大学生・部活2
セクションリーダーに立候補
一つ上の先輩が引退する前に、次の代のセクションリーダーを決めることになっていました。
セクションリーダー(略してセクリー)は、パートの練習よりもう一つ大きい、パートの垣根を越えた練習をするときに、仕切る人のことです。
通常は、どこかのパートリーダーが兼任するのですが。
私は、この役に立候補しました。
このころ、私は結構はっきりものを言うようになっていました。
そして、次期指揮者よりもずっと、音楽的知識を持っている、と自負していました。
これは、高校の吹奏楽の方針に、感謝しなければなりません。
私は、すでにフルスコアが読めましたし、他の楽器の音の読み替え(各楽器で、ドレミが違う)も出来ました。
それまでにもすでに、私は先輩指揮者に意見をしたりすることが、何度かありました。
指揮者が合奏中に、何でうまくいかんのやろう、と悩みに悩んでいるときに、「ここと、ここがおかしいから合わない」と発言したりもしていました。
そして、先輩が推薦したのは、フルートのパートリーダーをしていた同い年の子でしたが、その子は部活を欠席することも多く。
私は、任せられない、と思いました。
(実際にそう発言しました。今から思うと、言い過ぎだとは思うけど、それでも音楽に関しては妥協したくなかったから。)
先輩たちも、パートリーダーでなければならないという決まりはないし、ということで私がセクリーになることを、認めてくれました。
こうして、私はセクリーになりました。
波乱
2回生の秋。
諸事情により、大学が吹奏楽部の講師として、プロのホルン奏者を迎えてくれました。
その先生の指導の下、私たちは夏には、大編成部門でコンクールに挑戦することになりました。
かなり揉めて、部活内が揺れましたが、方針を固めて、みんなで頑張りました。
順調な3回生
3回生になりました。
私は、楽器管理の仕事も、セクリーの仕事も、着実にこなしていました。
楽器管理の仕事は、全く体系化されていなかったので、引継ぎ用に全ての内容を資料にまとめました。
そして、CD-ROMに落とし、代々それを受け継ぐ形にしました。
自信を持たせてもらえた
キツイ言い方の私に、みんなはよくついてきてくれました。
高校でバリバリやってきた子たちにとっては、そのほうがよかったようで。
ついてこられない子たちもいましたが、そんな子たちの気持ちも、私は分かるつもりです。
高校時代、私がそうだったから。
そんな子たちにも気を配りながら、なんとかうまくまとめていこうと努力しました。
もちろん、私のやり方に反対する人もいましたが、コンクールが近くなって、先生の指導も厳しくなってくると、反対する人も減ってきました。
私が言ったことと同じことを、先生が指摘することが多くなってきたからです。
何度か、金管楽器も入れてセクション練習をすることがありました。
それ以来、私は金管楽器の後輩に、「○○先輩(私のこと)のセク練、厳しいけど、その緊張感がたまらない!!またやってほしい!」と言われるようになりました(苦笑)
実際、金管のセクリーと交代し、私が金管を、金管のセクリーが木管の指導をしたこともありました。
3回生のコンクールでは、大編成部門初出場で銀賞。
まぁまぁの成績でした。
12月。
定期演奏会を開き、私たちは一応引退しました。
4回生も引き続き部活動
4月。
4回生になった私たちは、後輩に呼び出されました。
「今年もコンクールの大編成部門に出場したいが、人数が足りない、出場してくれないか」という話でした。
ほとんどの人が、承諾しました。
みんな、音楽が好きなのです。
私にも、お誘いがありました。
ところが。
私には、後輩の指揮者を通して、先生からの伝言がついていました。
「打楽器の人数が足りない。打楽器で出場してくれないか。是非、お願いしたい。」と。
この先生がはじめて来たころ、私はフルートと打楽器とを、曲ごとに持ち替えていました。
なのに、先生は私のことを打楽器パートだと思っていて。
フルートを吹いているのを見て、「お前、本職はフルートやったんか!」といって笑っていたのです。
ソロも吹いていたのに…(笑)
その後も、定演などでティンパニーを叩いたりしていて。
先生も、私の打楽器の腕を、認めてくれていました。
だから、先生直々の要請があったようです。
私は、二つ返事で承諾しました。
そして、コンクールに向けて、毎日練習に通いました。
今までのメンバーみんなと、練習ができるのが、楽しくて仕方なかった。
私は、小物系を担当しました。
その中でもタンバリンの裏打ち(表拍ではなく、その間に入る裏拍)をするという、難易度の高いものがありました。
タンバリンは、叩いてから鳴るまでに、微妙な誤差があります。
その誤差を把握したうえで、全体の音楽に合うように、タイミングを微調整して叩かなければなりません。
打楽器専属の後輩が、前の年のコンクールで、めちゃくちゃ苦戦しました。
その役が、私に回ってきました。
ところが。
メトロノームの微妙な狂いも分かるくらい、リズム感が抜群の私です。
先生に、「ブラボー!」と言わせました!!
この時、先生にブラボー!と言われたのは、私以外に一人だけでした。
代表に選出された!
私の感性は、打楽器ととても相性が良かったようです。
体力的にはキツくても、毎日楽しく練習し。
コンクールでは、なんと、大編成出場2年目にして、金賞を獲得!
しかも!
京都府代表に選出されました!!
私は、それまで一度も代表になったことがありません。
だから、結果が張り出された時、号泣してしまいました。
他にも泣いている子はいましたが、私が一番激しく泣きました(恥)
どんなに辛くても、人前で泣いたりはしませんが、うれし泣きだけはこらえられません(笑)
その半月後。
奈良県の橿原で、はじめての関西大会に出場。
結果は、銅賞でした。
でも、関西大会に出場できただけで、満足でした。
発展した吹奏楽部
この後、吹奏楽部はどんどん発展し。
今では、府代表の経験も増えてきています。
人数も、大幅に増えているようです。
増々の発展を、陰ながら願っています。