kaleidoscope

自閉症スペクトラム障害、ADHD、うつ病を抱える如月の万華鏡のような頭の中を、書き連ねていきます。わわわアールブリュット作家。

分類ができない(通院)

メンタルクリニックの通院日

 

昨日は、メンタルクリニックの定期通院日でした。

いつものように、朝イチで診察券を出しに行ったのですが、少し混んでいました。

「1時間以上かかります。10時ころに電話してください」とのことだったので、いったん帰宅。

10時ころに電話をして、10半ころに病院に戻りました。

 

診察

 

今回も、持って行ったのは気分表だけです。

それも、あまりきちんと書いていませんでした。

それにささっと目を通して、先生が話をしました。

 

診断名がつけられない?

 

気分表には、「そわそわして落ち着かない、眠れない、人に対して異様に攻撃的になるから、もしかしてドーパミン出すぎてる?」と書いておきました。

それに対しては、「単なるうつ病ではないのかもしれない。双極性障害の軽躁状態に当たるのかもしれない。でも、何とも言えないなぁ。」

と。

てんかん性の気分変動の可能性もあるし、幻覚がたまにあるから統合失調症かもしれんし、はっきりとはわからん。知ってると思うけど、精神疾患って、どれも重なり合う部分があるし、ハッキリとこの病気ですって分けられる方が実は珍しいのかもしれない。」と。

 

また、「専門家でさえ、全部大きなくくりにしてしまって、その中で○○タイプって考えるべきじゃないかって言う人もいるし、細かく分けるべきだって言う人もいる。決着がついていない。関東と関西でも、どの病気に振り分けるかで考え方が違ったりする。だから、本当に困っている」とのことでした。

 

精神疾患って、結局は脳の機能障害なので、脳の研究がもっともっと進まないと、診断ってキチンとできないんでしょうね…。

だったら、「脳機能障害」でひとくくりにしちゃえば?って思うけど、そうもいかないのでしょう。

 

とりあえず、「 エビリファイで正気に戻る感じがする」って書いたので、、「エビリファイがこれだけ効くってことは、精神疾患であることは間違いないと思う」とのこと。

また、現状ではいろんな疾患に当てはまるので、無理やり分類するなら「非定型精神病」ということになるかなぁ…、とのことでした。

 

アスペルガーの要素は間違いなく持っているということも言われました。

そうでしょうねぇ(;^_^A

 

とりあえず、今のところ如月の状態は、「自閉とてんかんと何らかの精神疾患」ということになるようです。

 

いったい何なのか

 

しかし、うつ病なら一応治るといわれているけれど、統合失調症双極性障害だと一生ものだし、いろいろ違いも出てくるんだよなぁ。

いったい何なんだろ?

とりあえず、エビリファイで落ち着けるから、それでいいかとは思うけど。

ハッキリわからないのは、ちょっと落ち着かないものです。

 

障害者歯科で歯の治療をしてきました

障害者歯科での治療

 

昨日、障害児者歯科口腔センターに行ってきました。

センターを利用するのは、今回で5回目です。

 

朝から絶食、2時間前から絶飲で準備も万端。

家を出る前に熱を測って、36.2℃で体温も大丈夫!

そわそわしながら出発時間を待ち、いざ出発。

 

恒例行事の発熱

 

朝10時の予約で、「15分前には来て」と先生に言われていたので、9時42分ごろに到着。

今回はちゃんと受付があいていました。

ついてすぐ、いつものかかりつけの歯医者さん、N先生も来ました。

 

受付を済ませて、体温を測ると、なんと38.3℃!

やっぱりー!

予想通りやったwww

いつものことなんです、これ(笑)

家で測ってから、たった40分。

センターに着くまでの間に、2度も体温が上がってしまいます。

 

受付のお姉さんに体温計を見せ、「家では36.2℃でした」と言うと。

「後でもう一回測ってみようか」と言われました。

 

緊張と興奮で、一気に体温が上がってしまうのです。

普通なら、緊張や興奮で体温が上がりそうになっても、自律神経の働きできちんと平熱に戻るようにできているのですが。

私の自律神経はぶっ壊れているので、上がったら上がったまま…。

 

2度目に測っても、38.0℃でした。

なので、受付のお姉さんに「前もなんかそんなんやったよね…」と言われました。

センターに行くと熱が出るっていうんで、覚えられてる(;^_^A

いつも直前になって一気に上がるから、「えー!どうする!?」ってなるもんなぁ…。

 

