敬語がない地域
敬語の扱い
私の住んでいる地域には、昔から敬語というものがありません。
あっても、丁寧語が最大級の敬語です。
比較的若い層は一応、敬語を使うことができますが、基本的によそよそしく感じるので、あまり使いません。
自閉症スペクトラムの人は、相手によって言葉を使い分けることが苦手だと言われています。
勿論、きちんと使い分けできるよ!って言う人もいるでしょう。
私の場合、畏まっていなければならないときは、一生懸命頭を使って、最大限失礼のないようにします。
しかし、少し知った仲になると、時々敬語を忘れて話してしまう(いわゆるタメ口というやつです)ことがあります。
どんなに年上の人でも、敬語ってあんまり使いません。
さすがに、「です」「ます」は使いますが。
それでも、会話のテンポが速くなってくると、「です」「ます」も飛んでしまいます。
みんな同じ立場
私の地元では、昔から「あがら仲間」という考え方があります。
これは、みんな仲間、という意味です。
上下関係が、あまりないのです。
戦国時代、領主を追い出し、自治を行っていたことに由来すると、私は考えています。
戦国時代といえば、戦国大名が下々の民をまとめて、民衆は領主に従っていた、というのが多数派でした。
しかし、この土地では、地域ごとにグループを作り、更にそのグループ同士が協力したり反発したりしながら、土地を守っていました。
今でいう、自治会のようなものです。
だから、それぞれが対等の立場でものを言う。
そこに、敬語など畏まった言葉は必要ない、という風習なのかもしれません。
上司であっても、仲の良い上司だと、普段の会話はタメ口になることが多いです。
それでも、許される土地柄なのです。
そして、割とあけっぴろげで、裏表のない会話が多い気がします。
嫌味はあまり使われなくて、文句は文句としてはっきり言うことが多いように思います。
他の地域の人から見れば、なんて馴れ馴れしいんだ!と見えることでしょう。
しかし、これがこの地域の特性なのです。
会話のハードルが下がる
そんな地域に住んでいるからか、私は敬語を使わなきゃ!失礼のないようにしなきゃ!と、必要以上に委縮することなく、会話をすることができています。
明らかに失礼にあたる発言は、しないように気をつけてはいますが。
そんな経験から、ASDの人にとって、会話に恐れを抱くかどうかは、環境の問題が大きいと考えています。
私にとって、関西の中でも地元は特に住みやすい土地です。
地元愛もふんだんに含まれていますが、最近特にそう思っています。