kaleidoscope

自閉症スペクトラム障害、ADHD、うつ病を抱える如月の万華鏡のような頭の中を、書き連ねていきます。わわわアールブリュット作家。

相手の感情を読み取るということ

感情を読み取ることの困難さ

 

相手の感情を読み取るというのは、普通の人でも難しいことだとは思います。

でも、私にとっては、どうもそれ以上に読み取りにくい、或いは勘違いしやすいようです。

 

通常、相手の感情を読み取るためには、相手の顔を見て(顔色をうかがうというやつです)、声や話し方を観察し、身振り手振りを観察し、それらから総合的に判断して、相手が今どんな感情を持っているのか、推測することと思います。

そうやって、相手がイライラしているとか、単に声が大きいだけだとか、読み取っているのだと思います。

 

私にとって、一度に相手の様子をすべて読み取ることは、簡単なことではありません。

自分が第三者で、会話に関係のない状態なら、ゆっくり観察することもできるでしょう。

しかし、自分が話している相手の様子を読み取るとなると、話をして、その内容を理解しながら、更に相手の感情を読み取るという動作をすることになります。

一度に沢山の情報を処理するのが苦手な私には、とても負担がかかることです。

 

そして、負担がかかり始めると、その時一番必要なこと、たとえば話を聞き取るために必要な感覚以外は、自動的にシャットダウンしてしまいます。

そうすることで、負担を減らし、且つ社会的行動をとれるように調整するのです。

 

だから、私が誰かの話を聞いているとき、聴覚のみが研ぎ澄まされ、目からの情報は極限まで抑え込まれます。

そのため、話している相手の顔色をうかがうことができなくなります。

相手の身振り手振りも、判断材料としては受け付けなくなります。

 

どうやって相手の感情を推しはかるか

 

そうすると、私はどうやって相手の感情を読み取ればいいのでしょう。

残されたのは、聴覚だけです。

ということは、どうしても相手の声や話し方からしか、相手の感情に関する情報は読み取れなくなります。

 

その相手が、私が全く知らない人で、突然大声で話しかけてきたら、どうなるでしょう。

私は、その人が大声で話しているから、怒っている、と判断します。

表情から相手の感情を読み取る機能はもうシャットダウンされていますから、そう判断せざるを得ません。

大声を出す人は怒っていることが多い、という、私の今までの経験から、そう判断します。

でも、もしかしたらその人は、普段から声が大きい人なのかもしれません。

そうではなく、本当に怒っているのかもしれません。

 

私が知っている人なら、普段の声の調子を記憶しているので、それと比較することで、今怒っているのか、単に声が大きいだけなのか、判断もつくでしょう。

でも、知らない人は、私の中にデータとして記録されていません。

だから、判断を誤ることになってしまうのです。

 

大きな声は怖い

 

私は、大声を出されると、それだけでもう「怒られた」と感じてしまいます。

直感的にそう思うので、大声を出された瞬間から、もう「怒られた」という感覚に支配され、相手が何を言っているのか、内容まで聞きとる余裕はなくなってしまいます。

 

子ども、特に発達障害のある子を叱るときには、トーンを落とした静かな声で話しかけ、理解させなさいというのは、おそらく、こういった状況に陥ってしまうからだと思います。

 

「怒られた」と感じて内容が聞き取れなくなってしまっては、叱っている意味がなくなってしまいます。

そして、自分は怒られた、なぜかわからないけど怒られた、という負の感情だけが残ってしまいます。

それが積み重なると、その子は自分を否定的にとらえ、自己肯定感が育つことはないでしょう。

 

悲しい気持ちだけが記憶に残る

 

私も、小さいころ叱られたことは何度もありますが、とにかく「あのとき怒られた」という悲しい感情だけが残っているものが、いくつもあります。

未だに、何かあるとすべて自分が悪い、自分のせいだ、と思ってしまいます。

(なんでもかんでも人のせいにするような人よりは、断然マシだと思っていますが)

 

コミュニケーションへの影響

 

声のトーンだけで相手の感情を読み取るために起きる、大きな勘違いが、他人との交流を停滞させている、という可能性を考えていかなければならないのかもしれません。

そして、そういった対人関係に困難を持つ人が、どこで躓いているのか、上手に理解してもらう必要がある、と思っています。