kaleidoscope

自閉症スペクトラム障害、ADHD、うつ病を抱える如月の万華鏡のような頭の中を、書き連ねていきます。わわわアールブリュット作家。

大学4回生・博物館実習

4回生に進級

 

大学4回生になりました。

講義は、もう4回生でないと受講できないものだけになっていました。

 

ゼミと、博物館実習Ⅰ・Ⅱです。

ゼミは、卒論を書き上げないと単位がもらえません。

だから、4回生の後期まで、大学には通わなければなりませんでした。

 

博物館実習

 

博物館実習の講義は、前期・後期の中でも、更に前・前期と前・後期に分かれていました。

同じく学芸員資格を取ろうとしていたチセと一緒に受講登録をしましたが。

前期については、私は前・前期で、チセは前・後期に受講することになりました。

 

カメラを扱う

 

前期はメディア関係が専門の先生でしたから、ビデオカメラの扱い方や、中型カメラの取り扱いを学び。

中型カメラって、昔のカメラみたいに箱型で、フィルムの入れ方も普通のカメラとは違うのです!

はじめて、触りました。

カメラの作りの解説のとき、シャッターの仕組みを教えてもらいました。

カメラを分解したことある人いないと思うけど…と先生は言いましたが。

私は、壊れた古い一眼レフカメラを分解したことがあります(笑)

だから、先生の解説はよくわかりました。

その授業では、4人ずつで一つのグループを作りました。

そして、「展示」について学びました。

 

リーダー

 

グループのリーダーは、先生が決めました。

その代り、リーダーにはポイントが加算され、それが成績に反映される仕組みでした。

なぜか、私は先生から、期待されていました。

この先生が、テスト中に私の解答をじっくり読んでいた先生です(笑)

リーダーの仕事は、先生が指示したことを聞いて、それをグループメンバーに伝えること。

そして、カメラや三脚の準備をすること、でした。

 

公務員講座を取っていた私は、そこでチセと一緒に、受講ついでにビデオ係としてバイトもしていたので、三脚は私の商売道具です。

扱いは、手慣れたものでした。

 

展示の実習

 

その授業の課題は、中型カメラを持ち出し、「イス」というテーマで写真を撮ること。

そして、それを発泡スチロールのようなボードに貼り、題名と解説をつけ、学内掲示板に張り出す、というものでした。

アンケートも設置したかな?

それを一週間ほど展示して、授業は終わりました。

 

レプリカづくり

 

この授業の番外編として、レプリカづくりを体験しました。

学校の近くに、レプリカを作る有名な会社があり、そこの社員さんが出張講座をしてくれました。

化石の型を用意していてくれたので、そこに石膏を作って流し込みました。

私は、アンモナイトを選びました。

そして、それが乾燥したら、出来るだけ本物に似せて色を塗ります。

さっさと作業を終わらせてしまった私は、もう一つ作らせてもらいました。

それは、「デスモスチルス」の歯の化石!

通称、のり巻き怪獣です!

歯が、細いのり巻きを並べたように見えるから、そう呼ばれます。

ゾウの祖先です!

この実習も、すごく楽しかった!!


博物館での実習

 

夏休みには、実際の博物館で実習をさせていただきました。

私は、京都御苑のすぐ横にある、史料館で実習することになりました。

他大学からも、実習生が来ていて、10人ほどで実習します。

史料館なので、史料の整理の方法を教わり、実際に寄贈されたばかりで触られていない史料の分類などもさせていただきました。

紙を食べる虫の話も聞き。

ほこりまみれで整理しました。

 

その実習を担当してくださった学芸員さんの娘さんも、学芸員実習に行ったらしいのですが。

掃除だけして終わったそうです。

行先によって、実習の内容が全くちがう。

ここに来た君たちには、しっかり実習をしてもらうよ、と言われました。

でも全然厳しいことなんてなくて。

好きなことを一日中するのですから、楽しくて仕方なかった。

毎日、終了後にレポートを書き。

最終日には、それをチェックしてもらいました。

そして、ケーキとお茶を頂き、感想を言って、お礼を言って、実習は終了しました。

レポートは、学校にも提出しました。


調書の取り方

 

後期の授業、博物館実習Ⅱは、チセと一緒のクラスでした。

最初は、発掘された史料の調書の取り方を教わりました。

そして、写真の撮り方、ライトの当て方などを、教わりました。

史料のデッサンも、習いました。

これは、通常のデッサンとはちがい、影や光を書いてはいけません。

史料を忠実に再現するのが目的だからです。

後々、実物がなくなっても、その絵をみて実物が再現できるくらいのものを描かなくてはなりません。

観察眼が、要求されました。

 

古文書の扱い方

 

