kaleidoscope

自閉症スペクトラム障害、ADHD、うつ病を抱える如月の万華鏡のような頭の中を、書き連ねていきます。わわわアールブリュット作家。

生きたい

希死念慮

一時に比べ、うつ状態は大分落ち着いてきた如月です。

でも、まだ時々ふと、「消えたい」と思うことがあります。


なにかちょっとしたきっかけがあったり。

何となく気分が落ち込んでいたり。

電池が切れかけていたり。

そんな時に、「もう死んでもいいんじゃない?」と思うのです。


「自殺なんて、絶対にしちゃダメ!」

「生きたくても生きられない人もいるんだから!」

そう言われることも、多々あります。

私は、その言葉の意味が分かりません。


「生きたくても生きられない人もいる」

なら、私が死んで、その人に命をあげる。

臓器を提供して、その人が生きられるなら、あげる。


「自殺は許されない」

どうして?

誰がそんなことを決めたの?

なぜ自殺は悪いことなの?

私一人が消えたところで、世界が崩壊するわけでもない。

何かが失われるわけでもない。

どのみち、人間はいつかは死ぬ。

その死ぬ時期を、自分で決められるなら、むしろそれは幸せなことなんじゃないの?


どなたか、反論できる方はいらっしゃいますか?

おそらく、誰にも「どうして自殺はわるいことなのか」という答えは分からないでしょう。

 

真っ暗闇のトンネルで

「生きていれば、いつかはいいことがある」

今、真っ暗なトンネルを歩いていて。

出口も見えない。

トンネル内を照らす明かりもない。

手探りで、這いつくばって、もがいて。

そんな状態で、「きっといつか、光が見える」なんて言われて。

信じられますか?


どこにゴールがあるのか分からない。

どこまで真っ暗闇が続くのか分からない。

隣りに人がいても、その人の存在を感じ取れない。

隣りにいる人は、「がんばれ!もっと早く進めば、早く灯りが見える!あきらめるな!」そういうけれど。

その場で灯りとなるものを差し出してくれるわけではない。


そんな時、その隣にいる人が、全てを受け止めてくれたら、どんなに気が楽になることでしょう。

その人が、私の「怖い。この暗闇はいつまで続くの?もうここで立ち止まりたい」という気持ちを否定せずに、受け入れてくれたら、どんなに嬉しいことでしょう。


トンネルの中にいるときは、「弱音は吐いてはいけない」という檻に閉じ込められている時です。

そんな時、その檻のカギを開けて、「弱音、吐いてもいいよ」って言ってくれたら。

どんなにうれしいでしょう。

 

「死にたい」=「生きたい」

「死にたい」。

それは、心からのSOSなのです。

「助けて!私はここにいる!でも、ここに居場所はない!」

そう、叫んでいるのです。

「死にたい」と叫ぶのは、本当は「生きたい」からだと思うのです。


本当に自殺してしまうときって、「死にたい」と言うことさえ出来ないのです。

本当に一瞬の出来事で。

地下鉄の電車が走ってくるところに、吸い込まれそうになったり。

交通量の多い道路を行きかう車の前に、ふっと吸い込まれそうになるんです。

マンションの階段から下を覗いて、あれがゴールか、と思ってしまうんです。

まるで、死神が背中を優しく押すかのように、ふっと体が浮くんです。


私は、実際に自殺したことはありませんが。

自殺未遂までは、行ったことがあります。

その時の感覚が、「死神が背中を優しく押す」なのです。

死にたい時には、死神は天使に見えます。

私の人生を終わらせてくれる、天使に。


私は、その死神の手を、何度も振り払いました。

だから今、ここに生きています。


身近な人が「死にたい」と言い出したら、ほとんどの人が動転してしまうことでしょう。

そして、一般的に「正当」とされている理由を持ち出して、改心させようとすることでしょう。

でも、それは、自殺衝動を強めるだけで、何の対策にもならないように思います。


一番いいのは、常に寄り添い、弱音を吐かせてあげること。

弱音を吐く自分を受け入れられない人に、弱音を吐いていい場所を作ってあげることだと思います。

勿論、実際に自殺に踏み切らないように、注意深く行動を観察することも必要です。

そして、「何も言わずに自殺してしまわないこと」を約束することも、大切です。


誰が、いつ、自殺したいと思ってもおかしくはないのです。

だからこそ、普段から接している人が、逃げ道としての役割を果たすことができるよう、準備をしておくことも、大切だと思います。


「死にたい」と言われた時。

どうか、動転せず冷静に、気持ちを受け止めてください(ただし、自分が壊れない範囲で)。

気持ちを、弱音を吐いた勇気を、否定しないでください。

辛い気持ちを、理解してください。

それだけで、いいんです。

否定されないだけで、心が軽くなるんです。

 

死にたいと言えた勇気

これは、自殺願望がある当事者にも伝えたいことです。

「死にたい」と言えた勇気。

それは一生懸命生きている証なのです。

 

ただし、実際に行動を起こしてしまうことは、勇気ではありません。

実際に行動を起こすエネルギーを、誰でもいいから、「死にたい」と伝えるエネルギーに変換してみませんか…?