kaleidoscope

自閉症スペクトラム障害、ADHD、うつ病を抱える如月の万華鏡のような頭の中を、書き連ねていきます。わわわアールブリュット作家。

形の認識

絵のないパズル

 

ずいぶん前ですが、真っ白なパズルに挑戦したことがあります。 

簡単なものは、比較的早い時間で完成させられました。

絵がない分、目がちかちかしなくていいです。

「宇宙パズル」という、宇宙飛行士が訓練で使うような、ちょっと難しい真っ白なパズルも、完成させることができました。

なかなか、最後まで完成させられないそうです(;^ω^)

 

これに関連することで、思ったことがあるので書こうと思います。

 

お菓子の形

 

最近、久しぶりに「おっとっと」というお菓子を食べました。

私は、これを食べるときは、一つずつ形を確かめて、「これはタコ」「これはカニ」と確認しながら食べます。

 

たまたま、その日はレアキャラである潜水艦を見つけて、喜んでいました。

私の大好きな潜水艦が出たので、思わず「潜水艦、あった!」と叫びました。

それを見ていた母が一言。

「どれも同じ形やん」と。

「そんなことない!違う!」と、私は言い返しました。

 

それからしばらく、形の話をしましたが、どうやら、細かな部分の形の違いというものが、母には一瞬で把握できないようなのです。

私が、こことここ、それにこれが違う、と違う箇所を比較して説明してはじめて、「あ、なるほど」と言うのです。

 

形を見分ける力

 

ASD者は、形の微妙な違いを見分ける力が、普通よりも強いと言われています。

だから、自閉っ子はパズルが得意で、裏返して絵のない状態でも、パズルができる子もいる、と。

 

おっとっと事件で、その話は、かなり正確に状況を言い表しているのだろう、と思いました。

ASD者のすべてが、形に強いというわけではないですが。

少なくとも、視覚優位のASD者は、パズルに強い人が多いのではないか、と思います。

 

真っ白パズルも、微妙な形の違いのみを手掛かりに、組み立てていきます。

微妙な左右の形の違い。

大きさの違い。

本当に、わずかな形の違いを判断して、正しい場所にピースを嵌めていきます。

 

私と比較するために、一度母親にも挑戦してもらいたいところですが、絶対断られるだろうな……。

 

普通は集中力が続かないらしい

 

病院で、パズルが完成したって言う話をしたら。

先生が、「やっぱりそういうの向いてるんだろうね。僕も昔、コーヒー牛乳パズル(無地のパズルが、牛乳パックの中に入っているもの)っていうのやったことあるけど、ふちしかできなくて、イライラして燃やした」と…。

いや、いくらなんでも、燃やさなくても(笑)

 

自信のある方、是非真っ白パズルに挑戦してみてください!

頭のエクササイズには、もってこいだとおもいます(笑)

博士、先生と呼ばれる

一つのことに熱中するから

 

高機能タイプのASDの人は、「○○博士」と呼ばれることも多いようです。

何か一つのことに熱中し、その知識を豊富に持っていることから、そう渾名されるのですが。

私も、そんなことがありました。

 

ものしり博士

 

前にも書きましたが、小学3年生の時には、「ものしり博士」と呼ばれていました。

また、元職場でも、「ものしり博士」と呼ばれていました。

職場のお姉さまの、小さな子供たちにも、「ものしり博士」と呼ばれていました。

 

私の場合、歴史など、一つの物事に関する知識を収集していることはもちろん、広く浅く、様々な知識を収集しています。

「知識」というテーマが、こだわりの対象となっているのです。

知識欲が旺盛なんでしょうね…。

 

先生

 

そのせいで、働いていたころは、職場の上司が、ある日突然、私のことを「○○(本名の苗字)先生!」と呼びはじめました。

職場で、医者と間違えられた上司のことを、私がふざけて「○○先生」と呼んでいた仕返しかもしれません。

しかし、ことあるごとに、私に、「○○先生、ちょっと教えて」と言ってくるのです。

最初こそ、「何ですか、先生って(笑)」と否定していましたが、そのうち面倒なので否定もしなくなりました。

 

そのうち、後輩も私のことを「○○先生!」と呼ぶようになりました。

普段は○○(本名の名前)ちゃんと呼ぶのですが、何か教えてほしいときだけ、「○○先生!」と呼びます。

そして、それを聞いていた先輩お姉さま方も、時々「先生」と呼ぶように・・・(苦笑)

