kaleidoscope

自閉症スペクトラム障害、ADHD、うつ病を抱える如月の万華鏡のような頭の中を、書き連ねていきます。わわわアールブリュット作家。

絶不調(精神科通院)

今日は、メンタルクリニックの定期通院日でした。

朝から大雨でしたが、その中を頑張っていってきました。

 

梅雨に入ってから、降るといえば土砂降り、降らないといえばピーカンお天気。

もう、体がついていきません(´・ω・`)

梅雨ってもっとこう、しとしとと風情のあるものだと思うんですが。

こんな暴風では、カタツムリちゃんも吹っ飛ばされて流されちゃいますね(;^ω^)

 

朝イチでメンクリに診察券を出しに行くと、1時間弱待ちだったので、先に予約してある内科に生きました。

近所の内科に行くだけで、雨に濡れてびっちょびちょ。

いやになります。

 

玄関を入ったところに、見覚えのある缶バッジが置いてありました。

ふと自分のヘルプマークを見ると、つけてあるはずのうさぴんマークの缶バッジがない!

どうやら、前回落として行ったようで、保管してくれていました。 

いつのまに落としたんだろう…2週間、ないことにすら気づいていなかった(;'∀')

 

ちなみに、うさぴんまーくとは、聴覚過敏があって、耳の保護具を使っていることを知らせるマークです。

実物はこちら↓

うさぴんマーク(株式会社石井マーク)

 

恒例になった体温計測で、またもや体温が37℃を超えてしまいました。

今回は、37.6℃で隔離部屋行きです。

もちろん、風邪なんて引いてませんし、体に不具合はありません。

単に、自律神経が壊れていて、体温調節が下手なだけです。

実際、家に帰って測ったら、36.6℃でした。

こりゃ、夏中ずっと隔離部屋だな(笑)

先生とも、「夏中、ずっと隔離部屋ですかねー」って言って笑ってました。

行く先々で体温を測られるご時世ですから、「大変だねー」と言われてしまいました(;^_^A

 

帰りに受付で清算していると、受付のお姉さんが「クジラ柄のマスク、夏らしくてかわいくていいですね」と言ってくれました。

「マリン柄が好きで、生地を分けてもらったんです」などなど、お話してきました。

 

 

そのあとは、いったん家へ帰って、ちょっと休憩して、メンクリに戻りました。

待ち時間はほとんどなく、すぐに診察室に呼んでもらえました。

 

感覚過敏の話をちょっとしました。

今日は、病院の入っているビルの入り口からずっと、廊下全部にユーセンが流れていることが気になっていたんですが。

それが、廊下だけじゃなくて、診察室にいても聞こえてくるのです。

主治医に言うと、「防災設備の関係の検査をやりだしてから、ユーセンが鳴ってる」とのこと。

主治医が「ここでも何となく聞こえてるよねー」っていうので、「めっちゃ聞こえてて気になる。何の曲か、ドレミが聞き取れるくらい聞こえる」というと。

「そんなに聞こえてるの!?そりゃ聞こえすぎてしんどいわけだ」とびっくりしていました。

 

主治医曰く、「感覚過敏は、頭ではわかるけど、感覚的に理解するのは無理だからなぁ」と。

そりゃそうですよね、感覚って個人個人のもので。

他人の感覚を体験することは、今のところできない。

同じ環境に身を置いたときに、どんな感じ方をしているかを言語化して伝えるのが精いっぱい。

言語化しているから、もちろん完全に理解することは不可能。

 

最近、梅雨のせいで不調続きで。

働ける人ってすごいなーっていう話をしました。

主治医は、「そうだねぇ」と言いつつ、「でも働けないのはもう仕方ないね、これ以上はどうにもしてあげられない。家でできることをやって、食べられるときに食べて、寝られるときに寝て、とにかく生き延びて」と。

医者にも手に負えないんだわな…仕方ない(´・ω・`)


主治医は割と、症状が治まると積極的に社会復帰を促すタイプの医者なんですが、如月には「とにかく働く許可は出せない」といいます。

それは、今はなんとかギリギリ崖っぷちでも日常生活が送れる状態を保っているけれど、働いたらあっという間に転落することがわかってるからなんですよね。

通院が2週間に1回なのも、ちょっとしたことで、あっという間に悪化するからなんですよね。

 

今まで8年ほど通院して、何度も転落して、入院の危機もあったから、自分でもわかってるんだけど。 

働くことが偉いことじゃないし、働くことが生きることでもないのも頭では理解してるんだけど。 

やっぱり、働けないっていうのは、悲しくなります。

如月は何のために生きてるのかなぁって。

いや、極論を言うと、生まれたから生きなきゃ仕方ないし、生きるために生きてるんですけどね。

 

働くことにこだわらなくなりたい、働いていなくても存在していいと理屈ではわかっているんですが。

時々、「働かなきゃ存在意義がない」っていう考えにからめとられ、支配されてしまいます。

それが嫌だ。

 

如月は如月なんだから、入院しないよう崖っぷちで踏みとどまって、おうちで安定して過ごせるようにするのが最善なんだと、しっかり納得したいです。

 

働きたいというのは、高望みでしょうか。 もっと自由にあちこち遊びに行きたいと思うのは、ぜいたくな願望でしょうか。

そんなことを思うのは、きっと、自分自身が一番あきらめきれてないからなんでしょうね。

 

とにかく、地にはいつくばってる状態でも、命ある限りなんとか生き延びるのが如月の使命みたいです。

ぼちぼち、生きます。