で、麻酔の先生に連絡が行って、「体調は変わりない?」と聞かれて。

「はい。」と答えて。

「風邪の症状とかないよね?」と聞かれて。

「大丈夫です」と答えて。

結局前回もその前もセンターに着いてから熱出てるし、そのまま決行しちゃってるから、今回も熱は無視して決行することになりました。

 

しばらく麻酔の用意を待ちました。

待っている間に、重複障害かな?の女性と、知的障害か自閉症か…という男性がいました。

2人の親御さん同士がお知り合いのようで、カバンについておしゃべりしていました。

 

準備と治療

 

診察室に呼ばれました。

今回はお迎えが二人。

麻酔の先生と、衛生士さんです。

逃亡すると困るからかな?(笑)

 

それで、麻酔専用の部屋に入って、靴を脱いで治療ベッドに寝ます。

自力で上るには高かったので、ベッドを下げてくれました。

 

ベッドに寝ると、周りを数人の人に囲まれて、いろんな機械が取り付けられます。

今回は、麻酔の先生と、麻酔の看護師さん(今回はじめて男性でした。若いお兄さんだった)、それに衛生士さん二人。

かかりつけのN先生と、ほかに歯医者さんが一人。

 

酸素飽和度や血圧、心拍を図る機械。

頭には電極(てんかんの人だけだと思われます)。

鼻には酸素のチューブ。

それぞれの人が、それぞれの機械を私の体に巻いたり、貼り付けたりしていきます。

 

その間に、麻酔の先生が「熱あるけど大丈夫よね?」と再確認。

うん、と頷いて(もうしゃべる余裕がないのです・笑)

「歩いてきた?」と聞かれて、首を横に振って。

それを聞いていた衛生士さんが、「え?熱あるの?」と。

麻酔の先生が「8度あるんですよー」と答えると。

今度はN先生が「え?熱あんの?」といって私のおでこを触りに来ました。

ニヤッと笑いながら、「着いてから」と答えておきました。

するとN先生、「知恵熱や」と。

いつもの会話です。

いつものお決まりのやり取り、落ち着くわー(笑)

 

それらが終わると、今度は点滴の針を刺します。

私はもともと血管が細い上に、手が冷えていて血管が縮んでいて、針を入れるのに一苦労。

手の甲に針が入ったはいいけど、その後すごく痛くて痛くて…。

他の先生は、腕の太い血管に入れてくれるので、そんなに痛くないんだけど(;´・ω・)

 

準備が終わって、麻酔の薬を入れて。

薬が効いてくるまで待ちます。

 

その間、N先生は、比較的若いほかの歯医者さんに、治療法の説明や、こういう時はこの器具を使った方がいい、などの話をして、指導をしているようでした。

 

N先生が私の頭のところに戻ってきたなーと思って。

それでもまだ、ほかの先生と治療方法の話をしてるなーと思って。

何の話かなーと思って聞いていました。

 

……。

 

気づいたら、「終わったよー」と声をかけられていました。

いつの間にか、眠りに落ちていたようです。

起きる直前、夢を見ていました。

麻酔中に夢を見たのは、はじめてです。

夢には、なぜか怪盗キッドが出てきていました。

 

治療終了

 

「終わったよー」と起こされ。

「自分で起きられる?」と聞かれたので、左手を伸ばして起きようとしました。

しかし、そこで力尽きたのか、意志が途切れたのか、左手を伸ばしたまま止まってしまいました。

「無理かー」と言われて、その後「姫を運びまーす」という声が聞こえてきました。

寝ぼけているのに、思わず笑ってしまったじゃないかw

これ言ったの、たぶん、衛生士さんだと思う…。

1人、面白い衛生士さんがいたんですよ(笑)

 

「姫を運びまーす」と言われて、動けないように体を拘束するシートごとストレッチャーに載せられました。

そして、隣の回復室のベッドにおろされました。

いつもは3人くらいで運ぶのに、今回は4人がかりだったそうで…。

(※決して、如月が重たいわけではありません・笑)

男性看護師さんがベッドの上に乗って、引っ張り上げてくれました。

 

やっぱり、看護師さんも男性が必要ですね。

こういう力仕事が必要ですから…。

 

回復室に移動するときに、付き添いの人が呼ばれます。

母上がN先生に呼ばれて、「全部予定通りに終わったよ。今回はもう起きかけてる」と言われたそうです。

予定通りって…。

「神経を抜くか、そのまま残すか」っていう2択だったけど、どっちの予定通りなんだろう??

