kaleidoscope

自閉症スペクトラム障害、ADHD、うつ病を抱える如月の万華鏡のような頭の中を、書き連ねていきます。わわわアールブリュット作家。

不調がわからない

なぜかパニック

 

ある大雨の日のことです。

もともと、聴覚過敏の私は、いつも以上に音に敏感になり。

二つ隣りの部屋から聞こえてくる、テレビの音が気になって気になって。

それでも我慢していたのですが、ついにイライラどっかん!

パニックになり、イライラしながら「テレビの音がうるさい」と親に訴えました。

 

普段なら、もう少し我慢できるのですが。

その日は、どうにもこうにも、我慢ができませんでした。

うるさいと訴えた後、親は買い物に出かけたので、家の中は静かになり。

私は、そのままお昼寝タイムに突入。

 

お昼寝から起きたとき、母に言われました。

「今日は、調子が悪いのか?」

 

そう聞かれてはじめて、朝から怠くてたまらなくて。

一瞬身体から力が抜けたり。

些細なことにイライラしたり。

自分の体調が良くなかったことに、気づきました。

 

不調に気づかない

 

前にも書きましたが、私は、自分が「しんどい」ということが分かりません。

喉が痛かったり、お腹が痛かったり、頭が痛かったり。

痛いということは、分かります。

身体が怠いというのも、最近何となく分かるようになりました。

しかし、それ以上の「不調」が、よくわからないのです。

なぜか分からないけど、とてつもなくイライラする。

そんな程度の感覚しかないのです。

 

いつもは我慢できることが我慢できないときは、結構体調が悪いみたいです。

我慢するための体力が、残っていない状態なんでしょうね…。

 

母に指摘されるまで、自分の不調に、全く気付かなかった。

指摘された後で、不具合が起こり、本当に体調が悪いのだということが、分かりました。

 

不調のサインに気づくこと

 

普段は平気なものに、パニックを起こす時は、不調なとき。

休まなければならないとき。

きちんと覚えて対処しないと、どんどん体が壊れてしまいますね…。

 

多数派さんは自動でできていることが。

こんな風に、一つずつ手動で調整していかなければならない。

なかなか面倒です。

1人の時間はとても大事

1人の時間

 

私にとって、ひとりになる時間って、とても大事です。

ひとりになる時間がないと、疲れ切ってしまいます。

 

相手が、どんなに信頼している人であっても、それは変わりません。

家族でさえ、四六時中一緒にいるなんて、苦痛なんです。

 

気を使う

 

誰かと一緒にいるっていうことは、それがどんなに仲の良い相手でも、気を使わなければならない、ということです。

親しき仲にも礼儀あり。

それは、とても大事なことです。

だから、できる限り、親しい相手であっても気を使いたい。

 

そうすると、安らげるはずの家の中であっても、神経をすり減らすことになってしまいます。

1人暮らしができればいいですが、収入もないし、それは無理。

家事を全てこなすことも、無理。

 

ほっと一息の場所

 

職場でも、1人になって、ほっと一息つける場所が必要で。

誰も休憩室にいない時間帯を狙って、休憩したり。

少し広いトイレで、一息ついたり。

 

誰かと出かける場合であっても、トイレで一息ついたり。

泊りがけで出かける場合は、お風呂は大浴場ではなく、部屋の風呂に入って、一人きりになる時間を作ったり。

 

いろいろと工夫をして、ずっと頭を使って、気を使って、神経をすり減らすことのないようにすることが、必要です。

でないと、私が爆発してしまいます。

高ぶった気持ちを一旦リセットする、という意味でも、必要なことです。

 

カームダウン

 

イライラした時のカームダウンと同じように。

楽しくて興奮している時にも、カームダウンは必要なのです。

 

狭くて落ち着ける場所。

トイレの個室や、風呂場は最適の場所です。

 

最近では、「ぼっちテント」というものが販売されているようです。

小さなテントで、狭い場所で一人きりになれるものです。

ぼっちテントが手に入れば、部屋にもそういう場所が作れるのに…。

そしてそれが、簡単に持ち歩ければいいのに…。

低気圧に弱い

低気圧は大敵!