そのあとは、文書を読む授業がありました。

古文書を専門とする先生が、いろいろな本物の古文書を持ってきてくれました。

先生の自宅で発見されたらしいです。

燻蒸(虫を殺すための燻煙処理)を済ませたものでした。

その古文書を分類したり。

古文書の修理の方法も、習いました。

ノリの作り方も、教わって、実際に作ってみました。

米粉から作るので、作っている最中はわらびもちづくりに似ていました。

私はチセと作業して、「わらび餅に見えてきた。食べられるかな?食べていいかな?」と言いながら、作っていました。

先生が、「たべられるけど、道具をちゃんと消毒してないから・・・お腹壊れてもいいならどうぞ。」と言って笑っていました。

 

このノリは、和ノリといって、西洋ノリとは違うそうです。

和紙が付きやすい糊なので、洋紙であるノートなどはくっつきません。

逆に、西洋ノリでは、和紙はくっつかないそうです。

 

楽しくて楽しくて、仕方ない博物館実習の講義でした。

Tシャツアート 第3弾!

Tシャツアートの第3弾です!

これで、13枚描き上げました。

 

↓カメレオン

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↓シーサー

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ハンマーヘッドシャーク(シュモクザメ

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クリオネ

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ハンマーヘッドシャークとクリオネは、水玉模様を取り入れてみました。

 

クリオネはあの独特の透明感を出したかったんだけど…どうかな?

あと残り12枚、ぼちぼち描いていきます!

絵の新作「Mystic Blue」完成!

通常の絵の新作が、ようやく完成しました。

なぜか今回は2週間かかりました…。

「Mystic Blue」です。

 

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この絵は、上下左右は特に決めていません。

 

↓描きはじめ

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↓完成

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タイトルの通り、3月に描いた「Mystic White」と対になっています。

 

↓Mystic White

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さて、これらが対になっている意味が分かる人はいるでしょうか…。

わかった方は、心の中で収めておいてくださいね(笑)

 

次は、今までに使ったことのないやり方で絵を描いてみようと思っています(#^^#)

大学生・部活2

セクションリーダーに立候補

 

一つ上の先輩が引退する前に、次の代のセクションリーダーを決めることになっていました。

セクションリーダー(略してセクリー)は、パートの練習よりもう一つ大きい、パートの垣根を越えた練習をするときに、仕切る人のことです。

通常は、どこかのパートリーダーが兼任するのですが。

私は、この役に立候補しました。

 

このころ、私は結構はっきりものを言うようになっていました。

そして、次期指揮者よりもずっと、音楽的知識を持っている、と自負していました。

これは、高校の吹奏楽の方針に、感謝しなければなりません。

私は、すでにフルスコアが読めましたし、他の楽器の音の読み替え(各楽器で、ドレミが違う)も出来ました。

それまでにもすでに、私は先輩指揮者に意見をしたりすることが、何度かありました。

指揮者が合奏中に、何でうまくいかんのやろう、と悩みに悩んでいるときに、「ここと、ここがおかしいから合わない」と発言したりもしていました。

 

そして、先輩が推薦したのは、フルートのパートリーダーをしていた同い年の子でしたが、その子は部活を欠席することも多く。

私は、任せられない、と思いました。

(実際にそう発言しました。今から思うと、言い過ぎだとは思うけど、それでも音楽に関しては妥協したくなかったから。)

先輩たちも、パートリーダーでなければならないという決まりはないし、ということで私がセクリーになることを、認めてくれました。

こうして、私はセクリーになりました。

 

波乱

 

2回生の秋。

諸事情により、大学が吹奏楽部の講師として、プロのホルン奏者を迎えてくれました。

その先生の指導の下、私たちは夏には、大編成部門でコンクールに挑戦することになりました。

かなり揉めて、部活内が揺れましたが、方針を固めて、みんなで頑張りました。


順調な3回生

 

3回生になりました。

私は、楽器管理の仕事も、セクリーの仕事も、着実にこなしていました。

楽器管理の仕事は、全く体系化されていなかったので、引継ぎ用に全ての内容を資料にまとめました。

そして、CD-ROMに落とし、代々それを受け継ぐ形にしました。

 

自信を持たせてもらえた

 

キツイ言い方の私に、みんなはよくついてきてくれました。

高校でバリバリやってきた子たちにとっては、そのほうがよかったようで。

ついてこられない子たちもいましたが、そんな子たちの気持ちも、私は分かるつもりです。

高校時代、私がそうだったから。

そんな子たちにも気を配りながら、なんとかうまくまとめていこうと努力しました。

もちろん、私のやり方に反対する人もいましたが、コンクールが近くなって、先生の指導も厳しくなってくると、反対する人も減ってきました。

私が言ったことと同じことを、先生が指摘することが多くなってきたからです。

 

