kaleidoscope

自閉症スペクトラム障害、ADHD、うつ病を抱える如月の万華鏡のような頭の中を、書き連ねていきます。わわわアールブリュット作家。

習字

はじめての習い事

一番最初に始めた習い事は、お習字でした。

幼稚園の年少さんでしたから、私は4歳でした。

幼馴染の男の子が習うことになったので、その子のお母さんが私にも声をかけてくれました。

私は、「オシュージ」がなにか良くわからないけれど、ひらがなが書けるようになったり読めるようになると聞いて、「行く」といいました。

 

もう一人の男の子も参加し、幼馴染3人で書道教室に通い始めました。

その書道教室は、こどもから大人まで通っていて。

一度に20人くらいが教室に入り。

あふれた子は、玄関で順番待ちをするくらい、人気がありました。

 

楽しかった

幼稚園児は、硬筆(鉛筆)の、「あいうえお」から習います。

毎週、母親の手作りの手習いカバンを持って通い。

次の行次の行と進んでいき。

最終的に、50音すべてを書ける・読めるようにしていきます。

 

知的好奇心がすごく強い私には、向いている習い事でした。

行くたびに、読める・書ける文字が増えていくのです。

50音をすべて終えると、今度は自分の名前を書けるように練習しました。

 

小学校1年生に上がる頃には、50音はすべて書けるようになっていました。

おかげで、小学校の授業はなんとも単調でつまらないくらいでした(笑)

落ちこぼれることもなく、ついていけました。

算数以外は…(苦笑)

 

一年生になると、今度は硬筆に加え、毛筆(筆で書く)も始まります。

小学校三年生になると、学校で毛筆の授業が始まります。

それまでに、習ってしまうのです。

重い書道カバンを持って、通いました。

学年の中でも1・2を争うくらい、身体が小さかった私には、書道カバンを持って通うこと自体、結構大変でした。

今の書道カバンはまだマシなようですが、昔はすごく重かった。

 

事件

ある日の帰り道で、カバンを当ててもいないのに、通りかかったおばさんに「カバンが当たった、謝れ、そんな重い物が当たったんだから、痛いのわかるでしょう?」と、いちゃもん(難癖)をつけられたことを憶えています。

私は、突然現れたおばさんにびっくりして固まっていました。

私自身、そのカバンを、歩いている間に、何度も足に打ち付けていましたが、痛いと思ったことはなかったので、「分かるでしょう?」と言われても困りました。

訳が分からなくて、黙ったまま謝らなかったと思います。

しつけがなっていないだのなんだの言われた気がしますが、私にとっては、そのおばさんの言うことのほうが意味が分かりませんでした。

 

習っていてよかった

私は、この後、引っ越してからも書道を続け。

万年筆も習い。

高校一年生まで習い続けました。

一緒に通いだした男の子たちは、1年生になってすぐ辞めてしまいました。

 

書道は、習っておいてよかったと思います。

なんだかんだで、人に見せるために文字を書く機会は多いです。

私も、普段は汚い字を書きます。

でも、いざというときにはきれいに書くことができる。

字がコンプレックスになるようなこともなく。

それだけでも、習った意味があったと思います。