kaleidoscope

自閉症スペクトラム障害、ADHD、うつ病を抱える如月の万華鏡のような頭の中を、書き連ねていきます。わわわアールブリュット作家。

誤解されることが多い

ちゃんとわかっています

私は、見た目のせいか(学生に間違われる)、言動が幼いせいか、よく物事を良くわかりもせず話したり、行動したりしているように思われてしまいます。

だから、きちんと考えて行動しているにもかかわらず、諭すような言い方をされたり、「よくわかっていないんだろう?」といった発言を受けることが、よくあります。


実際には、そうではないんです。

きちんと物事を理解していますし、社会の仕組みだって、分かっています。

ただ、その理解の仕方が、普通の人とは少し違うかもしれません。

でも、私は私なりに、きちんと物事を理解し、社会に適応してきました。

 

言動に表しにくい

 

しかし、それを言葉や行動として、表現することが難しいのです。

だから、見た目には、物事を理解していないように見受けられるかもしれません。

話すことも、結論のみを言ってしまうので、その考えに至った経緯を分かってもらえず、わがままを言っているとか、物事を知りもしないで言っているとか、勘違いされてしまいます。


そのために、対等に話をしてもらえないことが、今までにも多々ありました。

何というか、大げさに言ってしまえば、「子供の言っていること」という感じで受け取られて、馬鹿にされているような気がするのです。

私は、それが嫌でなりません。

 

対等でありたい

私自身は、どんな年齢の人に対しても、対等でありたいと思っています。

それは、尊敬しないという意味ではありません。

年上、年下関係なく、尊敬すべき相手は、尊敬する、という対等さです。

例え相手が1歳・2歳の子どもでも、私は対等に接します。

どんなに小さな子供でも、一人の人間だからです。

 

私はそう思っていても、世の中にはそうでない人もいます。

若いから、というだけの理由で、何も知らないと決めてかかる人も、います。

長く生きているからといって、必ずしもいろんなことを理解しているわけでもないし、かしこいわけでもありません。

 

逆に、若年だからといって、何もわかっていないわけでもありません。

年長者より、よほど人間ができている人だって、沢山います。


賢い人は、私の中身をしっかりとみてくれて、対等に接してくれます。

私の能力を、買ってくれます。

でも、見た目でしか判断しない人は、私を見下します。


対等でいてくれる人の中には、私が言っていることが上手く伝わらず、「本当に分かって言っているのかな?」と疑っていても、後で、私の言っていることの根拠が見つかれば、「言ってたこと、分かったよ」と、認めてくれる人もいます。

疑って悪かった、という雰囲気のことを言ってくれるだけで、私は嬉しいです。


対等でいてほしい。

ただ、それだけなんです。

でも、まだ日本の社会は、若者と経験豊かな人(と思い込んでる人も含めて)とは、対等であってはいけないような風習が残っています。


だから、ASDの人の、人によって態度を変えない、本来の「対等さ」が嫌がられるんでしょうね。

年を取っているから偉いわけではないと思うんですけど。


少なくとも、私は、尊敬すべき相手を、年齢で判断したくはないです。

それは、これからも、誰が何と言おうと、貫きたいと思っています。