何度か、金管楽器も入れてセクション練習をすることがありました。

それ以来、私は金管楽器の後輩に、「○○先輩(私のこと)のセク練、厳しいけど、その緊張感がたまらない!!またやってほしい!」と言われるようになりました(苦笑)

実際、金管のセクリーと交代し、私が金管を、金管のセクリーが木管の指導をしたこともありました。



3回生のコンクールでは、大編成部門初出場で銀賞。

まぁまぁの成績でした。

 

12月。

定期演奏会を開き、私たちは一応引退しました。

 

4回生も引き続き部活動

 

4月。

4回生になった私たちは、後輩に呼び出されました。

「今年もコンクールの大編成部門に出場したいが、人数が足りない、出場してくれないか」という話でした。

ほとんどの人が、承諾しました。

みんな、音楽が好きなのです。

私にも、お誘いがありました。

ところが。

私には、後輩の指揮者を通して、先生からの伝言がついていました。

「打楽器の人数が足りない。打楽器で出場してくれないか。是非、お願いしたい。」と。

 

この先生がはじめて来たころ、私はフルートと打楽器とを、曲ごとに持ち替えていました。

なのに、先生は私のことを打楽器パートだと思っていて。

フルートを吹いているのを見て、「お前、本職はフルートやったんか!」といって笑っていたのです。

ソロも吹いていたのに…(笑)

 

その後も、定演などでティンパニーを叩いたりしていて。

先生も、私の打楽器の腕を、認めてくれていました。

だから、先生直々の要請があったようです。

 

私は、二つ返事で承諾しました。

そして、コンクールに向けて、毎日練習に通いました。

今までのメンバーみんなと、練習ができるのが、楽しくて仕方なかった。

 

私は、小物系を担当しました。

その中でもタンバリンの裏打ち(表拍ではなく、その間に入る裏拍)をするという、難易度の高いものがありました。

タンバリンは、叩いてから鳴るまでに、微妙な誤差があります。

その誤差を把握したうえで、全体の音楽に合うように、タイミングを微調整して叩かなければなりません。

打楽器専属の後輩が、前の年のコンクールで、めちゃくちゃ苦戦しました。

その役が、私に回ってきました。

 

ところが。

メトロノームの微妙な狂いも分かるくらい、リズム感が抜群の私です。

先生に、「ブラボー!」と言わせました!!

この時、先生にブラボー!と言われたのは、私以外に一人だけでした。

 

代表に選出された!

 

私の感性は、打楽器ととても相性が良かったようです。

体力的にはキツくても、毎日楽しく練習し。

コンクールでは、なんと、大編成出場2年目にして、金賞を獲得!

しかも!

京都府代表に選出されました!!

私は、それまで一度も代表になったことがありません。

だから、結果が張り出された時、号泣してしまいました。

他にも泣いている子はいましたが、私が一番激しく泣きました(恥)

どんなに辛くても、人前で泣いたりはしませんが、うれし泣きだけはこらえられません(笑)

 

その半月後。

奈良県の橿原で、はじめての関西大会に出場。

結果は、銅賞でした。

でも、関西大会に出場できただけで、満足でした。


発展した吹奏楽

 

この後、吹奏楽部はどんどん発展し。

今では、府代表の経験も増えてきています。

人数も、大幅に増えているようです。

増々の発展を、陰ながら願っています。

Tシャツアート 第2弾

できる限り毎日、2枚ずつTシャツアートを仕上げております。

今回は、新作を4枚アップします。

 

↓くじらのとけい

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↓たこ

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↓りす

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↓花チョウチンアンコウ

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なんでこう、如月の描く絵はなんというか、不気味になるのでしょう…(;^ω^)

 

目の描き方の問題かと思ったけど、どうもそうではない。

色の使い方の問題か?

まぁ、個性的でよろしいということで(笑)

はじめての就職活動

就職活動

 

大学3回生の秋。

はじめての就職活動が、始まりました。

このころは、10月から始まっていました。

 

大学でのセミナー

 

まず、大学で就職活動のためのセミナーが、2回開かれました。

そこで、履歴書の書き方などを教わり。

後は、個別で学生支援課で相談に乗ってもらっていました。

そこは、履歴書の添削も厳しく。

志望動機や、自己PR欄も、何十回と書き直しさせられるという噂でした。

しかし、私は2・3回でクリア。

文章表現力は、あるのです(笑)


少しずつ就活を進める

 

私は、吹奏楽部に所属していて、その引退が12月上旬でした。

それまでは、ちょこちょこ、合同で開かれる説明会に行っていました。

大学の友人、チセ・アイと一緒に行くことが多かったかな。

チセと私で行っていたら、会社説明会帰りにアイが合流したこともありました。

そんな時は、3人で帰り、三条の駅にある定食屋さんでご飯を食べて帰ったりしていました。

それを楽しみに、活動していました。

 