 

先生が「もう起きかけてる」と言った通り、半分起きていて。

いつもは30分~1時間くらい眠ってから起きるんですが、今回は15分くらいで完全に目が覚めました。

 

もしかして、起きかけていたから夢を見たのかもしれないな…。

誰かがふざけて如月を「姫」なんて呼ぶから、キッドが夢に出てきたのかも。

だとしたら、犯人は一人しかいない!

実際にはどうだったのかわからないけど…(笑)

 

障害者歯科は必要

 

私がベッドでゴロゴロしている間に、次の人が麻酔を使った治療の準備をしていました。

母上曰く、年齢はわからないけれど、大人の体格で、体重は80キロはありそうな人だったそうです。

麻酔の部屋に入ってから、点滴で眠るまで、ずっと「怖いー!」と泣いていました。

点滴も入れられないようで、押さえつけて入れたようです。

「痛いー!」という声も聞こえてきました。

 

そりゃ、怖いよな。

如月でも怖くて熱だすくらいだもんな。

そして、点滴入れるの痛いよな。

あれはほんとに痛いよな。

 

しばらくして、麻酔が効くと、パタリと静かになりました。

体格が良くて、暴れるタイプの人がいると、そりゃぁ男性の手もいりますよね…。

女性だけではなかなか、対応しきれないこともあるでしょう。

 

私は目が覚めてしまって、「おなかすいたから帰る!」と言って起きました。

母上に受付のお姉さんに伝えてもらって。

麻酔の先生と、N先生じゃない歯医者さんが来てくれました。

 

「口しびれてない?」と聞かれたので。

「こっち(左側)の唇がしびれて気持ち悪い」と言うと。

「麻酔してるからね、熱いものはしばらく飲まないでね。冷たいものはいいよ」と言われて。

立ってみてふらつきもなかったので、そのまま解放されました。

 

因みに、この時点で熱はすでに下がっています(笑)

 

最後にお金を払って、終了。

今回は6000円でした。

 

行った治療の詳しい説明は、次回6月13日にN歯科に行ったときにしてくれることでしょう。

 

皆さんのおかげ

 

センターは有志の先生方、衛生士さんたちの力で運営されています。

積極的に、障害者の歯科治療にあたってくれる方ばかりです。

手がかかるにも関わらず、丁寧に、優しく接してくれます。

本当に、ありがたいことです。

休みなく働いている先生もいます。

こういった施設が、もっとたくさん増えて、ごく当たり前に障害のある人の治療を行ってくれる場が増えてほしいと思います(#^^#)

社会人1年目・会社に行けない

圧力

 

それから2~3日。

今度は、ノルマをすべて達成するまで、戻ってくるなと言われました。

それを言われたのは、お昼すぎ。

「お昼食べてる場合じゃないで、すぐに行き!」と言われ。

私は、その言葉に従って、すぐに出かけました。

そして、夜8時。

まだ、大阪市内を自転車で走っていました。

もうこのまま、会社から逃げようか、と何度思ったか。

そのとき、指導の先輩から、携帯電話に電話がかかってきました。

電話に出ると。

「今どこにおる?ノルマ達成してなくていいから、早く戻ってきて・・・」

先輩が、泣きそうになりながら電話してきました。

 

泣きたいのはこっちだ!そう思いながら、私は事務所に戻りました。

ほとんどの人は、夜7時ころには事務所に戻ってきます。

私が8時になっても戻ってこなかったので、さすがに先輩はあせったようです。

「まさか、本当に戻ってこないと思わなかった。」

先輩は、そういいました。

その日は、ノルマ達成も、日報もなしで、許してもらいました。

この日が金曜日。

 

うつ状態

 

このころになると、毎週土日は引きこもり状態で。

ずっと好きだったゲームも楽しめなくなって。

一日中泣いていて。

 

でも、戻るな事件があった土日に、もう辞めたい、死にたいという思いが一番強くなって。

親との電話でも、はっきりとそう伝えました。

 

月曜日。

私は、会社に行けなくなりました。

それまでも、地下鉄で吐きそうになったり。

拒否する状態は続いていました。

しかし、この日は違いました。

起きることは起きました。

でも、辛くて、洗面所に立てないのです。

身だしなみを整えようとすると、震えが止まらず、足に力が入らず、立っていられないのです。

 

もうダメだと思った私は、会社に体調が悪いため休ませてほしいと、電話を入れました。

1年目は、有休を使わせてもらえません。

そのため、「病院へ行け。病院へ行ったらそのあと会社へ来い」と言われました。

 

