kaleidoscope

自閉症スペクトラム障害、ADHD、うつ病を抱える如月の万華鏡のような頭の中を、書き連ねていきます。わわわアールブリュット作家。

ピアノ

ピアノとの出会い

五歳から、私はピアノを習い始めました。
これは、私の中では一番の才能を開花させるきっかけだったと思います。
才能とは言っても、それで食べていけるほどのものではありませんが。

道教室の先生の娘さんが、音大に入学し。
自分の勉強のためにも、こどもにピアノを教えたいということで。
道教室の中でも、おとなしくて良く言うことを聞く私に、白羽の矢が立ちました。
道教室の先生に、「ピアノ、弾いてみる?」と聞かれて。
私は、やると即答しました。

家に帰って、私は母に「ピアノ、習う!」と報告しました。
母は、訳が分からなかったようですが、書道の先生から電話があり、事情をのみ込んだようです。
家にはピアノもないし、練習もちゃんとできるかわからないけれど、それでもいい、遊びでいいから習いに来てほしい、ということで。
破格の3000円というお月謝で、毎週土曜日にピアノを習うことになりました。
私が一番弟子でした。

 

ピアノのレッスン

最初は、先生が私でも分かる曲を、ピアノで弾いて見せてくれました。
そして、鍵盤を触って遊ばせてくれました。
子供用の五線譜ノートを使って、ドレミを楽譜で書いてくれて。
私が楽しんでドレミを覚えることができるように、ドレミシールを用意し、音符の下に貼っていくことで覚えました。
私が、ピアノってどうやって音出してるの?と聞いた時には、ピアノのふたを開けて、ピアノ線と、それを叩くハンマーの動きを見せてくれました。
何でも分解して中身を見たい私にとって、とてもいい先生でした。

毎日練習するようになって、親が電子ピアノを買ってくれました。
狭い団地の部屋に、何とか設置して。
毎日一曲につき5回練習する、という決まりを守って、毎日頑張りました。
五線譜ノートには、先生が手帳のように、何月何日と書いたマスをつくり、練習した日にはそこに印をつけるようにしてくれました。
最初はマルだけでしたが、私はそのうち、絵を描くようになりました。

そして、練習した曲がある程度弾けるようになって、合格になったときは、その曲の横にシールを貼らせてくれました。
こどものご褒美として、とてもいい方法だと思います。

そして、先生の伴奏で、童謡などの歌も歌いました。
先生がピアノを弾き、私がその横に後ろ向きに立って、今弾いた音が何の音か当てる練習もしました。
それは、和音の区別ができるまでになりました。
このおかげで、私は絶対音感を身につけました。
絶対音感は、4から6歳の間でないと身につかない、と言われています。
絶好のチャンスでした。

先生が弾いた曲を聞いて、五線譜に書き起こすことも習いました。
それは、メロディーも伴奏も聞き取って書き起こすまでに発展していきました。

最初は私一人しか生徒がいなかったので、時間の制限もなく、私の集中が続く限り、音で遊び続けました。
ときには、書道の先生がジュースを出してくれたこともあります。
本当に、遊びに行っているという感覚でした。

こうして、大学生のお姉さん先生は、私に音楽の基礎をすべて教えてくれました。
通常の音楽教室では、ここまで習うことはできません。
それにしても、よく大学生で、訳の分からん5歳児にピアノを教えたものだ、と今の自分と比べて感心します。

この時の先生の指導のおかげで、私は、難易度が高いと言われるショパンの「子犬のワルツ」を、小学校六年生で弾きこなしました。
この時は、引っ越しをして、家の裏にあるピアノ教室に移っていましたが、習っている中では私が一番レベルが高く。
その先生が、前に教えてもらっていた先生が、基礎をしっかり学ばせてくれていると感心していました。
だから、「六年生だけど、この子なら弾ける」と、発表会で子犬のワルツをあえて選んだそうです。

後から分かったことですが、私は、毎回先生が弾いてくれたお手本を覚えて帰り、楽譜をろくに見ず(本人はちゃんと見てるつもり)、再現して弾いていたようです。
吹奏楽で音源なしの初見演奏をしたときに気付きました(笑)

しかし、この音楽の基礎と、耳コピ(耳で聞いてコピーする)の能力のおかげで、その後吹奏楽部に入り打楽器・フルートを演奏し、現在の雅楽龍笛にまで発展します。

一番最初のピアノの先生には、感謝してもしきれません。