんて、日常茶飯事。

腹痛だって、一週間に何度もある。

怠くない日なんて、ない。

 

それが、普通のことだと思っていました。

だから、「なぜ周りの人は、頭が痛いとか、お腹が痛いくらいで、学校を休んだり、仕事を休んだりするんだろう?」と、ずっと不思議だったのです。

 

私にとって、当たり前のことが、周りの人にとっては当たり前ではない。

逆に、私の方が、多数派さんから見れば、変だったのです…。

 

体力がない

私の今の体力は、4歳の幼児くらいだそうです。

お昼寝を2時間しないと、夜まで体力が持たない…(;^_^A

てんかん様の発作がおさまらないこともあり、体力は消費されていく一方で。

なかなか、回復してくれません。

 

そんな状態で、よく6年も働いていたなぁと、感心する一方。

身体を酷使していたことを、思い知らされました。

そりゃぁ、精神も身体も壊すわけだ…。

 

体調がわからないのは大きな問題

自分の体調が分からない。

ずっと体調不良のまま生きてきたから、それが当たり前だと思ってしまう。

そして、「無理をしている」ことが分からないまま、無理を続けてしまう。

挙句、身体を壊し、精神を病む。

 

発達障害の二次障害の原因は、自己肯定感の低下にあると言われますが。

案外、「自分の体調が分からない」ということも、原因の一つなのかもしれません

友達がいない

地元に友達がいない

私には、普段一緒に遊びに出かけるような友達はいません。

今でも友達と呼べるのは、大学時代のメンバーだけ。

あと、最近新たに出会った人たち。


今、友達と呼べる人たちは、みんな遠くに住んでいます。

地元には、誰ひとり、友達はいません。


元職場のメンバーとは仲はいいけれど。

飲みに出かけることはあっても、一緒に遊びに行くことはありません。

みな、それぞれのプライベートな時間があります。

だから、「友達」とはちょっと違います。


小・中学校で一緒に遊んだ友達とも、疎遠になっています。

私にとって、目の前にいない人は、死んだも同じなのです。

付き合いがなくなって、疎遠になって会わない人も。

あの世へ行ってしまって、会えない人も。

存在として、大差はありません。


高校時代は、一緒に遊ぶ友達なんていなかったし。

そもそも、話が合わなかったし。

高校時代、友達と出かけたことなんて、一度もありません。


地元に友達がいないんです。

だから、普段誰かに誘われてちょっと出かけるなんてことも、ありません。

元職場のメンバーとの飲み会が、唯一、地元でちょっと出かける機会です。

 

寂しくはないけれど…

元々、地元に友達がいないので、寂しいと思ったことはありませんが。

ネットで繋がっている人が、「友達と遊びに出かけた」というと、少々羨ましくもあります。

やっぱり寂しいのかな?


「友達がいない」と言うと。

大概の人は、「全くいないってことは、ないやろう?」と聞きます。

確かに、大学時代の友人など、数名はいますから、全く友達がいないわけではありません。


でも、「地元に友達がいない」のは、本当なんです。

一年のほとんどの時間を過ごしているこの地に、友達はいないのです。

 

友達がいるって、素敵なこと

友達がいることは、当たり前。

地元で、友達と遊びに出かけることは、当たり前。

そう思っている人の、多いこと。


友達と遊びに出かけるって、とっても幸せなことなんですよ?

どうかみなさん、お友達を大切に。


受動型だと思っているけれど。

実は孤立型なのかなぁ、と思うこのごろです。

心理テストの選択肢

選択するのが至難

病院やネットでする、心理テスト。

病院のテストはともかく、ネットで心理テストをしてみたことがある方も、多いと思います。

その心理テストで思うこと。

 

心理テストの選択肢って、大抵、1~5段階くらいに分かれていて。

「とてもあてはまる・まあまああてはまる・どちらともいえない・あまりあてはまらない・まったくあてはまらない」

という選択肢になっていると思います。

 

質問に対する回答が、明らかにあてはまる!とか、あてはまらない!なら困らないんですが。

「○○の場合には当てはまるんだけど、○○以外の時には当てはまらないんだよな」とか。

「○○じゃなければそうなんだけど、○○だとどうかな~」っていう場合があるんです。

 

そんなとき、どれを選んでいいかわからない!

「どちらともいえない」を選べばいいじゃないか、と思われるかもしれません。

しかし、どちらともいえない、という選択肢は選べないんです。

 

どちらともいえないってどういうこと?

なぜかというと。

「どちらともいえない」って、意味が分からないからです。

どちらともいえないって、どんな状態?

「あてはまる」わけではないけど、「全く当てはまらない」わけではない状態?

なら、「まぁまぁあてはまる」か、「あまりあてはまらない」という回答になるのでは?

そう考えると、「どちらともいえない」の意味が分からなくて。

混乱してしまいます。

 

だから、どうにかして、どちらかのカテゴリに分けてしまおうと、必死で考えます。

だから、簡単な心理テストでも、回答にとても時間がかかってしまいます。

 

最近では、確率として、80%以上あてはまったら、「とてもあてはまる」を選択しよう。

30パーセント~80%くらいなら、「まぁまぁあてはまる」にしよう。

そんな風に、ある程度自分で基準を作って答えます。

 

病院でも、心理テストのみで診断をするわけではなく。

あくまで診断の補助として使うだけだと知って。

ある程度、適当に答えられるようになりました。

「ちゃんと答えなきゃ!」っていうプレッシャーが、余計に頭を混乱させるんですよね…。

 

発達障害の特性である、オール・オア・ナッシング(全か無か)思考の弊害が、こんなところにも出ています。

白黒はっきりしないものは、本当に苦手です。