kaleidoscope

自閉症スペクトラム障害、ADHD、うつ病を抱える如月の万華鏡のような頭の中を、書き連ねていきます。わわわアールブリュット作家。

神話・民話の中の障害者

歴史の中の障害者

私、神話や民話に興味がありまして。

それというのも、大学時代、言い伝えについて発表する機会があり、柳田國男の、民俗学の本に手を出したことがきっかけで。

その関係で、歴史のなかの障害者についての研究をした本を手に取る機会がありました。


そして、最近、新聞でも、『古事記』における障害者像関係の記事を読み、いろいろと考えたことああるので、書いていみようかと。

 

神話にも登場する

実は、神話にも障害者って、登場するんです。

イザナギイザナミの最初の子どもは、ヒルコと言われます。

手足がなかったとか、3歳になっても歩かなかった、などと言われています。

このヒルコ、実は恵比寿様なのですが。

どうして神様としてまつられるようになったのか。


神話によると、イザナギイザナミは、歩かない子を、川に捨ててしまったそうです。

その子は川を下流まで流され、やがて海に流れ着き、浜に打ち上げられます。

その子はその流れ着いた土地に繁栄をもたらし、やがて神として祭られたそうです。


他にも、歩けない神様がいます。

その神様は、歩けないけれど知恵があり、後々カカシとして信仰の対象になったそうです。


大昔の天皇の子の中に、成人しても一言も発さない子がいた、とか。

生まれてから数年間歩けなかった子がいた、とか。

記録に残っているものは少ないですが、明らかに障害者と分かる人や神様が、登場します。

 

民話にも登場する

また、民話の中にも、そういったものがあります。

墓の中で、死んだ母親から生まれた子の話が有名です。

「幽霊子育て飴」のお話を、ご存知の方もいらっしゃると思います。


詳しい説明は割愛しますが、墓から掘り出された赤ちゃんは、全身が真っ白で、目も見えず。

身寄りがないので、寺に預けられ、後に高僧となります。

こういった話は、全国各地にあり。

柳田國男の研究では、「赤子塚の話」としてまとめられています。


これって、あきらかにアルビノの子どもですよね。

生まれたときから、髪も皮膚も、真っ白。

そう言われて思い出すのは、「雪女」の話。


昔は、障害のある子や、見た目が他の人とは違う子は捨てられたり、寺に預けられたりしたそうです。

お寺が、今でいう福祉施設の役割を担っていた、とも言われています。


寺に一つ目小僧の妖怪が出る、なんていう話も、よく聞きます。

おそらく、寺のそういった役割から、寺に妖怪が出る、という話ができてきたのではないか、と思います。

 

原始より共存してきた

文献もない、本当に古い時代。

原始人の頃にも、障害者を皆で支えて生活していた、という証拠も、出てきています。

 

歴史の中にも、障害者は登場するんです。

その中で言えるのは、恐れられたり、敬われたり、とにかく奇異の対象ではあっても、社会の中に溶け込んでいる例がある、ということです。

他人とは違っても、特殊な能力を持っていれば、その能力を発揮した人も、いたのです。

神様として崇められたりしているので、特別扱いと言えば特別扱いですが。


大昔から、障害者と健常者が共存してきたことは、間違いのない事実だと思うのです。

それが、今は「働けるか働けないか」という価値観で見られ。

働けない障害者はお荷物だ、なんて風潮があります。

それは、案外最近の風潮なのではないのか、と思うのです。

昔の方が、固定観念にとらわれず、障害者も社会に受け入れられていたのではないかと思うのです。


勿論、差別なんて全くなかったと言うつもりはありません。

河原者としての生活を強いられたこともあるでしょう。

しかし、芸能の一部は、その河原者が発祥でもあるのです。

 

歴史的見地から思ったこと

以上の考察は、あくまで歴史(文献史学)が専門の私の意見です。

障害者の人権どうこうということに関しては、全くの素人ですので、深く追及することは出来ません。

なので、歴史と障害者について、ちょっと考えてみたよ、くらいの感覚です。

これ以上深いことは、本当に難しい問題なので、私もよくわかりません。

それだけは、お断りしておきたいと思います。