 

上司が私を「先生」と呼ぶので、他の上司まで、分からないことがあったら私に聞いてくるようになっていました(;^_^A

そんなに、何でも知っているわけではないんですけど・・・(汗)

 

私の持っている程度の知識なら、誰でも知ろうと思えば手に入れられる知識です。

そんな、「先生」なんて呼ばれるほど大したものではないと思うんですけど…。

 

そういえば、他の課の人から、私が赤いメガネをかけて、お客さんに丁寧に接していることから、「アンパンマンに出てくる、うさぎのミミ先生みたい」ということで、「ミミ先生」と勝手に呼ばれていたそうな(笑)

 

尊大な態度ではない

 

あ、念のため、別に尊大な態度から「先生」と渾名されてるわけではありません。

ASDの一つのタイプとして、尊大型なんていうのがあって、「教授」と渾名されることもあるようですが。

そういうのとは、違う・・・はずです(笑)

 

呼び名はどうでもいいんだけど

 

ま、好きなこと、興味のあることの知識を、とことん追求するのは悪いことではありません。

決して無駄になることはありません。

知識は、いくら持っていても、邪魔になるものではありませんし。

 

しかし、「先生」はいろいろ勘違いもされるのでやめてくれ~(笑)

フリーズ

パニックの一種であるフリーズ

 

フリーズ。

パソコンが突然、何の反応もしなくなることを、フリーズした、と言いますが。

自閉系の人間も、自分のキャパを越えるような大量の情報にさらされた時、それと同じようなことが起こります。

 

見た目にわからないフリーズ

 

私も例外ではなく、キャパを越えたときにはフリーズを起こします。

ただ、困ったことに、外から見て分かるようなフリーズの仕方ではないのです。

 

完全にフリーズしてしまえば、端から見ていても、「あ、分からなくて困ってるな」と思ってもらえるでしょう。

しかし、私の場合、フリーズしながらも何とか情報処理をしようと、一部の脳が動いてしまいます。

そのため、パニックを起こしながらも、ある程度の行動ができてしまうのです。

 

行動ができてしまうために、困っているということが分かってもらえない。

私自身は、パニックを起こし、もう限界を超えているのに、それが周りには伝わらない。

だから、周りの人は、私に対して更に、情報を与えてきます。

 

私は、それを一旦全部飲み込んでしまいます。

大きすぎて飲み込めない情報も、無理やり頭に詰め込みます。

だから、当然、頭はパンクします。

その場では、頭はフル回転です。

そして、それを後から細かく噛み砕き、自分なりに理解し、処理します。

それを終えた時、私の脳はやっとパンクをすることを許し、一人になった時にはじめて、「パニックという行為」に移ることができるのです。

 

病院の先生にも、言われました。

「フリーズするなら完全に固まってしまえばいいものを、固まっていながら一部では処理をしようとするから余計に負担がかかるんだろうね」と。

 

外に出ないパニックは危ない

 

パニックを起こしても、何とか自分を制御して、爆発しそうな感情を押し殺して、無表情で淡々と対応してしまう。

無表情の裏には、泣き叫ぶ姿があるのに。

パニックとして表出することができればまだいいのかもしれませんが、私はパニックを抑え込むだけの力を、持ってしまっているのです。

これが、却って困るところ。

困っていることが、周りに分かってもらえないのです。

 

人前でパニックを起こせることがいいことだとか、羨ましいという意味ではありません。

ただ、パニックを起こせないことが却って負担でもある、ということなのです。

そのストレスが、精神的に負担になるのです。

 

自分を押し殺すという行為

 自分を抑え込んで、ある程度社会適応できているASDの人にとって、一番厄介なのは、自分を押し殺せてしまうこと、困っていることが分かってもらえないこと、かもしれません。

それはある意味、自傷行為でもあるかもしれません。

ひとりごと

独り言が多い

 

私、結構ひとりごとを言います。

誰に向かってでもなく、言葉を発することがあります。

 

一人で遊んでいるときも。

誰かとテレビを見ているときも。

誰かと一緒にいて、話をしている最中でも。

 

会話の最中なんて、会話と同じトーンで独り言をいうので、相手が返事をしてくれます。

でも、タダの独り言なので、相手に返事をしてもらっても、困るんですよね(笑)

