kaleidoscope

自閉症スペクトラム障害、ADHD、うつ病を抱える如月の万華鏡のような頭の中を、書き連ねていきます。わわわアールブリュット作家。

悲観脳とうつ

楽観脳・悲観脳

以前、NHK「心と脳の白熱教室」を見ました。

数回に分けて、講義が行われたのですが。

第一回目は、心理学者による、楽観脳と悲観脳の話で、特に悲観脳について語られました。


人間には、楽観主義者と悲観主義者がいる。

同じ人間なのに、どうしてそうなるのか?

 

たとえば、こんな話をしていました。

ある姉妹は片方はとても楽観的で。

もう一人は、とても悲観的だったそうです。

 

あるクリスマスの日。

父親は、ちょっとした実験を試みました。

悲観的な子には、彼女が喜ぶことが分かっているおもちゃを沢山プレゼント。

楽観的な子には、馬糞を与えました。

 

朝、プレゼントを見た子供たちの反応は。

悲観的な子は、沢山のプレゼントをもらったのに、めそめそ泣いていました。

理由を聞いてみると。

「こんなに沢山あったら、電池が沢山いるわ。それに、電池を取り換えるのに、いちいちすべての説明書を読まなければならないし。お友達が羨ましがって、イジメられるかもしれない。」

 

楽観的な子は、馬糞を見て、大喜び。

理由を聞いてみると。

「だって、パパ!お家のどこかに、お馬さんがいるってことよ!」と。

 

悲観的か、楽観的かで、こんなにも世界は違って見えるのだ、という実例でした。

思い当たる節が、沢山ありますね…。


認知バイアス

どうして楽観的な人はどこまでも楽観的で、悲観的な人はどこまでも悲観的なのか、という話になりました。

 

人間の認知には、バイアスがかかっていて、それが原因だ、というのです。

認知バイアスとは、「思い込み、願望、恐怖などにより、論理的思考ができなくなること」です。

誰にでもある傾向です。

それにより、元々ネガティブな傾向があると、毎日ネガティブな思考を繰り返し。

ネガティブな思考をどんどん強化していってしまう。

そうして、世界の見え方が変わってしまい、すべてのものが悲観的に見えてしまう。

 

言われてみれば…。

ネガティブな方向にばかり、物事を考える「クセ」が、私にもあるなぁ…。


認知バイアスの4分類

認知バイアスには、四つの分類があるそうです。

 

・帰属の誤り

 物事の原因を、自分に理由を求めるか、自分以外に求めるのか

 (これも、人生で何度も繰り返され、強化されいく)

 

・注意のバイアス

 楽観的な人は、楽観的な言葉に反応しやすく。

 悲観的な人は、悲観的な言葉に反応しやすい。

 (楽観的な人は、言われたことを楽観的にとらえ、悲観的な人は悲観的にとらえることになる)

 

・解釈のバイアス

 あいまいな表現を、楽観的に解釈するか、悲観的に解釈するか。

 解釈の違いは、大きな差異を生む。

 (ほめられてるのかけなされてるのか、分からないようなとき。「褒められた」と受け取るか、「けなされた」と取るかで全く違ってくる)

 

・記憶のバイアス

 些細な体験の中で、何を記憶にとどめるか、ということに関わってくる。

 ウツの人は、楽しいことは忘れ、辛いことを記憶する。

 楽観的な人は、うまくいかなかったことは忘れ、楽しいことを記憶する。

 ウツの時には、マイナスの言葉を記憶にとどめやすい。

 

あぁ、なんかとっても、身に覚えのあることばかり…(苦笑)

私は「悲観脳」なんですね…。


認知バイアスの修正

では、認知バイアスを修正するにはどうすればよいか?