 

私は、低気圧に弱いです。

低気圧が来ると、身体が怠く重くなって、ナメクジのようになります。

自閉系の人は気圧によってテンションが左右されることも、ままあるようです。

 

低気圧が来るとき

 

低気圧が来る前。

まだ空が晴れているときに、怠さがやってきます。

妙にテンションが上がって、おかしくなることもあります。

やたらしんどいな、と思った時には、「頭痛ーる」という、片頭痛専用アプリを確認します。

すると、数時間後に急激に気圧がさがる、という予報が出ていることがほとんどです。

 

怠さがしばらく続いた後。

少し空が曇りだしたころ、今度は、息苦しさがやってきます。

咳喘息も持っているので、低気圧が喘息に影響を及ぼすのです。

俗にいう、「気象病」というやつです。

窒息するほどではありませんが、呼吸が浅くなって、いつもよりもエネルギーを使う感じになります。

内科の医師曰く、酷い人なんかは、南の海で台風が発生したことも分かるそうです。

すごいな。

 

そのころには、軽い頭痛が始まります。

めまいも、出てきます。

とにかく、座っているので精一杯、といった状態になります。

 

そして、空の雲行きがどんどん怪しくなっていきます。

雨が降る直前、気圧が一番下がったころ。

頭痛は、本格的に片頭痛になります。

こうなると、ロキソニンの出番です。

しかし、少し早めに飲まないと、ロキソニンの効きも悪くなります。

ここまでくると、もうグダグダです。


こんな状態なので、梅雨や長雨の時期は、凄くしんどいです。

台風が来たときなんか、動けなくなります。

それでも、仕事をしていた時は無理やり動いていました。

 

本能?

 

低気圧の何が、そうさせるのでしょうか。

気象病については、気圧と体調の関係は指摘されているものの、何がどう影響しているのかは、はっきりとは分かっていないようです。

 

もしかしたら、雨や風を避けるように、インプットされているのかもしれません。

野生の動物にとって、雨や風にさらされることは、命の危険にさらされることと同じです。

だから、なるべく動かないように、わざと身体を怠くするんじゃないか、と思っています。

あくまで、私の勝手な見解ですけど。

 

人間の中でも、どちらかというと、動物に近い感覚を持つ自閉系の人間が、気圧に左右されやすいことも、そんなことが原因なのかもしれませんね。

紙に書いた文字は読みにくい

電子化はありがたい

 

紙に印刷された文字が、読みにくい。

キンドル電子書籍を読むための端末)を使って、はじめてそのことに気が付きました。

 

私はずっと、紙媒体の本を読んでいました。

読書は好きなのですが、本を読むのに人よりも時間がかかってしまいます。

おなじ行を何度も読んでしまったり。

2・3回同じ文章を繰り返して読まないと、全く頭に入ってこなかったり。

目線が違う行に飛んでしまったり。

見開きページの全体を、ぼんやりと眺めてしまったり。

 

キンドルで文章を読んで、びっくりしたのは、とにかく読むスピードが少なくとも2倍になったこと。

一度読むだけで、すっと頭に入ってくる。

それには、本当に驚きました。

 

なぜ読みやすいのか

 

キンドルでは、一度に表示される文字数が、だいたい紙媒体の本の半分。

見開き半分の量です。

だから、視界が文字でいっぱいになってしまうことがない。

視界の中にいろんな文字が一度に入ってきて、目線があちこちへ飛んでしまっていたのが。

情報が半分になることで、目線を一定の場所に固定することができるようになった。

それが、読むスピードが速くなった理由だと思います。

 

あと、コントラストの問題も、あるような気がします。

紙の本だと、白と黒のコントラストが強くて、まぶしいのです。

そして、光が当たると、紙も、印刷のインクも、ぴかぴか光って見えます。

キンドルでは、背景は白ではないので、コントラストも強すぎず。

画面は光っても、一つ一つの文字が光るということはありません。

何というか、紙媒体よりも、全体的に視覚刺激が柔らかい気がするのです。

 

LDの子どもにタブレット端末を使わせると、勉強がしやすくなるという報告もあるようです。

そこには、単に「文字を書かなくていい」とか、「読み上げ機能がある」というだけではなく、私が感じたような理由もあるのかもしれません。

 

まだまだ

 

キンドルで本が読みやすくなったから、どんどん読んでいこう!