 

言葉遊び

 

テレビを見ているときは、気に入った言葉のフレーズを、耳にしたとたん、独り言で言ってしまいます。

たとえば、「お食事券で汚職事件」のような、ダジャレみたいな言葉や、韻を踏んでいる言葉に反応します。

CMなんかでも、反応してひとりごととして口から出てきます。

自閉系の、「エコラリア」と同じものかもしれません。

ずーっと繰り返すほど酷くはないけれど、結構頭の中でぐるぐるしています。

 

頭の中がダダ漏れ

 

他にも、何か作業をしているときに、自分に向けて発言をしたり。

頭の中で考えていることが、自然に口から出てくる感じです。

 

勉強しているときは、常にぶつぶつとひとりごとを呟いています。

そんな時は、頭の中はフル回転しています。

フル回転で考えていることを、口から言葉として出して、耳で聞いて確認する。

フィードバックしている感じでしょうか。

 

仕事をしているときも、ちょくちょくひとりごとが出ていました。

さすがに、大きな声では言いませんが(笑)

パニックになりそうなときほど、顕著に出るような気がします。

一旦、言葉として外に出して、消化しなおそうとしているのかもしれません。

 

勘違いされそうで怖い

 

今のところ、外で大声でひとりごとを言うことはないので、変な目で見られることはありませんが、うっかり口をついて出ないように気をつけないと・・・。

見えない誰かと話してると思われたら、困りますし(;^_^A

 

話したい時に、うまく言葉が出てこないのに、話さなくていいときに勝手に口から言葉が出るんだから……。

困ったものです。

すぐに忘れる

わすれっぽい

 

忘れっぽいことを、三歩歩けば忘れる、なんて表現することがあります。

私も、三歩で忘れるほど酷くはありませんが、結構忘れっぽいところがあります。

 

大事な用事などは、しっかりと頭に入れているし、不安で何度も確認するので、ちゃんと覚えています。

でも、どうでもいいこととか、忘れても特に支障のないことなどは、今まで覚えてたのに、一つ作業を挟むと忘れてしまいます。

それが、数秒で終わる作業であっても。

 

数分で忘れる

 

たとえば、私は寝る1時間前にクーラーをつけます。

夕食以降は、自室で過ごさず、畳の部屋で転がりながら本を読んでいます。

そのままお風呂に入り、その畳の部屋で母親と一緒にテレビを見ながら、スマホでゲームをしています。

なので、自室ではクーラーをつけていません。

 

でも、私の部屋は南西の角にあり、夏は壁が焼けて、室温は外気温を越えています。

そのため、寝る前に部屋自体を冷やす必要があります。

髪を乾かしに洗面所へ向かい、そのあとでクーラーをつけて、また和室に戻るのですが。

和室を出るときには、クーラーをつけなければ、と思って出ます。

5分ほど、髪を乾かして、和室へ戻ります。

すると、母親が聞きます。

「クーラーつけた?」

あ……。

 

この時点で、すっかり忘れています(;^_^A

それも、毎日のことなのに。

毎日、「クーラーつけた?」と聞いてもらわないと、本気で忘れています。

 

持ってくるのを忘れる

 

他にもあります。

私はいつも、部屋で引きこもっている間に熱中症にならないように、お昼ごはんの時に水筒にお茶を入れて、部屋に持っていきます。

ご飯を食べるときにお茶をコップに入れるので、そのついでに水筒を用意します。

そして、ご飯を食べます。

水筒に手を出し、持ってあがろうと思った時に、首に巻く保冷剤を準備することを思い出します。

手拭いで保冷剤を巻き、それを首に巻いて、準備は完了。

さて、自室に戻ろう。

戻りました。

水筒を忘れました……(^▽^;)


他のことに気を取られて忘れる

 

ご飯を食べるたびに、安定剤を飲みます。

だいたい、それくらいの間隔で飲むと、効き目が持続するからです。

私は薬の錠剤を、1/3とか1/6に割って飲んでいます。

それはいつも、夕食後に割ることになっています。

 

夕食後、その時飲む分の薬を飲みました。

薬を割らなきゃな、と思った時に、私宛に送られてきた手紙が食卓に置かれているのに気づきます。

それが気になって、内容を読みます。

読み終わりました。

いらないので捨てます。

スマホを持って和室へ。

はい、薬を割るのを忘れました……(-"-;A


記憶力のばらつき

 

