姿勢保持の問題・研究
以前、「うまく座ることができない」という記事を書いたことがあります。
その後、いろいろ試してみたのですが、やはりいまいちしっくりこなくて、さらに研究を進めてみました。
それが比較的しっくり来ているように思うので、結果を報告しようと思います。
まず、私が「うまく座ることができない」というのは、椅子からずり落ちてしまう、ということです。
私の場合、横にはあまりずり落ちないのですが、前に滑って落ちてしまいます。
そのため、下の絵のように、片足を座面にあげて、体が前に滑らないようにロックしたり。
椅子の上に体育座りをしてしまったりと、とにかく「行儀が悪い」と言われる態勢でいることが多いです。
また、きちんと座っているように見えるときは、椅子にとても浅く腰かけて(お尻が少し椅子に乗っている状態)、足をしっかりと地面につけているという、不自然な座り方になっていることが多いです。
上の絵のように、クッションはお尻と膝では5センチ差があり、膝側が高くなっています。
くらげさん・あおさん主催の発達バーに行ってきました
昨日から今日にかけて、東京に行っておりました。
東京に滞在した時間は、12時間です。
何をしに行っていたのかというと。
『僕の彼女は発達障害』という本でおなじみの、くらげさん・あおさんが主催する、発達バーに行っておりました。
発達バーについては、こちら↓
第一回目は2月にあったのですが、その時は大学時代の友達との同窓会とかぶっていて、行けませんでした。
今回は、ほかに用事がかぶっていなかったので、東京に突撃!
友達のもりちゃんと一緒に参加してきました。
目的は、とにかくくらげさんとあおさんに会うこと!
和歌山から5時間かけてでも、会いに行きたかったのです。
くらげさんは「なぜ?」とおっしゃいますが、理由もなにも、会いたいものは会いたいのです(笑)
お二人にそれだけ魅力がある、ということでしょう。
20時30分~22時20分の第二部に、少し遅刻して参加してきたのですが、とーっても楽しい時間を過ごすことができました(∩´∀`)∩
特に濃いメンバーが集まったらしいのですが、とにかくあちこちで盛り上がっておりました。
発達障害関連の話もありましたが、なぜか工作についての話をしたり、いろんな話題で盛り上がっておりました。
いろんな職業の方がいらっしゃって、大変興味深いお話も聞くことができました。
また、大学時代に住んでいた場所からいらっしゃった方もいて、びっくりしました。
私は、着いて早々から、ほぼずっとあおさんとおしゃべり。
他の方も巻き込みながら、お話していました。
あおさんとは、なんでも研究会で長らくやり取りさせてもらっていたためか、初対面であるにも関わらず、昔なじみの友達のような感覚でお話することができました(*´ω`*)
とにかく、親近感しかないのです(笑)
あおさんのノリが関西のノリだったので、本当にテンポよく会話できて、面白かったです。
くらげさんは、とにかくデカい、というかガタイがいいですね!(褒めてます)
ある方に「よく東京に来られるのですか?」と聞かれて、「東京に来たのは14年ぶり」と言うと。
「小学生以来?」とおっしゃるので、否定せずにそのままにしておきました。
14年前が小学生だとすると、どんなに多く見積もっても、現在26歳ということになりますね(笑)
実際は、あおさんと同い年です。
若く見えたのであれば、良しとしましょう(#^^#)
2時間の制限時間はあっという間に過ぎてしまい、とても良い雰囲気でバーはお開きになりました。
私、ちょっとしゃべりすぎだったかもしれませんね(;^ω^)
関西弁丸出しで、うるさくてすみませんでした…。
その後、私たちは諸事情によりほぼ徹夜状態になるのですが、それもまた楽しくて!
12時間という短時間の滞在でしたが、本当に楽しくて濃い時間を過ごさせていただきました。
会場となったエデンのスタッフの方々、そして参加されていた方々には、お世話になりました。
主催のくらげさん、あおさんには、大変大変お世話になりました。
心より、お礼申し上げます。
またお金を貯めて、遊びに行きますね!!
