kaleidoscope

自閉症スペクトラム障害、ADHD、うつ病を抱える如月の万華鏡のような頭の中を、書き連ねていきます。わわわアールブリュット作家。

龍笛

龍笛との出会い

大学を卒業した後は、習い事をすることもなく、フルートを吹くことからも遠ざかっていました。

ところが、7年前。

市の伝統文化・芸術の発展のための企画のなかに、「雅楽教室」の開催がありました。

雅楽」って、あの、神社などでよく耳にする音楽です。

 

私は、フルートを吹いているころから、和楽器に興味がありました。

その中でも、龍笛という、日本の横笛を吹いてみたいと思っていました。

また、漫画「陰陽師」に出てくる源博雅が笛の名手だということもあり、どうしても一度でいいから吹いてみたいと思っていました。

しかし、自分で習いに行くにも、どこへ行っていいのやら全く分からず、そのまま放っていました。

 

それが、半年間全10回、500円で教えてもらえるというのです。

これは絶好のチャンスです。

すぐさま、参加するために電話をかけました。

 

雅楽教室

そして、雅楽教室が始まりました。

その年で、2年めの開催でした。

私たち1年生は、30名ほど集まりました。

教室では、「篳篥(ひちりき)」「龍笛(りゅうてき)」「笙(しょう)」のうち、吹きたい楽器を一つ選びました。

私は、迷いなく龍笛を選択。

 

30人は、だいたい10人ずつ、三つの楽器に分かれました。

そして、それぞれ部屋にわかれ、練習が始まりました。

 

楽器は、5000円で貸し出してくれました。

大人サイズのプラ管(プラスチック製の管)と、子どもサイズの本管(竹制の管)がありましたが、手の小さい私は、子どもサイズの本管にすることにしました。

 

もともとフルートを吹いていた私は、すぐに音を出すことができました。

また、運指を教わった時に分かりましたが、運指もほとんどフルートと同じものでした。

これは、ラッキーでした。

そして、ここで私の耳コピ能力が発揮されました。

 

雅楽は、もともと口伝の音楽です。

今は一応、カタカナの羅列だけの楽譜がありますが、基本は先生から生徒へ、口で歌って覚え、先生が吹いたものを真似して吹いて、習得していくものです。

思った音がすぐに出せる。

音程も、かなり正確に出せる。

一度か二度聞けば、何とか曲になる。

そんな状態でしたので、私にとってはとても楽しい教室でした。

 

龍笛の2年生が全滅していたこともあり、2年生の授業の時間も、私は残って先生に教わっていました。

他の人がまだ吹いていない曲も、教わりました。

そして、最終的には、2年生の合奏にも参加。

飛び級していました(笑)

 

1年目の雅楽教室が終了したときに、最終的に残ったのは、5人でした。

 

そのあとの半年は、2年目が始まるまでお休みです。

雅楽を教えてくれていたのは、地元では唯一の雅楽会の先生方でした。

雅楽教室の生徒は、雅楽会の練習にも参加できるということだったので、わたしはその練習に参加することにしました。

 

先生方に、いろいろ丁寧に教えてもらいました。

 

雅楽教室の初級30人の内、本格的に習いたいと残ったのは、5~6人でした。

笙や篳篥には、2年生もいましたが、龍笛には2年生がいなかったので、私はずいぶん優遇されました(*^^)v

 

そして、その年、再び雅楽教室が開催されました。

私は、2年生になりました。

その時、龍笛で残っていたのは、私を含め2名。

もう一人は、雅楽経験者のおばさまでした。

笙も集まったのは、3年生を含め5名ほど。

篳篥も、3名ほどでした。

そして、2年生の中では、私が一番年下です。

後は、40代、50代60代くらいの人ばかりです。

私一人だけ、やたら年が離れいていました(笑)

やはり、根性がないと続かないようです。

ほとんどが雅楽会の練習に参加している人だったので、雅楽教室の練習も順調に進みました。

 

そして、そのメンバーが変わることはなく、無事に2年生も終了。

そして、雅楽会の定期演奏会に出演することになります。

雅楽教室のメンバーをメインにした出番が、用意されているのです。

 

その舞台で、私は、龍笛の主管(リーダー)に抜擢されました。

他の楽器の主管は、みんな雅楽教室3年生でした。

篳篥や笙の主管と違って、龍笛の主管は「音頭」という、曲の吹き出しの部分をしばらく一人で吹かなければなりません。

全くのソロです。

それでも、吹奏楽でも何度かソロをこなした私は、なんとか乗り切りました。

自分でも、しっかりホール内に響き渡る音で吹けたと思います。

久しぶりの舞台に、酔いしれました。

こればっかりは、舞台経験者でないとわからない快感です(笑)

 

その後も、雅楽会の練習に参加していました。

しかし、7月末ころから、体調がどんどん悪くなり。

8月からは、練習に行けなくなりました。

 

そして、今度は雅楽教室の3年生に進級しました。

二週間に一度、1時間程度の練習ならなんとか参加できました。

 

今度は、龍笛の2年生が全滅。

龍笛は、またしても2名でした。

他の楽器のメンバーも、変わらず。

練習は順調に進みました。

 

3年目は、雅楽教室が終わった後に、他の伝統芸能教室と合同の発表会がありました。

この舞台には、雅楽教室の1~3年生全員が乗ることになりました。

そこでも、私は主管を仰せつかりました。

 

そして、本番は無事終了しました。

私の体力も、何とか持ってくれました。

 

因みに、2年目の定演も、3年目の発表会も、楽服(袖の広い着物と袴)と烏帽子で出演しました。

この着物も着てみたかったんです(∩´∀`)∩

 

そして、その後は今も、雅楽会の練習には行けていません。

でも、できる限り、練習は続けています。

今年は7年生として、時々講師もしながら頑張って練習しました。


向いている

フルートよりも、龍笛が向いていたわけ。

それは、龍笛タンギングをする必要がないこと。

そして、フルートみたいなめちゃくちゃな連符がなく、早い指回しがないこと。

龍笛しかやってない人に言わせれば「早い指回し」という部分も、フルートを吹いてきた私には、全然問題のない早さです。

やはり、日本古来の楽器のほうが、私には向いているようです(笑