本格的に就活が始まる

 

12月中旬。

部活を引退し、本格的に就活を始めました。

京都産業会館で、合同説明会(略してゴーセツ)がありました。

家からは地下鉄で15分ほどの距離。

見慣れた場所でした。

私は、アイ・チセ・イツミ・ハツエと一緒に、出掛けました。

そして、いろいろな会社のブースを見て回りました。

 

ぶっ倒れた

 

この時、部活の定演を終えた直後で、かなり疲れていて。

立見席で話を聞いている間に、気分が悪くなって。

それでも、その場にしゃがみ込んで、最後まで聞いていました。

そのあと、空気も悪いし、とりあえず外に出よう、と4人と外へ向かう間に、どんどん気分が悪くなり。

目の前が黄色くなり、視界の端がどんどん黒くなり、視界が狭まっていき。

吐きそうになりました。

 

倒れる一歩手前で、アイがあいていた洋式トイレに放り込んでくれました。

トイレは混んでいたけど、アイが「気分悪い人がいるんで先はいらせてください!」と言って、順番抜かしをさせてくれました。

こういう時、お母さんみたいな(って言うたびに、「産んだ覚えはありません!」って言われるけど・笑)アイがいてくれるのは、心強かった。

 

何とか持ち直し、トイレの外に出ると、トイレの入り口でアイとハツエが待っていてくれました。

チセとイツミは、離れたところにいました。

アイが、私を医務室へ連れて行ってくれました。

ゴーセツなので、医務室が用意されていました。

医務室にはすでに、一人ベッドに横になっているので、と応接室のソファで寝ることに。

脳貧血だろう、と言われました。

アイがペットボトルの水を持ってきてくれて。

暫く休憩していました。

 

そして、体調が戻ったので、医務室のスタッフさんにお礼を言って外に出て。

4人に連絡をして、目処がついたチセと落ち合いました。

そのあとは、私ももう切り上げることにして。

全員が終わるのを待ちました。

私はみんなにごめんと謝って。

ハツエが、「○○ちゃん(私のこと)、ホントに真っ青で、心配したよ~、こわかったよ~」と半泣きに(笑)

 

そんな感じで、就活が幕を開けました。


続く就活

 

そこから、いくつものゴーセツや、会社説明会に行きました。

地元のゴーセツなども、行きました。

色々と、会社を受けました。

私が受けたのは、エントリーシートも入れて、30社くらいかなぁ。

その中で、2次に進んだのが5社くらい。

最終選考に進み、内定を頂いたのが2社でした。

アイは、100社以上受けていました。

 

暗記で臨んだ面接

 

面接は、苦手な分野です。

話し言葉のみだからです。

だから私は、前もって、聞かれる可能性の高いことの回答は、すべて文章に書き起こし。

暗記していました。

20パターンくらいは、頭の中に保存していました。


内定

 

4回生の5月。

私は、生命保険会社の営業と、地元大手スーパーに内定を頂き。

どちらかに決めることになりました。

スーパーは、遠い親戚が勤務していて、厳しいという話を聞いていたことと。

生命保険会社は、学校のあっせんもあり、先輩もいるということで、生命保険会社に就職することになりました。

イツミも、最終的に私と同じ会社に内定をもらい。

アイも、同じ会社の東京で内定をもらいました。

何とか、大手の会社に就職することが、できることになりました。

 

10月。

内定式に行きました。

すると、私とイツミと同じ歴史学科の、同じ苗字の子が、もう一人いたのです!

この子を、ナナエとします。

 

内定式は、名前の順に座らされました。

私は、イツミと一緒に行きましたから、二人でナナエを見つけてびっくり!

同じ苗字同士、一緒にがんばろう、と約束しました。

 

この会社の人事の人も、同じ大学で同じ苗字の私たちを、「ややこしい!」と言いました(笑)

 

社会人に

 

そして、4月。

私たちは、大きな不安と期待を胸に、新社会人として、スタートを切りました。

 

(ここからは、社会人の項目へとつながります)

Tシャツアート 第一弾

先日から、Tシャツアートに取り組んでいます。

 

あーとの教室でもらった5枚のTシャツと、送られてきた20枚のTシャツ、合わせて25枚を5月中に描き上げる予定です。

 大量のTシャツを見た母上に、「内職やな」と笑われました(;^ω^)

 今のところ、5枚描き上げています。

 

↓さかな電車

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↓ふくろう

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↓モンスター

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↓城

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↓ぞう

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これらは、わわわアールブリュットさんにて販売していただきます(#^^#)

 

あと20枚、テーマは決まっているので、ぼちぼち描いていきます。