こんな感じで、とにかく他のことに気を取られると、本来するはずだった用事をすっかり忘れてしまいます。

特に困ったことになるわけではないので構わないんですけれど。

長期記憶はすごくいいのに、自分の興味のあることは、どんなに難しいことでも一瞬で覚えて忘れないのに、どうしてこんな簡単なことが覚えていられないんでしょうね(笑)

仕事などの場合は、メモを書いて見えるところに張り付けるという対策を取っているので大丈夫ですが。

気を抜いているときには、本性が現れます。

 

大きな失敗をしたことがないから、そんなに問題にはなりませんけど。

注意力が散漫になりやすいことは、間違いないようです(苦笑)

自閉系の人間は動物に近い?

犬の気持ち

 

以前、とあるテレビ番組を見ていたときに考えたことです。

色々な質問に対し、あらゆる分野の研究者が回答する、というスタイルの番組でした。

 

犬の気持ちが分からないという相談に対し、各学会所属メンバーが答えるという内容がありました。

その解説を聞いていて、やっぱり自閉系の人間は、人間の中では、動物寄りの感覚を持っている、ということを、改めて感じました。

 

似ている?

 

ある犬の話です。

相手のことを信用してるんだけど、付き合っててもあんまり楽しくないから、呼ばれてもご主人のところへは行かない。

呼ばれても無視する。

でも、その人と一緒にいて楽しいってことが分かれば、呼ばれたら「なぁに?遊んでくれるの?」って、自分からご主人の元に向かう。

ご主人が出かけるときも、「どこいくの?楽しいことするの?ボクも連れてってよ」って寄ってくるようになる。

 

自閉っ子が呼ばれても振り向かないとか、寄ってこないっていうのに、似てませんか?

私も、相手のことは信用してるんだけど、でもさほど楽しくないなって思ってる時は、誘われても行かないことが結構あります。

行く意味が分からないんですよね。

 

犬の行動

 

犬って、自分にとって敵か味方か、はっきりしない相手には、すごく愛想よくするそうです。

自分の味方になってもらうために。

逆に、味方だってはっきりしているときは、愛想を振りまくことをしないそうです。

これ、私と同じ(笑)

だから、見ず知らずの人には、とても愛想を振りまきます。

そして、それにエネルギーを使ってしまって、すごく疲れます。

 

あと、犬は、ご主人が悲しい思いをしている時よりも、楽しい思いをしているときの表情をじっと見つめる、という実験もしていました。

犬は、ご主人の微妙な表情の変化から、ご主人の機嫌を読み取っているそうです。

そして、機嫌のいいご主人に遊んでもらいたいそうです。

 

自閉系の人は

 

自閉っ子は、相手の顔を見ない、表情を読まないと言われます。

でも逆に、相手の表情の微妙な変化や、声色の微妙な変化を敏感に感じ取って、恐怖を感じるとも言われています。

それって、犬みたいに、すごく微妙な変化をキャッチすることができるということではないでしょうか。

だから、相手の機嫌に敏感に反応してしまって、辛いのではないでしょうか。

少し大きな声を出されただけで、簡単にパニックに陥ってしまう。

 

時間の感覚

 

犬は、過去の経験を、時間軸でとらえることはない、と言う人もいます。

過去は過去であり、「数年前の経験」も、「昨日の経験」も、遠い近いの感覚はなく、同じ「過去」という認識をしているのではないか、と。

これは、本で読みました。

自閉っ子は、大昔のことも、昨日のことも、同じようにはっきりと覚えている、と言います。

実際に、私もそうです。

昨日のことも、一か月前のことも、何年も前のことも、同じように鮮明に覚えています。

 

感情

 

また、自閉っ子の感情の中心は恐怖である、とも言われています。

犬も、基本的にはビビりですよね。

すぐにおびえる。

私も、基本的には何でも怖いです。

それを、一つずつ、「怖くない」という学習の積み上げによって、できることが増えるようになってきました。

 

動物と人間の間

 

かの有名な、テンプル・グライディン博士も、「自閉は人間と動物の間の駅のようなものである」とおっしゃっています。

また、太古の人間と自閉系の人間は、共通する点が多いのでは、という人もいます。

 

進化か、退化か

 

進化してしまった、多数派の人間にはない能力が、自閉系の人間には残っているのです。

これは、本当は動物としては持ち合わせていなければならない能力。

自然の中で生き残るためには、必要だったはずの能力。

それを失ってしまった多数派を、「進化した」と言っていいのか。

本来は、「退化した」と言うべきではないのか。

時々考えます。

 

はたして、自閉系の人間は、「進化から取り残された」のでしょうか?

