kaleidoscope

自閉症スペクトラム障害、ADHD、うつ病を抱える如月の万華鏡のような頭の中を、書き連ねていきます。わわわアールブリュット作家。

屁理屈?いいえ、理屈です

理屈っぽい?

昔から、理屈っぽい子だと、よく言われてきました。

今でもそう言われますし、自分でもそう思います。

 

とはいっても、ただ理屈っぽいのではなく、理屈で理解しないと納得しないのだ、と自分では思っています。

その考えに至った理由を分かってもらおうと、説明することが多かったこともその原因かもしれません。

 

屁理屈ってなんだ?

しかし、私の感覚は、周りとは違っていましたし、考え方も、周りとは違っていました。

そのため、私がどんなに理由を説明しても、「屁理屈を言うな!」と怒られるばかり。

私にとっては屁理屈ではなく、正当な理由があるにもかかわらず、そういわれてきました。

 

私の感じていること、考えていることが、周囲の人間には分からなかったのでしょう。

感じ方が違っていることに、気付いてもらえていなかったために、私の説明は、すべて否定されました。

挙句、「屁理屈」と言われてしまいました。

 

ものを考える道筋がちがう

私が物事を考える道筋は、多数派とは違っているようです。

そのため、考えたことを、考えた順番に人に伝えても、なかなか理解してもらえないのです。

思考に大きな飛躍があるためかもしれません。

多数派は、その飛躍についてこられないのかもしれません。

 

自閉っ子が何か問題行動を起こした時。

問題発言があった時。

その理由を尋ねても、多数派には理解のできないことかもしれません。

でも、自閉っ子には自閉っ子なりの、理由が存在します。

それは、多数派には思いもよらない理由かもしれません。

それでも、本人には筋の通った理屈なのです。

 

なので、屁理屈だとか、言い訳をするななんていう言葉で、片づけてしまわないでください。

屁理屈なんかじゃありません。

酷くまじめな、理屈なのです。

屁理屈を言うことができない種類の人間なのです。

非常に正直に、物事のいきさつを話しているだけなのです。

 

それぞれの理屈がある

多数派には多数派の、少数派には少数派の、それぞれの理屈があってもいいではありませんか。

多数派が必ずしも正しいわけではないのです。

ただ、多数派の考えを「正答」とすることで、世の中をまとめているに過ぎないのです。

その多数派の意見に合わないことを屁理屈だと言って、無視をしていては、人間も、社会も、高度になることはできないと思います。

 

大事なことなので、もう一度言います。

屁理屈ではありません、理屈です!!