ネガティブな考えを、『努力して』否定するようにしてみる。

認知行動療法のように、実際に「経験」しなければならない。

 

たとえば、楽しかったこと、嫌だったこと。

なんでもいい、些細なことでも構わないから、日記に書いてみる。

そして、それを後で見返す。

すると、「あれ?こんなたのしいことあったっけ?忘れてた」など、自分の記憶のバイアスに気づける。

 

日記に書くことで、良いことも、悪いことも、しっかり覚えておこうと意識するようになり、どちらにも目を向けるようになる。

これは、意図的に「良いこと」をさがす訓練となる。

 

私、メンタルクリニックの先生に提出するために、「気分表」を付けてるんですが。

そこには、簡易日記として、嬉しかったこと、嫌だったことも、書き込んでるんです。

どんな些細なことでも。

それって、自分で自分に、認知バイアスの修正をするように仕向けてたんですね!

私って、凄いんじゃない?(あ、楽観的になった・笑)



人間は、そもそも、良いこと、悪いこと、どちらに注意を向けるか決まって生まれてくるわけではない。

赤ちゃんは、周りの音・もののうち、どれに注意を向けるべきで、どれを無視するべきなのか、学習していない状態で生まれてくる。

それを、「花盛りのうるさい混沌」と呼んでいる。

 

…これって、自閉っ子の脳とおんなじですよね。

どの音を拾って、どの音を捨てればいいのか分からない。

カクテルパーティー効果が弱い状況。

目に入るものすべてに意識を持って行かれてしまう状況。

 

恐怖と快楽

人間には、恐怖と快楽のシステムがある。

そのシステムは、どちらも生き延びるために必要なもので。

上手くバランスを取ることが必要。

 

悲観脳とは、いわば恐怖のシステムの強い脳である。

恐怖は、扁桃体によって引き起こされる、脳の警報システムで。

「すべてを停止して、注意しろ!」と命令する。

「走れ、早く逃げろ!」と命令する。

しかし、それに対して前頭連合野が「待て、走らなくても大丈夫なんじゃないか?」とブレーキをかける。

扁桃体が敏感な人もいれば、ブレーキをうまく使える人もいる。

その違いが、悲観脳を生み出している。

 

逆に、側坐核という部分では、「うれしい!」という感情をつかさどる。

そして、それに対しても前頭連合野は「待て、おちつけ!」とブレーキをかける。

 

そもそも、人間は快楽よりも、恐怖のシステムの方が少し強く感じるようにできている。

それが、生き延びるためには必要なことだったから。

恐怖のシステムは、自分を守るために重要なものだから。

 

扁桃体を手術で取ってしまった人は、恐怖の感覚がなくなってしまい、大怪我をするようなことを平気でしてしまったり。

人を疑わなくなるので、すぐに騙されてしまう。

 

ニュースや、宗教もその「恐怖」を利用している。

世の中は、ネガティブな情報であふれている。

人間は、常にネガティブに取り囲まれて生活している。

だから、悲観脳は強化されやすい。


必要だから存在する

恐怖のシステムは、マイナス面もあるが、プラスの面もきちんとある。

みんなが楽観主義者になったら、おそらく世界は破たんする。

行き過ぎた悲観主義はダメだけど、適度な悲観主義は必要だ。

 

悲観脳が必要な職業もある。

たとえば、医者。

楽観視して、重病を見逃したら大変。

がんを見逃したら、患者は死んでしまう。

 

楽観的、悲観的な思い込みは、瀕死の人間が元気になるくらい、身体への影響が大きい。

病は気から、というのは正しい部分がある。

 

楽観主義になるか、悲観主義になるかは、認知バイアスにかかっている。


そんな内容でした。

いやぁ、非常に勉強になりました。

 

よりよく生きる

私は、自分で自分を悲観的にしていたんですね。

無意識に、悲観的な脳を作り上げていたんですね。

そして、知らず知らずのうちに、ニュースなどで悲観的な考え方を、植えつけられていたんですね。

 

それでも、無意識に自分を変えようとしていたのか。

自分の認知のゆがみを知ろうとしていたのか。

気分表に、一見しょうもないことを、書き留め続けていてよかった。

認知バイアスのことなんて、知らなかったのに。

 

次回は、楽観脳のプラスの部分・マイナスの部分についてのお話。

楽観的になるための方法について、お話です。

 

突然、自分を楽観主義にするのは難しいけれど。

少しずつ、勉強して。

自分で自分を苦しめないような生き方をしていきたいと思います。