テグレトールに変更(神経内科)
今日は、月に一度の医大の通院日でした。
この1か月間は、とても発作が多くて、疲れています。
瞬間的にバンザイするように手が突っ張ったり、ピク付きがあったり。
時々、意識がぼやけたり。
ふらついてこけるのも、薬の副作用かもしれない、とのこと。
リボトリールの副作用が強く出ていて、とても眠い割には全く効果がないので、薬がテグレトールに変更になりました。
前に飲んだことがあって、眠くてあきらめたのですが、もう一度赤ちゃん量から挑戦です。
抗てんかん薬の中でも、ミオクロニー発作に効果のある薬を選ぼうと思うと、、選択肢が限られてきます。
そのうえ、薬疹が出た薬もあるので、さらに選択の余地が狭まってしまう。
主治医が「てんかんの薬を使うのはあきらめようかな…」と言っていましたが、発作の状況から、やはり抗てんかん薬を使うことにしたようです。
危うく、抗てんかん薬の治療はあきらめられるところでした…(^^;;
抗てんかん薬がほぼ飲めないので、専門家が頭を抱える案件になってしまっています。
診断書でも、「薬が飲めないため難治性」と書かれている状態(´・ω・`)
困りました。
テグレトールが飲めるといいんですが…。
とりあえず、2週間様子見です。
あなたと私は同じではない
考え方が同じでも
以前から、ブログでもツイッターでもちょくちょく発言していることですが。
最近またもやもやすることも多く。
また、書こうかと思います。
時々、「○○について同じ考えだ」という方と出会います。
それは、とてもうれしいことです。
私だって、「あ、この人、同じ考え方するんだなー」っていう人に出会うと、うれしいです。
しかし、同じ考え方をするからといって、過度に絡まれたり、同意を求められるということが私は苦手です。
なぜなら、ある一つの物事に対して、「それには同意見です」となっても。
他のことに関しても同じ意見かどうかは、わからないからです。
それぞれの考え方
人間には、それぞれいろんな考えがあります。
人それぞれ、「これはこう思う」「それはちょっとちがうんじゃない?」と、いろんな考えを持っています。
なのに、ある一つの事象に対する感想だけを取り上げて、「私と同じ!分かり合える!」と思うのは、行き過ぎなのではないかと…。
そして、「分かり合える!」と思い込んで、やり取りを続けるうちに、「ここは意見が合わないな」となったときに、「そんな人だと思っていなかった!」という展開になることもしばしば。
それに、もやもやするのです。
「そんな人だとはおもわなかった」って、そりゃそうですよ、私はあなたの想像の中の私とは違います。
あなたの想像の中で自由に動かされている私とは、別物です。
たとえ、親子であっても、親と子は別の人格です。
決して、同じものではない。
それを忘れている人も、ちらほらいるように感じます。
私は私、あなたはあなた
私は私。
私は一人の人間であり、考えも私の中にあります。
他人の想像の中の私とは違うんです。
私はあくまで私であり、あなたと同じではありません。
何度、それが口から出かけたことでしょう。
何度、それを伝えてきたことでしょう。
ひとつの事柄について、同意見であっても。
他の事柄については違う意見を持っている。
それが人間というものです。
どんなに仲の良い相手であっても。
一から百まで同じ考えだということは、ありえません。
ですから、違う意見を持ったときに怒ったり、悲しんだりするのではなく。
「そうか、そういう意見もあるんだねー、私は違うけど」と、さらっと流すのが相手に対して敬意を払うということだと思うんです。
相手の意見を尊重する。
しかし、決して相手に気に入られるために迎合する必要はない。
私は私、あなたはあなた。
それでいいと思うんです。
一番してはいけないのは、意見の違う人を攻撃することだと思っています。
そういう私も、カッとなって攻撃してしまうこともあるので、本当に気をつけなければいけないんですが(;^_^A
決して、同じ考え方をする人を否定するわけではありません。
また、違う考え方をする人を否定するわけでもありません。
同じ考え方をする人同士、つるむことも悪いことではありません。
ただ、同じ考え方をする人同士が集まって、ほかの意見を持つ人のことを攻撃するのは違うと思います。
人それぞれ、生まれてからの経験、育った環境、受けた教育など、違った背景を持っています。
ですから、自分と同じ意見だからと言って、すべてが同じとは限らないのです。
人と意見が違うからといって、自分はダメだとか、攻撃されたと感じる必要はないのです。
逆に、自分の意見を押し通そうとする必要もないのです。
合わない人とは合わない。
それが人付き合いの基本だと思います。
合わないなと感じたら、静観するなり、離れるなり、すればよいのです。
意見が合うと思う人にも、すべての意見に賛成しなくてもいいのです。
迎合する必要は、どこにもありません。
意見の合わない人に自分の意見を押し付ける必要もないのです。
ただし、時と場合によっては、折れることも必要です。
多数派の意見を持っている人だって、すべてがすべて分かり合えるわけではないのです。
むしろ、完璧に分かり合っている人なんて、いないのではないでしょうか?
分かり合えないのが人間。
だから、何とかして分かり合おうと努力する。
それでいいのではないでしょうか?
