kaleidoscope

自閉症スペクトラム障害、ADHD、うつ病を抱える如月の万華鏡のような頭の中を、書き連ねていきます。わわわアールブリュット作家。

平穏へのヒント

写経

以前、何もすることがない、何をするのも面倒だったときに、般若心経の写経をしていました。

一応我が家は仏教・神道両方信仰している形ですが、だからといって、宗教にこだわりがあるわけでもなく、単に集中できることが欲しい、というだけで写経していました。


購入した本は、禅僧による解説付きで、解説がとても分かりやすいものでした。

そして、ボールペンで写経できるのも、よいところ。


毎日少しずつ、写経をするようにペース配分がされていて。

その日写す分の解説が、次のページに書かれています。

その解説が、私の心理状況を楽にしてくれるものばかりでした。

 

自分と周りの関係は、切っても切れないものであること。

世界は、それらとの「縁」で成り立っていること。

それを大切にすることが、重要であること。

心のエネルギーが尽きているとき、私の周りにもたくさんある「縁」のことを、忘れかけていました。

元職場の上司たち。

元職場のメンバー。

趣味の集まりの人たち。

これまでに出逢った多くの人たち。

その縁を、大切にすることを、忘れかけていました。

 

足るを知る

 

足るを知ること。

今ある環境に満足をすること。

但し、このままでいいというわけではありません。

今、必要なものがそろっていれば、高望みせず、それに満足すること。

今の自分にはこれで十分、と思う気持ちが、心に安定をもたらすということ。

私は、少し焦っていました。

収入がないと暮らしていけない。

確かに、それはそうかもしれないけれど、この今、やりくりが苦しいわけではありません。

何とか、親の援助と障害年金で生活しています。

苦しくなるのは、一人になった時。

それは、少なくとも数年先のことでしょう。(断言はできませんけどね)

だから、今は足りている、ということにまず満足をしよう、と思います。

 

感情と向き合う

辛いときは、辛い感情にしっかりと浸かること。

気が済むまで、辛いと思う気持ちに付き合うこと。

そのあと、自分にできることを考えればいい。

しんどい時は、しんどいことを否定せずに、しっかりと受け入れようと思います。

 

自分は自分

人は人、自分は自分。

それぞれが絶対的な存在であること。

人と比べるから、苦しみが生まれること。

確かに、私は健康な人と自分を比べて、苦しんでいました。

健康な人がうらやましいと思いました。

でも、それって私にとっては高望みであり、健康であることへの執着です。

健康でない自分を否定しない。

自己肯定をしっかりしよう、ということだと解釈します。

 

丁寧に生きる

一瞬一瞬を大切に生きていくこと。

毎日同じように見えて、こまかく見れば毎日は必ず違う。

人間の細胞だって、刻々と入れ替わっている。

自分の気持ちだって刻々と入れ替わり、苦しみに耐えるうちに、いろいろなことを学んでいるのだと思います。

 

畏れない

失うことを畏れない。

私は、職と健康を失いました。

でも、縁まで失われたわけではありません。

職と健康を失ったおかげで得た縁も、あります。

 

流転

この世のすべては実体のないもので、すべては流動的なものである。

人間の目ではとらえきれないくらい早いスピードで、すべての物は流れている。

全ての存在は無いに等しいのだから、それらにこだわっても仕方がない。

人間だれでも、死ねば無に帰すのです。

現世で大成功をおさめても、死んでしまえばなかったも同じ。


そう考えると、今苦しんでいることも、楽しいことも、すべては一時の感情であり、気にするほどの物でもないのだな、と思います。

気にするから、余計に苦しくなる。

 

流れに身を任せて

とにかく、何事にもこだわらない。

自分の心の安定のために必要なこだわりは、捨てる必要はないとは思いますが。

欲に関するこだわりは、生きる上での重しにしかならない、ということを、思い出させてくれました。

さすがに、悟りを開いた人の教えは、違いますね。

人生をいかに平穏に生きるか。

究極のテーマの答えは、平穏に生きることにさえこだわらない。

何物をも超越していく。


以上、私の独自の解釈も含まれていますが。

いつか訪れる「死」までの修行と思って、「無」の考え方を頭に置いて、生きられたらいいなと思います。