kaleidoscope

自閉症スペクトラム障害、ADHD、うつ病を抱える如月の万華鏡のような頭の中を、書き連ねていきます。わわわアールブリュット作家。

あなたなら、どうする?

もしも…

 ♪あなたなら どうする~?

っていう歌がありますよね?

知らんけど。

(出た、関西人お得意の「知らんけど」・笑)

 

さてさて、今日は、皆さんに質問です。

もしも、もしもの話ですよ?

 

歴史に「もしも」はナンセンスですけど。

今日は、歴史の話ではないので。

「もしも」の話をします。

 

もしも、発達障害が治る夢のような薬が開発されたら、あなたはその薬を飲みますか?

 

一つ注意点。

ここで言う「発達障害」は、あくまで純粋な発達障害とします。

うつや統合失調症双極性障害、不安障害などの二次障害は、除外して考えてください。

それを前提として、発達障害を治す薬を飲むか?ということです。

発達障害によるパニック発作メルトダウン)は、発達障害に含めます。

 

どうです?

難問でしょう?(笑)

 

この質問には、「これが答えだ!」というものはありません。

人それぞれ、答えは違うでしょう。

抱えている発達障害の内容によっても、答えは変わってくるでしょう。


私なら

私が抱える発達障害は「ASD(自閉スペクトラム症)」と「ADHD(注意欠如・多動性障害)です。

そんな私の答えは「飲まない」です。

発達障害の二次障害は、確かに苦しくて辛いです。

でもそれは、二次障害としての症状です。

 

発達障害の症状としてのパニックもありますし、それも辛いです。

でも、発達障害が治る薬を飲もうとは思いません。

 

なぜかって?

発達障害」は、私を構成する一部だからです。

発達障害でない私は、もはや私ではない。

生まれたときから、発達障害を抱えて生きてきたんです。

いまさら、私から発達障害を取り除いたら、何が残るでしょう?

 

発達障害だったからこそ、人より優れている部分もありました。

それで食っていけるほどの才能はなかったけれど。

音楽は、人よりちょっと得意だった。

工作だって、人よりちょっと得意だった。

色彩感覚も、人よりちょっと良かった。

 

逆に、発達障害だから、苦手なことも多くて。

苦手なことで、めちゃくちゃ苦労して。

泣いたり、嫌になったりしたこともたくさんあったけど。

それはそれで、私の人間性を豊かにしてくれたように思う。

 

感覚過敏で苦労することも多いけど。

普通の人より、沢山の感覚を知っていて。

より豊かな感性を持つことができた。

 

「普通じゃない」ことを経験することができた。

「普通」なことがどれだけすごいことか。

「普通じゃない」ことは、辛いけれど、どれだけ素敵なことか。

 

薬を飲んで、発達障害を治してしまったら。

今まで一生懸命生きてきた私を、全否定してしまうような気がするのです。

今まで、沢山苦労をして。

必死に努力をして。

ここまで生きてきた私を、見捨ててしまう気がするのです。

 

うまく言えないけれど。

私は、「発達障害」である私が、好きです。

 

私は私

最近ようやく、自己受容ができるようになって。

今までの、「必死に普通になろうとしていた自分」よりも。

発達障害である自分」が、好きになりました。

 

能力の凸凹に振り回されて、パニックになって。

辛いけど、やっぱり「発達障害」を抱えていてこそ、私なんです。

 

だから私は、「発達障害が治る薬」ができても、飲もうとは思いません。

「体力を増やす薬」と、「てんかんがきれいに治る薬」は欲しいかもしれないけど(笑)