自分は自分の意志をもって。
自分に自信を持って。
生きていけばよいと、私は思います。
気づかせてくれる人の存在
自分が作り上げたもの
以前、とっても良くしてもらっている人と、少しお話をしてきました。
その時に、近況報告をしたのですが。
「いいね、どんどんいい方向に向かってるね。前進してるね」と言ってもらいました(*'▽')
「私、昔からチャンスに恵まれるんです。気づいたら、手の中にチャンスを握っていた、ということが多いんです」というと。
その人が言いました。
「それはね、今まで自分が一生懸命、そうなるように環境を整えてきたんだよ」と。
落ち込んでいたときとか、前に進めなくて右往左往していたときに。
自分で、自分の周りの土台を一生懸命作っていたから、今どんどん前に進めているんだ、と。
自分で、自分の足元をしっかりと固めていたから、今どんどん先へ進めているんだ、と。
そう、いわれました。
言われてはじめて、「なるほど…」と思いました。
気づかせてもらった
私自身には、自分の土台を固めようとか、そういう意思は一切なく。
ただ、もがき苦しんで、どうすればいいのかわからなくて、たくさん泣いて。
そうしているうちに、なんとなくチャンスが降ってきた感じなんですけど。
本当はそうじゃなくて、自分でちゃんと物事を進めてきた結果なんだよ、と教えてもらいました。
私が人に恵まれているのも、「あなたが一生懸命土台を固めたから、相手の人も一緒に土台を固めてくれる。だから、恵まれているんだよ」というようなことを、お話ししてくれました。
いまだに私は、自分で自分の環境を整えている感覚は、あまりありません。
どちらかというと、行き当たりばったりなことも多いし、衝動的な行動も多い。
でも、無意識に、良い方向に向かうように行動しているのかもしれないな、ということは理解できました。
根本的な考え方というか、性格なんでしょうか。
どこか、楽天的なところがあるんでしょうね…。
だめなら、あきらめて別の道を探す。
できないことがあるなら、無理に体当たりして砕けるんじゃなくて、回り道をしたり、あえて避けて通る。
今できることを、とにかくやる。
私が私のままで生きていける道を探して。
私を助けてくれる人、見守ってくれる人を大事にして。
感謝の気持ちを伝えて。
ただ、それだけ。
私がしてきたのは、ただそれだけなんだけど。
それが、本当に大切なことだったのかもしれない。
そう思います。
こうして、私自身が気づけないことを教えてくれる人の存在もまた、私の人生を豊かにしてくれる。
本当に、ありがたいことです(∩´∀`)∩
あーとの教室に行ってきました
昨日、わわわアールブリュットのあーとの教室に行ってきました。
前回の参加が2月18日だったので、ほぼ二か月ぶりです。
今回の課題は、「題名のつけ方」でした。
これはとても難しい。
自分の語彙力のなさを実感します。
なんというか、難しい堅苦しい言葉は知っているけれど、言葉をうまく操れているわけではない、ということを目の当たりにします(;^ω^)
行くたびに、新たな課題が出てきます。
一つ越えるのに時間がかからないこともあれば、どうすればいいのかわからなくてさまようこともあります。
そして、その課題が生活における課題とリンクしているな…と思います。
私にとって、絵は仕事でありながら、療育的側面も少なからずあるな、と思うのです。
お金を稼いだり、楽しんだりするだけでなく、自分を知るツールとなっているという感じです。
ですが、新たな課題が出てくるたびに、着実に前進しているな、という実感はあります。
一つ一つ、着実に階段を上っているんだな、と思います。
あと、やっぱり私は気が散りすぎ…(;^ω^)
ちょっとした物音や話し声で反射的にそちらを向いてしまったり、そちらに意識が向いてしまうので、始終きょろきょろそわそわ。
落ち着きません。
ストラテラを自分が飲める上限まで飲んでこれだから、もう上手に付き合っていくしかないですね…(´・ω・`)
新しいテーマや、新しく取り組む作品があるので、わくわくドキドキしています。
しばらくは、「何か面白いことないかなー」ということも減りそうです(笑)
床暮らし脱出の計画をしています。
楽な姿勢で、集中して絵を描けるように、ちゃんとした机を買おうと思っています。
(今は幅の狭い折り畳み式のローテーブルで絵を描いています。今更ですが、絵を描くことを長く続けられそうなので、そろそろ投資してもよいかと)
椅子からずり落ちてしまわないように、姿勢保持をしやすくするグッズを使って、工夫もします。
「絵が一つ売れたら机を買う」と決めたので、ぼちぼちなめなめ、頑張って絵を描いていきます!