オール・オア・ナッシングの思考
約束が怖い
生活していれば、いろいろな場面で、他人と「約束」する機会があります。
出かける約束。
仕事の約束。
用事の約束。
私は、その約束が怖くてなりません。
なぜなら、「約束」は、「守らなければならないもの」だからです。
約束は守るべきもの
小さいころから、「約束を破ってはいけない」と教わってきました。
「約束を破ることは、悪いことだ」と。
それは、絶体のルールとして、私の中に埋め込まれました。
だから、私にとって、約束が守れないということは、ルールを破ることで。
命を取られるに等しい恐怖があります。
自分の体調に自信が持てないとき。
これから先の予定が分からないとき。
「○日に遊びに行こう!」と言われても。
もしかしたら、その日体調が悪くて、キャンセルしなきゃならないかもしれない。
そうしたら、約束を破ることになる。
約束を破ることは、悪いことだ。
でも、約束しないと、相手の予定が立たない。
どうしたらいいんだー!
と、パニックになります。
約束したら約束したで。
その日、絶体に約束を守れるように、体調を整えておかなきゃ!
というプレッシャーに、押しつぶされそうになります。
そのプレッシャーに耐えられず、約束をしてしまったことを後悔したり。
数日前に約束をキャンセルしてしまったり。
どんどん、自分を追いつめてしまいます。
約束の内容が、どんなに楽しみなことでも。
「約束を守らなきゃ!」というプレッシャーに、負けてしまいます。
約束の内容が、気の進まないことならなおさらです。
もう、その約束を終えるまで、パニックです。
ずっと、不安なままです。
全か無か
それもこれも、「0か100か(全か無か)」という、考え方の特性のせいでもあります。
「約束は、守れないこともある」という、例外がないのです。
理屈として、例外があるということを理解していても。
どうしても、それが納得できないのです。
約束は、「守る」か「破る」かしか、ないのです。
「守れそうにない場合は、キャンセルしてもいい」という思考が、どうにも納得できないのです。
そのせいで、「約束すること」自体が恐怖になっています。
なかなか変えられない
自分の考え方の特性、認知特性を把握していても、対処しきれない場合もある。
自分の中のルールを書き換えるには、膨大な時間が必要なのです。
生きていく中で、とても困ったことです。
それゆえ、「障害」であるんですけれど…。