心療内科

 

土日の間に、ネット等で自分の状態がうつ状態であると確信した私は、迷わず心療内科へ行きました。

そこで、いろいろ聞き取りがあり。

うつ状態」と診断されました。

先生は、会社は休みなさい、必要があれば診断書も書くし、薬も出す、と言ってくれました。

その時はとりあえず、薬は断り、家に帰りました。

 

そのまま、会社に電話をしました。

指導の先輩に、病院で言われたことを報告しました。

その時言われた言葉が、「なんで心療内科に行ったん?」でした。

「昔似たようなことがあって、その時と同じだと思ったので」とごまかしながら説明しました。

状況が状況なだけに、一日休むことができました。

 

仕事を辞める

 

親にも電話し、話をして、辞めることを決めました。

 

次の日も、やはり会社には行けませんでした。

朝から会社に電話して、しばらく休ませてほしい旨、伝えました。

 

一人暮らしだったので、動く気力もなく、ご飯も食べず、ずっと寝ていました。

昼の3時ころ。

指導の先輩から電話が来ました。

ご飯も食べられる状態じゃないこと。

もう辞めたいこと。

伝えました。

 

そこから、上司に連絡が行ったようです。

さすがに、自分のチームからうつ病者を出すことはまずいと思ったのでしょう。

すぐに、退職の手続きをしてくれました。

私の前に、2・3人すでに退職した子がいましたが、その子たちは上司にメチャクチャ言われたそうです。

しかし、私はすんなりと辞めさせてもらえました。

 

私の新社会人生活は、2か月と11日で終わりました。


ブラック企業だった

 

因みに、のちのち聞いたところ、私の退職後、続々と退職者が出て。

7月末には、3分の2が辞めたとのことでした。

おそらく年度末には、もっと沢山の人が辞めていたことでしょう。

同じ会社の東京本社に入社した友達は、12月に、「成績が悪いから、1月から会社に来ても面倒は見ない」と言われたため、退職したと言っていました。

社会人になった

就職

 

大学3回生の冬から始めた就職活動。

大学4回生の5月に、大手生命保険会社の営業と、出身地の大手スーパーに内定をもらいました。

そして、最終的に、大手生命保険会社の営業を選び、10月に無事内定式を迎えて、4月から、晴れて新社会人となりました。

 

同じ大学・同じ学部学科から、同じ苗字の友達二人も、同じ会社に就職しました。

これは、とても心強かったです。

この二人がいなかったら、私は入社してすぐ辞めていたでしょう。

実際、入社一週間で辞めた子もいました。

なぜ、私でも内定がもらえたのか。

その理由が、すぐにわかることになりました。

 

研修

 

最初の一週間は、主に会社のことを勉強し、マナーを叩きこまれます。

会社の勉強は、いわば洗脳。

マナーは、後々役に立つので、これは受けておいて損はないと思いました。

 

資格試験

 

次の週からは、生命保険の営業をするための資格試験に向けて、猛勉強です。

ここまでは、順調でした。

なんせ、覚えるところはすべて教えてくれるので、記憶力がいい私にとって、特に苦になることもなく。

毎日、前日勉強した内容の小テストがありましたが、赤点(7割だったかな?)を取ることもなく。

赤点だった子たちは、毎日居残り勉強をさせられていました。

自慢じゃないけど、私は一度も居残り勉強はしませんでした。

 

営業開始

 

4月末になり。

資格試験の勉強もしながら、先輩の営業に同行し、見学。

そして、新規開拓の飛び込み営業も始まります。

見本を見せてくれたのは、1回だけ。

指導に当たる人が、1人で新人4人+2年目1人~2人を受け持つのだから、仕方ないことだとは思います。

そのあとは、ちょこちょこついては来るものの、特にアドバイスもなく。

訪問件数のノルマを達成することだけを求められました。

達成できなければ、怒られる。

 

そんな中、試験の日を迎えました。

もちろん、試験はほぼ満点で通過。

ここから、本格的な営業が始まります。

自分の受け持つ会社を、二つもらいました。

そこへ通って、昼休憩に営業をかけながら、新規の開拓もしていくことになりました。

 

何か違う

 

他の子は、何とか3つあるノルマを達成しているのに、私だけ、1つしかノルマを達成できませんでした。

その理由が、全く分からないのです。

それでも、一か月、毎日毎日頑張りました。

指導してくれる先輩に、「何があかんのかな?」と言われながら。

 