想像力の欠如は本当か

想像力は欠如していないのでは?

 

自閉症スペクトラムの特性として、想像力の欠如というものがよく取り上げられます。

これについて、ちょっと思うところがあるので一言。

 

私個人の感覚からいえば、「想像力の欠如」というのは、多数派の勝手なイメージではないか、と思うのです。

自閉系の人間は、想像力が弱いので、これから先に何が起こるか、予測がつけられないから、パニックになる。

そういう風に解説されることも、ままあります。

 

それって本当?

本当にそう思う?

私は、違うと思います。

 

危険回避のための能力

 

私の場合、これから先何が起こるか分からないから、ありとあらゆる場面を想定し、危険を回避します。

要するに、出来る限りの危険予測をして、安全側を取るわけです。

 

その状態は、周りから見ると、「杞憂」であり、ありえないだろうということにまで不安を抱き恐れている、ととらえられるかもしれません。

でも、それが不安を解消するための手段なのです。

不安を抱くことで不安を解消する。

それが、多数派には分かりにくいのかもしれません。

 

何が起こるかわからない、と不安に思っていれば、突然の出来事が起きても、「ほら!不安が的中したじゃないか!」と思うだけで済みます。

不安に思っていなければ、その場でパニックになります。

 

まさか爆破されると思っていない地下鉄が、爆破された時を考えてみてください。

普段から、「もしかしたら爆破されるかもしれない」と思っていれば、「杞憂かもしれなかったけど、当たった!」となります。

その時取るべき行動をシミュレーションしていれば、適切な行動をとることができます。

普段何も考えていなかったら、ただただパニックに陥るだけです。

 

いかがでしょうか?

そう考えると、不安に思うことで、逆に見通しを立てている、という見方もできると思います。

この状態が、想像力の欠如だと言えるでしょうか?

 

想像力の暴走

 

自閉っ子は、スケジュールが好きだと言われます。

私も、例にもれずそうです。

その理由は、流れがはっきりするからだと、言われています。

想像力の欠如により、何が起きるかわからないことが不安なのだと、解説されます。

 

結果として、スケジュールがあると安心するのは、確かです。

でもそれは、想像力の欠如が原因というより、想像力がありすぎることが原因ではないかと、私は思うのです。

想像力がありすぎて、沢山のパターンのイメージをしてしまう。

特に、悪いパターンをイメージしてしまう。

それが、スケジュールとして示してもらうことで、イメージを絞り込むことができる。

 

沢山のパターンのイメージによる、情報の洪水が起きていて、パニックを起こすとしたら?

対処法も、変わってくるかもしれません。

 

多数派の方が…

 

もう一つ。

想像力が欠如しているのは、多数派のほうではないのか、ということ。

何とか社会適応している自閉系の人間は、多数派がどういうときに、どういう行動をするのか、観察しています。

相手が言いたいことが分からないとき、必死に相手の言い分を想像します。

でも、多数派は少数派の人間を指さして、「何が言いたいのか分からない。変な奴。」と言います。

 

少数派は必死に想像するのですが、感覚の違いのために、想像する方向がずれてしまいます。

要するに、多数派の「想像」のベクトルと、少数派の「想像」のベクトルの向きが違う、ということです。

たったそれだけなのに、「想像力がない」と決めてしまっていいのでしょうか?

 

空想遊び

 

空想の世界で遊ぶことが好きな自閉っ子も、沢山います。

「想像力の欠如」と言ってしまうと、それとは、現象として相反することになってしまいます。

「想像力がありすぎる」と説明した方が、しっくりくると思うのです。

 

想像力を働かせて

 

一言と言いつつ、何言も書いてしまいました。

あくまで私個人の感覚・考えではありますが、もしかしたら本当のところは、今言われている一般論とは逆かもしれない、と考えていくことも、相互理解のためには必要なのではないでしょうか。