体力について
燃費の良しあしはそれぞれ違う
以前、発達障害を抱える人の中にも、体力がある人とない人がいる、という記事を書きました。
私は、体力がない系の発達障害です。
昔から、体力がなくて。
すぐに疲れます。
体力がある人とない人がいるのは、多数派さんでも同じです。
みんなそれぞれ、持ち合わせている体力が違います。
また、消耗した体力を回復する力も、違います。
トレーニングでどうにかなるものではない
体力がない人に対して、「筋トレすれば?」とか「運動不足なんじゃないの?」なんていう言葉をかける人がいます。
発達障害の当事者同士であっても。
確かに、体力がない人の中には、単に運動不足だとか、筋力不足の人もいるでしょう。
しかし、体力がない人の中には、「生まれつき体力がない」人もいることを、忘れてはいけません。
みんながみんな、同じ効率のエンジンを持って生まれてきているわけではないのです。
運動をすれば、更にエンジンを効率よく使えるようになる人もいるでしょう。
しかし、そもそも燃費の悪いエンジンを持って生まれてきた人にとっては、運動すること自体が大変な負担になるのです。
もともとない体力を消耗してまで、体力を増やすような真似は、自殺行為です。
そんなことをするくらいなら、如何に少ない労力で最大の効果を発揮するか、ということを考えたほうが、建設的です。
また、如何に効率よく体力を回復させるか、温存するかを考えたほうが、身のためでしょう。
背景はみんなちがう
体力がない人にとっては、ちょっとした外出でも、サバイバルです。
沢山の人にもまれ。
沢山の刺激に耐え。
どうにかこうにか、目的地に到着し。
用事を済ませ。
再び、酷い刺激の中を帰宅する。
精神疾患を抱えていたり。
発達障害を抱えていたり。
身体的な病気を抱えていたり。
世の中には、いろんな条件の身体で生きている人が、沢山います。
疲れやすい身体を引きずって、何とか生きている人が、沢山いるのです。
自分がたまたま元気な身体だからといって、ほかの人も同じ条件である、と考えるのは危険です。
外出できる体力があることは、幸せなことなのです。
働ける体力があることは、幸せなことなのです。
行きたいところに行ける体力があることは、幸せなことなのです。
だからといって、体力がない人は不幸ではないし、それを悲観する必要はないと思います。
体力がある人のことを、羨ましく思うのはよくわかりますが…。
何事も、自分に合ったペースで、楽しめばいいと思うのです。
体力はいつまでもあるものではない
自分は大丈夫だと思っている、体力のある方々。
いつ自分も、体力のない人の側に立つことになるかもしれません。
年を取って、体力がなくなることもあるでしょう。
病気になって、体力がなくなることもあるでしょう。
「自分は大丈夫だ」と思うのではなく。
少しだけ、想像力を働かせて。
「もし、自分が体力がなくなったら、どうなるんだろう?電車で立っていられるだろうか?毎日働けるだろうか?外出できるだろうか?」
と、考えてみてください。
いつ、その日がやってくるかなんて、わからないのです。
私だって、外出も躊躇するような日が来るとは思ってもいなかったのですから…。