あまりにもノルマが達成できない子には、ベテランの指導者が同行します。

ついに、私にもそのベテランさんがついてきました。

でも、そのベテランさんでも、営業が難しい会社を、私が受け持っていたのです。

 

それでも、私は毎日できるだけのことはしました。

ある日、指導の先輩に、「何であかんかわかる?」と聞かれました。

私は、全く分からなかったので、「分かりません」と答えました。

それに対して、「ちゃんと考えてるん?」と、先輩が言いました。

この言葉に、私は「もうこの人にはついていけない」と感じました。

 

指導者と合わない

 

私も、部活で人の指導をした経験があります。

だから、指導をする立場の人間が、どうしてもきつく言わないといけないときもあること。

逆に、言ってはいけないことも、ある程度分かっているつもりです。

だからこそ、「あぁ、この先輩は、指導者としての器じゃない」と感じてしまいました。

 

生命の危機

 

淀川の土手に上がり、自殺しようと何度思ったか。

地下鉄の駅で、電車を待ちながら、何度線路に吸い込まれそうになったか。

何度、営業先のビルの外階段から地面を見ては、飛び降りようと思ったか。

 

ここから、状況はさらに悪化していきます。

もうすぐ障害者歯科センターに行きます

障害者歯科での治療

 昨日、歯医者さんに行ってきました。

6月4日に、障害児者・高齢者歯科保健センターで治療をするため、その直前に1度来てと、かかりつけの歯医者さんに言われていたためです。

 

私は、定期的なメンテナンスや、治療可能な場合はかかりつけの歯医者さんに行っています。

ですが、通常の治療が困難な場合のみ、障害者や高齢者だけを診察している、特殊な歯医者さんに行きます。

知的障害、自閉症を含む発達障害てんかん、肢体不自由などの障害児・者、認知症、その他有病者などを対象にしています。

 

障害者歯科に行ったきっかけ

 

私の場合、もともと「異常絞扼反射」という状態で、口の中に器具を入れることができず、治療が困難でした。

かかりつけの歯医者さんがたまたまセンターに関わっていた(しかも偉いさんだった)ため、まだ障害の診断を受ける前からセンターを利用させてもらっていました。

 

発達障害てんかんの診断がついたのが、センターを利用させてもらった後でした。

 

センターのスタッフさんは、みんな障害のある人の扱いに慣れていますから、安心して治療を任せることができます。

治療中に動いてしまっても、怒られることはありません。

適切に対応してくれます。

 

かかりつけの歯医者さん(N先生)も、このセンターで治療を行っています。

本当は先生の指名はできないんですけど、N先生が順番を決めているため、私はいつもN先生の当番の日に予約を入れてもらっています。

 

発達障害からくる人へのこだわり(N先生でないと絶対に口の中を触らせない)、口の中の過敏などの理由で、N先生でないと治療ができないからです。

 

事前の打ち合わせ

というわけで、センターでの治療の前にかかりつけのN先生のところに行って、どの歯を優先的に治すのか、どういう治療をするのかを前もって決めてきました。

 

予約時間に行くと、待合にも診察室にも誰もいない。

すごく空いていました。

ラッキー(*'▽')

おかげで、先生とゆっくり話すことができました。

 

センターの予約は、朝10時。

4時間前から絶飲食(前は2時間前まで飲水は可じゃなかったっけ?)。

予約4日前になって、ようやく時間を教えてくれました(;^_^A

日にちは、3月末の時点で仮予約されていたのですが、時間は教えてもらっていなかったのです…。

 

で、右の歯と左の歯と、どちらの方が痛いのかと聞かれて。

「左」と答えると。

「右じゃなくて左やな?よし、じゃぁ左をメインにしよう」ということになりました。

 

前回パノラマレントゲンを撮ってから1年以上が過ぎていたので、もう一度パノラマレントゲンを撮りました。

パノラマレントゲンでは、左上の歯は大きく変わりはないけれど、小さいレントゲン(口の中に入れて撮るやつ)で見てみないと、どうなっているかわからない、と。

センターで麻酔で眠っている間に小さいレントゲンを撮って、神経を抜くか、薬だけ詰めてまた蓋をするか、考えるとのことでした。

 

治療に関して、「なにかご希望は?」と聞かれたので。

「別に」と答えたら、沢●エリカみたいになってしまいました(;^_^A

基本無表情なので…(苦笑)

