kaleidoscope

自閉症スペクトラム障害、ADHD、うつ病を抱える如月の万華鏡のような頭の中を、書き連ねていきます。わわわアールブリュット作家。

5歳・幼稚園2年目

5歳のころ

 

幼稚園も二年目。

上級生になりました。

今度は、私は竹ぐみさんになりました。

帽子も、黄緑色になりました。

この年だったかな、「けし」ぐみさんが、なくなりました。

「けし」の一部は麻薬だとかなんとか、意味の分からない理由でなくなりました。

 

幼稚園に慣れた

 

幼稚園の1年間の行事を経験した私は、2年目は何とか不安も少なく迎えることができました。

先生は、少し厳しい先生に変わりました。

クラスメイトも変わりましたが、周りの子に興味がなかった私には何でもないことでした。

 

クラスメイトにいじめられた

 

ただ、私とロッカーが上下に並んでいる女の子が、荷物を取りに行くたびに私の頭を叩くという事件がありました。

私は、母にそれが嫌だと言いました。

母は、「先生に言いなさい」と言いましたが、幼稚園での活動中、いつ先生にそれを言えばいいのか、タイミングが全く分かりませんでした。

 

そして、ついにある日、先生がその現場を目撃。

その女の子は、先生に叱られました。

私は、やっと苦痛から逃れることができたと安心しました。

周りの子は、叱られて泣いている女の子を慰めていました。

悪いことをして叱られているのに、泣いていれば可哀想で、いじめられても泣いていなければ可哀想ではないのかと、ずいぶん不思議に思いました。

 

実はこの女の子、小学校3・4年生の時に、私が一番仲よくなった子です。

不思議なもんですね(笑)

 

障害のある子も一緒

 

私のクラスメイトには、知的障害のある男の子もいました。

統合教育が進んでいる地域だったみたいです。

周りのみんなも、障害があることは、なんとなくですが分かっていました。

それでも、みんな仲良しでした。

ただ、この年齢ではあまり差を感じることはありませんでした。

小学校に上がると、格段に差が出てしまいましたが。

この子も、小学校3年・4年生で同じクラスになりました。

 

発表会

 

2年目の子たちは、発表会で音楽をすることになっていました。

1年目は、劇です。

記憶はありません(笑)

その音楽会で、私は鉄琴(ヴィブラフォン)を担当することになりました。

このころ、私はピアノを習い始めていたので、その担当になったのだとおもいます。

ドレミは分かっていたし、先生が教えてくれましたが、なぜか私はきちんと叩くことができませんでした。

おそらく、周りの演奏がめちゃくちゃで(幼稚園児だからリズム感もなく、仕方ないのですが)、合奏になると訳が分からなくなっていたのだとおもいます。

そこで、先生は、木琴(シロフォン)担当の女の子に、昼休みに私に教えるように言いました。

その女の子は、一応教えてくれましたが、その子だって遊びに行きたいのです。

すぐ、「もうできたことにしよう」と言って、先生の所へ私を連れて行きました。

そして、その子が先生に、「できた」とうそをつきました。

先生は私にも確認しましたが、私は頷くしかできませんでした。

 

この発表会を録画したビデオを、大人になってから見ました。

そこでは、私はクラス一といっても過言でないくらい、リズム感が良いのです。

裏拍も、ナイスタイミングでたたけています(吹奏楽部でも群を抜いてリズム感がよく、本職の先生にも認められていたので、間違いありません)。

周りがバラバラなのです。

私が間違っていたのではなく、私が異様に正確だったため、先生が周りからずれていると思ってしまったのかもしれません。


ある男の子の思い出

 

そんな幼稚園生活の中で、一人の男の子が、私の面倒をよく見てくれました。

どうやら、大人たちの話からすると、その子は近所の「乳児園」から来ていたそうです。

乳児園とは、児童養護施設のことです。

大きくなってから、知りました。

他にも何人か、そんな子たちがいました。

凄く優しい男の子で、この子のことは今でも覚えています。

一人でおどおどしていた私を見かねたのか、どこへ行くにも手をつないで連れて行ってくれました。

何かをする時も、教えてくれました。

 

きっと、乳児園でもっと小さい子たちの面倒を見ていたのでしょう。

上手に、私の相手をしてくれました。

先生も、「二人とも、いつも一緒やなぁ、仲良いなぁ。」と認めるほど。

とても優しい男の子でした。

この子がいなければ、幼稚園生活は良い記憶がほとんど残らなかったかもしれません。

彼には、感謝しています。

 

大人たちは、「あの子、乳児園から来てるんやろう?」と差別的な雰囲気で話していました。

私には、優しい男の子が、何か悪いことをしたのだろうか?と不思議でたまりませんでした。

 

その男の子は、幼稚園を卒業すると乳児園も卒業し、小学生以上が対象の児童養護施設に移ったため、幼稚園卒業以来ずっと会っていません。

 

卒園

 

そうして私は、無事に幼稚園を卒園しました。

 

卒園式では、飴をたくさんつけたリボンを輪っかにした、レイのようなものをもらいました。

それを持ったまま、新幹線に乗り、ディズニーランドに行ったことを覚えています。