と思うのですが。

まだ、電子書籍化していない本が、沢山あります。

もっと電子書籍が増えてくれれば、私も沢山本が読めるのに…。

出版業界の方々、期待してますよ!(笑)

大嫌いだったプールの授業

学校のプールの授業

 

暑い夏にはプールに入りたくなります。

プール自体は大好きなのですが、学校のプールの授業は大嫌いでした。

 

小学校・高校と、夏にはプールの授業がありました。

中学校は、珍しくプール設備がない学校で、夏は保健体育の授業をしていました。

 

着替えに手間取る

 

プールに入るには、まず、水着に着替えなければなりません。

小学校の低学年の頃、私は着替えが遅く、通常の体育の授業の時でも、一番最後に教室を出るくらい、遅かったのです。

 

水着の着替えって、体操服の着替えよりも時間がかかります。

幼稚園の時は、男女ともパンツ一枚でプールに入っていましたから(当時はそんな状態だった)、服を脱ぐだけで済んでいました。

それが、小学校に上がって突然、水着に着替えなければならなくなりました。

 

しかも、幼稚園の時とは違って、ちゃんとタオルで体を隠して着替えるよう、指導されます。

タオルで隠してしまったら、ただでさえ、身体にまとわりついて着替えにくい水着が、一層着替えにくくなってしまいます。

それで、もたもたしているうちに、またしても教室を出るのは一番最後に…。

 

目が痛い

 

プールに入ったら入ったで、水の中で目を開けていられず。

塩素が入っている水なので、すごく目が痛いのです。

でも、ゴーグルをつける許可は、もらえませんでした。

 

それでも、水中で目を開ける練習のため、目を開けなければならないゲームをさせられます。

たとえば、水中じゃんけん。

私は、どうしても目が開けられないので、水中では目を閉じ、水面から顔を出した時に、相手が「勝った」「負けた」というのを聞いて、自分の勝ち負けを判断していました。

だから、先生にばれることはありませんでした。

 

他にも、プールにプラスチック製の積み木のようなおもちゃを投げ入れて、それを拾うゲームもありました。

目を開けて、底まで潜らなければ拾えません。

 

私は、水が怖いわけではありません。

水泳教室に通っていましたし、水に顔をつけたり、もぐったりするのは平気でした。

でも、痛くて水中で目を開けられないので、そのおもちゃを拾うゲームも嫌いで。

たびたび、潜らずに足でおもちゃを掴んで拾い上げるということをしていました。

足は器用なので(笑)

 

体温調節と体力の問題

 

それだけではなく。

私は、体温調節が苦手で。

プールに入ると、すぐに体温が下がってしまって、唇が紫になります。

そして、どんどん体力が奪われていきます。

水の抵抗があるので、普通に体を動かすよりも、体力を消耗します。

 

そして何より、クラスで一番体が小さかった私には、プールが深くて。

常にあっぷあっぷしている状態で、ぴょんぴょん飛び跳ねていなくては、溺れてしまいそうで。

それが余計に、体力を消耗させました。

 

授業どころじゃなくなる

 

小学校低学年の、遊びのようなプールの授業でさえ、そんな状態でした。

高校生のプールの授業は、毎回本格的に泳がされます。

なので、一時間弱の授業で、毎回くたくたになっていました。

 

身体は冷えて、体力を消耗して、まぶしい外での授業のため、頭痛がして。

その後の授業は、疲れ果てて勉強どころではありませんでした。

 

原因が分かったのは、診断を受けたから

 

友達とプールに出かけて、ただ水に浮いているだけでも、もうぐったりして帰りはヘロヘロになってしまいます。

そんな状態だから、プールの楽しさが、いまいちよくわかりません。

 

今から考えると、そういった状態になってしまうのは、そもそも他の人に比べて体力が極端にないことが原因だったんだなって思います。

そのころに、ちゃんと原因が分かっていれば、辛い思いをしなくて済んだのになぁ…って思います。

記憶力が良すぎてイライラ

記憶力の差にイライラ

 

私は、記憶力がとてもいいです。

前にも書きましたが、○月○日には○○があった、と言うこともできるし。

去年のこの時にはこうした、と言うこともできます。

 

頭の中には、図書館のように、画像がファイリングされています。

時系列になっているので、順番も正確です。

 

しかし、多数派さんはそうでもないようで。

それが時として、私をイライラさせます。

 

家族といると、それが顕著です。

家族の中では、私は異端。

唯一の少数派です。

そのかわり、一番知識が豊富、一番賢いです(←自分で言うな)

 

 曖昧な記憶にイライラする

 

以前あった、実際の会話を例にしましょう。

 