そうしたら先生が、「特にないか。やさしくしてね♡っていうだけか」と言ってニヤニヤ笑っているので。

「まーた先生ギリギリな発言してるよー」と心の中で笑い転げながら、大きく頷いておきましたwww

20年来の付き合い(一番最初から考えると30年)ですからね、慣れたもんです(笑)

 

それより、先生の髪型がまたなんか微妙なことになってて、「今度はどんな髪型にするつもりだ!?」と気になって気になって…。

前にとんでもない髪形になってたことがあったから…(笑)

 

こんなおちゃらけてる先生ですけど、腕は絶品なのですよw

いろいろ研究もしてくれるし、「この方法がダメならこれでどうだ!」って挑戦してくれるし。

N先生じゃないと、如月は歯医者さんに通えていません。

いや、ホントに。

 

「あとは当日まで体調崩さんように。もし当日体調悪かったり、熱出たりしたらすぐ連絡して。前日でも連絡して」とのことでした。

いや、体調の問題はないんですけどね…。

いつも、当日に熱だすのは、家で出てるわけじゃなくて、センターに到着するまでの間に一気に熱が上がってるんですよ…。

家では平熱だから、「熱あります!」って連絡できないのよ(;^ω^)

 

結局、「緊張してるだけ」ってことで、毎回強行するんだけどね(笑)

今まで、当日に熱ださなかったことがない。

最高記録で38度行ったからなぁ。

その時でさえ、家では36.5℃くらいで、センターに向かう20分くらいの間に一気に上がったのよ…。

 

がんばってきます

というわけで、歯の治療までもう少し!

手順とかはもう何回もやってるから慣れてるし、特に不安もないので、おとなしく待つことにします。

 

治療中は、私は寝てるだけですからね。

頑張るのは、N先生です(笑)

大学での人間関係と自己確立

人間関係は良好

 

大学での人間関係は、概ね良好でした。

多少揉めたり、ズレが生じることはありましたが、大したことではありませんでした。

 

環境が良かった

 

私が少し大人になった、ということもあったでしょう。

しかし、一番大きな要因は、環境にあったと思います。

 

部活では、私を認めてくれる先輩や同級生、後輩たちに恵まれました。

私は、私に自信を持つことができるようになりました。

 

そして、私が入ったのは歴史学科だったことが、一番大きでしょう。

女子大で、歴史を前面に打ち出した大学は、全国でも珍しく。

そして、大学のメインは歴史学科でした。

一番力を入れていて、有名な先生方も沢山いらっしゃいました。

今でも、時々TVや新聞で、その先生の名前を見かけます。

北海道や沖縄などからも、学生が来ていました。

 

そんな歴史学科です。

集まったメンバーも、変わった人が多くて。

でも、みんな「歴史」という、共通の趣味を持っています。

女子で、歴史を本気で学ぼうという意思を持っている人は、なかなかいません。

歴女という存在が増えてきましたが、それは含まれません。)

だから、一緒にいても違和感がありませんでした。

 

歴史の研究は、自分の世界に浸るのと似ています。

自分の想像を、文献や史料を使って、正解であることをいかに証明するか、という研究だからです。

一人で、自分が築き上げた想像を、証明していくのです。

みんながそれぞれ、自分の世界に浸っているようなものだと思います。


一生の友達

 

私が仲良くなったメンバーも、おかしな奴ばかりでした。

(こんなこと言ったら、怒られるかな…)

VHCクラブと命名された謎の団体に勝手に加入させられ、私は会員№5でした。

会員は全部で5名。

「ばっちこい!変態クラブ」だと教えられたけど、本当は違いました。

ようやく本来の「ベリー はらぺこ クラブ」だと教えてもらえたのは卒業して7年が経った頃でした(笑)

 

アイは、常日頃から白昼夢を見てるようなやつで。

しかも、自分を斜め上から見ているような感覚を持っている、と言っていました。

話をしていても、時々宙を見つめて、どこかへ旅立っていました、(笑)

 

チセは、一人称が「俺」とか「おいら」でした。

メンバーの中では、一番普通でしたが、それでも変わってました。

少林寺などの格闘技をやっていたので、体格も良く。

いつも、男物の服を着ていました。

 

イツミは、とにかくすぐ体調を崩してました。

何度、救出に行ったか知れません(笑)

いつも、ほわほわしてました。

 

ハツエは、強烈です。

味噌を腐らせ、それで味噌汁を作り、友達と食べて全員がお腹を壊したり。

ご飯を炊いた炊飯器を放置し、ジャーにカビを生えさせたり。

家の中が片づけられず、服は2回着てから洗濯したり。

生ごみ入りのゴミ袋を、口を縛るとこまではしたものの、そのまま家に放置して、中に大量の虫がわいたり。

リアルのだめでした(笑)

あまりにひどいので、アイとチセが無理やり押し入り、家の中を片づけたそうです…(苦笑)

そして、しょっちゅう遅刻していましたし、課題も提出ギリギリ。

卒論も、結局自分で書いてないし・・・。

 

そこに、私がいたのです。

多分、学内でも強烈な個性を持ったメンバーが集まっていたと思います。

いつもはそれぞれ勝手に一人でふらふらして。

メンバーのうち誰かを見つけたら、そこに寄って行って。

そこへまた、他のメンバーがふらふらと近寄ってくる。

そして、集まったらいつも、馬鹿騒ぎしてました。

みんな、ファッションの話やアイドルの話には興味がなく、一切そういった話はしませんでした。

好きな俳優さんは?っていう話題が、唯一あったけど。

全員が、渋い中年以上の俳優さんを挙げました(笑)

ほとんど、歴史ネタで盛り上がっていました。



今まで出会った中で、私が唯一、一生付き合っていきたいと思った友達です。

それぞれ、地元へ帰り、宮崎・長野・静岡・東京と、ばらばらになってしまいました。

遠く離れて、なかなか会うこともできません。

 

チセとアイには、卒業して6年間の間に、2度会いました。

ハツエとは、1度会いました。

イツミとは、6年間ずっと会っていませんでした。

VHC旅行を、企画したこともありましたが、全員の予定が合わず、計画倒れに終わり、それ以来計画できずにいました。

しかし、卒業から7年の時を経て、全員が集まることができ。

それ以来、毎年できるだけ集まろうと約束して、3回VHC旅行を開催することができています。


「わたし」のアイデンティティ

 

素の私を認めてくれて。

好きだと言ってくれて。

そんな友達に出会えて、私は幸せでした。

大学生活のおかげで、私は「私」を確立させることが、できました。

もし、このメンバーと出会っていなかったら、私は今でも「私」をさがし続けていたでしょう。

変でもいいじゃないか。

世の中には、その「変」を認めてくれる奴もいる。

同じ「変」な奴でグループを作ることだって、できる。

 

その経験が基礎にあるからこそ、私は今、一人になることは怖くありません。

一人になっても、理解してくれる人と、つながっているから。

 

大学に行ってよかった

 

だから、私は大学生活を経験してよかったと思います。

高校生のときは、大学に行く意味がわからなかったけど。

私は、自分探しのために大学に行くのだと思います。

自分探しの旅に出るより、もっと大きな収穫があると思います。

 

私は、大学で出会ったすべての人に、心からありがとう、と言いたいと思います。

大学1回生③

試験

 

前期の最終、7月末には、試験がありました。

大学のテストは、語学以外は高校までのテストとは全く違いました。

 

ノート持ちこみ可・教科書持ちこみ可で、教室で、問いに対して自分の考えを書くもの。

問いに対して、授業で先生が説明したことを、もう一度自分なりにまとめて記述するもの。

レポートとして、期限までに提出するもの。

授業の出席と、毎回授業終わりに提出する小レポートだけで点数をつけるもの。

色々ありました。

 

高校の頃から、小論文が得意だった私は、大して困ることもなく、テストをこなしていきました。

成績も、上位でした。

 

先生が興味津々

 

一度、2回生の時だったか、政治系のテストのとき、「○○について自分の考えを述べよ」と書いていたので、結構過激なことも書いたことがあるのですが。

そのとき、試験監督に立ち会った先生(受講生が多く教室が広いので、2人で見ていた)が、私が書いている答えに興味を持ったらしく、じっと見て、読んでいたこともあったなぁ(笑)

この先生は、博物館実習の講義で、私の能力を買ってくれていました。

 

レポートはさっさと仕上げる

 

レポート提出は、文章を書きだしたらあっっという間に仕上げてしまう私は、期限前に書き上げて早めに提出していました。

そのため、同じ講義を受けている他の子が悪戦苦闘しているときに、私はのんびりしているなんてことも、多々ありました。

そして、一番遅れているイツミとハツエのレポートを手伝ったりもしていました。

その代りに、お菓子とかご飯ごちそうしてもらって(笑)

 

そんなこんなで、無事テスト期間も終え。

9月中旬までの、長い夏休みに突入しました。


1回生・後期

 

9月中旬。

また、自分で後期の授業登録をし。

新しい授業が始まり。

ゼミ以外は、大して変わることのない毎日でした。

 