おせち料理、31日に食べたことがあった」と父が言いました。

実際には、そんなこと、したことがありません。

面倒だから、31日に開けてしまう?と冗談で母と話していたことはありましたが。

父が反対したので、そうしたことはありません。

なのに、父の記憶の中では、勝手に31日に開けたことがあることになっています。

自分が反対したのに。

そして、違うよと言っても、認めない。

 

毎年、初詣とは別に、三社参りをするのですが。

例年、午後からのお参りなのです。

なのに、弟と父、それに母が、「朝からじゃなかったか?」と言い出しました。

私は、「絶対違う。毎回昼からだった!」と訂正。

あれこれ説明して、母親は何とか、午後からだったと思い出してくれました。

(それもあやしいところがあるけど)


そんなことが立て続けにあり。

私は、「みんな便利な記憶力やな!記憶の消去も自由自在なんやな!」とイライラ。

 

こっちは、忘れられない脳に振り回されて困っているのに。

その私を、あいまいな記憶で、更に振り回すようなことをしないでほしい。

私の記憶にケチをつけるのは、それ相応の覚悟があってのことなんだろうな!?

と言いたいくらい、イライラします。


忘れられるって、うらやましい

 

まったく、もう。

とてもイライラします。

多数派さんの、忘れることができる脳が、羨ましい。

どうしてそんなに簡単に、記憶をあいまいにしてしまえるのか。

 

忘れることができるから、きっと平然と生きていられるんだろうなって思って、羨ましい。

そして、自分に都合のいいように記憶を改変できるのが、羨ましい。

 

 すれちがい

 

多数派と少数派のすれ違い。

思ってもみないところに潜んでいたりするものです。

多数派さんの思いもよらないところで、少数派はストレスを受けていることも、あるのです。

その逆もまた、しかり。

距離感がつかめない

距離感がわからない

 

私はどうやら、距離の感覚がおかしいようです。

物と自分との距離感がつかめないのです。

 

我が家の洗面台には、壁際に、子ども用の踏み台が置いてあります。

子ども用とはいえ、大人でも使えるもので、かれこれ、25年は使っています。

 

立ち位置がわからない

 

洗面台にいるときに、たまたま、いつもある踏み台が使用中で、その場にないことがありました。

洗面台の前に立ったとたん。

私の足の位置が、分からなくなりました。

足の位置が分からなくなったというより、壁と自分との距離が分からなくなってしまって、空間の隙間に落ち込んだような、落ち着かない変な感覚にとらわれました。

 

いつもは、それ以上壁側に寄れないはずの、空間。

その空間の不安定さに、不安になる。

そして、自分の存在している位置まで、不安定になって。

自分の身体が、実際に存在しているのかどうか分からなくなるような感覚。

 

実に、不思議な感覚でした。

意味が分からないかもしれませんが、とにかくそんな変な感覚がありました。

 

距離感の問題

 

自閉っ子は、物や人と、自分との距離感がつかみにくい、と言われています。

だから、歩いていてもものにぶつかったり、人にぶつかったりするのだ、と。

 

私も、まっすぐの廊下を歩いているのに、壁にぶつかることがよくあります。

下手をすると、ドアにも激突します。

洗面台の前にいるときは、無意識に壁にかかっているタオルを握って、壁との距離を測っているようなこともあります。

 

いつも同じ位置にあるものなら、何となく体が距離感を覚えています。

だから、何とかぶつからずに済んでいることも多いです。

 

しかし、物が移動していたら?

人間みたいに、常に動いているものだったら?

自分との距離を、常に計測していなければ、無意識に避けることは難しいです。

自分も動いていたら、なおさら。

 

人と一緒に歩いていても、すぐに隣の人にぶつかります。

ぶつからずに歩こうと思うと、今度は変に離れて行ってしまいます。

人と並んで歩くって、とっても大変なことなんです。

 

距離を保つのは高度な技術

 

自分との距離を常に計測する、というのは、結構しんどいことです。

だから、人混みではすごく疲れます。

自分と、多数の人間との距離を、常にレーダーで観測して、どこを通るか、進路を決めねばならないのですから。

 

多数派さんはきっと、上手に無意識に対物レーダーを働かせて、自動で距離を計算することができるのだと思います。

それを、少数派は手動で行っているようなものなのかな、と思います。

 

踏み台ひとつないだけで、自分の存在感覚さえ危うくなる。

そんな不安定な世界で生きていることを、少しだけでも、知ってもらえたらな、と思います。