ゼミ

 

ゼミは、後期は日本史でした。

私は、学科内では一番文章や発表にうるさいと言われる、M先生(男性)に当たりました。

この先生は、古代が専門です。

ゼミのメンバーは少し入れ替わり。

私とイツミともう一人、同じ苗字○下が3人。

そして、アイを含め△下が2人。

そのせいで、初めて出席を取った時から、先生は、「ややこしいな!」と混乱(笑)

フルネームで呼ばなければわかりませんからね(笑)

 

ゼミの内容は、「京都名所図絵」という昔の観光ガイドブックのようなものを使って、そこに書いてあるミミズのような文字を解読して発表することと、その場所に実際に行って、見てくること、その場所について調べること、でした。

そして、それを前期と同じく、一人ずつ発表していきます。

 

私は、六道珍皇寺に当たりました。

小野篁(おののたかむら・えんま様に仕え、夜な夜な地獄のえんま庁に出仕していたとか)と関係が深い寺です。

ハツエは、晴明神社に当たりました。

二人とも、京都の異界・魔界が担当になりました。

 

そのころ、ちょうど映画「陰陽師」が放映され。

私も、陰陽師にはまりまくって、安倍晴明について調べたおし、異界・魔界についても興味を持っていました。

そこで、ハツエと二人、いっしょにお互いの担当の寺と神社を巡りました。

京都府立図書館で、異界・魔界の本を、片っ端から漁りました。

そして、この先生も調べたりないところなど、ツッコミが怖いのですが、私は何とか切り抜けました。

ハツエは…遅刻などで先生に目をつけられるわで、大変でした(苦笑)

 

大きな独り言

 

このゼミで、私はうっかり、独り言を大きな声で言ってしまったことがありました。

誰かが、「宇治川」について発表した後の、先生の解説の時でした。

先生が川がどうこうと説明しているときに、つい「この川、一体どっち向きに流れてるん?」と言ってしまいました。

しまった!と思った瞬間。

先生が、「そう!それが大事なんだよ!この川は北から南へ流れてるのか。南から北へ流れてるのか。」

と言いました。

大事な発言であれば、授業中に独り言を言ってしまおうが、怒られることはありませんでした。

むしろ、気付いたことが素晴らしいと褒められる始末(笑)

この先生とは、とてもウマが合いました。

いやー、しかし、楽しかったなぁ(笑)

研究って、自分の興味のあることをとことん突き詰めても、誰も文句を言わない。

それどころか、突き詰めれば突き詰めるほど、ほめてもらえるのです。

私にとって、こんなに向いていることはないと思います。

 

そして、また後期のテスト期間に入り。

単位を落とすことなく、無事1回生を終えました。


ディズニーランドへ!

 

そして、2月3月の春休み。

私は、仲良し組で、ディズニーランドへ行きました。

 

きっかけは、生協にあったパンフレットでした。

それを、アイが持ってきました。

テスト後に暇を持て余していた私たちは、学食にいました。

そこで、ミニパフェを食べながら、行きたいねぇ、行っちゃう?行こう!という流れになりました。

その時そこにいたのは、私とアイ、ハツエ、イツミ、チセ。

私は、チセとははじめて話していました。

名前も知りませんでした。

中国語の時に後ろにいた子だということだけ、分かっていました。

 

そして、そのまま、そのメンバーでディズニーへ行ったのです(笑)

手配はすべて、用意周到なアイがしてくれました。

そして、3月。

私たち5人は、京都発の夜行バスで、ディズニーへ旅立ちました。

一日目は、天気が荒れると言われていたので、ガラガラでした。

思いっきり、遊びました。

ビッグサンダーに、一日5回乗り。

スプラッシュマウンテンに、3回乗り。

スペースマウンテンにも、3回乗れるくらいすいていました。

この行列のできる乗り物で、呼び込みしてたんです…(笑)

 

夜はホテルでトランプで遊び。

次の日はディズニーシーへ行き。

そしてまた、夜行バスで帰ってきました。

強行軍だったけど、すごい楽しかった!

 

 

この時、私もチセも普通に遊んでいました。

イツミもアイもハツエも、その自然さに、私とチセが知り合いだと思っていたようです。

後々、ディズニー行ったときが、初対面だったんだよね、名前も知らなかったって言ったら、三人ともびっくりしてました(爆笑)

でも、初対面でも普通に付き合えるくらい、気の合う人だったんです。

私は、この大学で、友人に恵まれました。