kaleidoscope

自閉症スペクトラム障害、ADHD、うつ病を抱える如月の万華鏡のような頭の中を、書き連ねていきます。わわわアールブリュット作家。

承認欲求と自信

承認欲求

「承認」とは、他者から認められるということです。

自分で自分を認める「承認」もあります。

 

承認欲求とは、それら「認められること」を欲すること。

この欲求は、人間の誰にでもあるもので、それ自体が異常というわけではありません。

承認欲求があることにより、努力することができたり、向上心を持つことができるのです。

 

※ここから書くことは、あくまで私個人の考えです。

 人それぞれ、考え方は違います。一つの意見として、とらえていただければと思います。

 

しかし、承認欲求が強すぎると、自分や周囲の人を苦しめてしまうことがあります。

他人に認められたい欲が強すぎるために、否定されることを極度に恐れ、承認に関することに過度に敏感になる。

それによって、自分も、周囲の人をも振り回し、生きにくい思いをしているであろう人を、幾人か見てきました。

 

自分を認める

人に認められたい欲求が強すぎる人は、自分に自信がない人が多いように思います。

自分に自信がないから、人から認められることで、自分に自信を持とうとする。

その行為自体は、間違ってはいないと思います。

しかし、自信のない自分をそのままに、人に対して「認めて!」と言っても、認められるのは難しいのではないか、と思うのです。

 

ツイッターで流れてきた言葉があります。

「他人に好かれたければ、まずは自分で自分を好きになりましょう。自分が嫌いな人を、ほかの人に好きになってと言えますか?」

 

まったくもって、その通りだと思います。

自分が好きじゃない人を、自分の友達に「あの人のこと好きになってあげて」と言えますか?

むしろ、自分が嫌いな人を、友達にはお勧めしませんよね?

 

自信

そもそも、自信とは、「自分を信じる」と書きます。

自分で自分を信じることで、自分の能力や価値を見出すことができるのだと思います。

 

私は、自信とは他者から与えられるものではなく、自分の中から生み出すものだと思うのです。

ですから、自信がないから他者に認められようとするのではなく、他者に認められるために自信を持つことの方が、認められたい欲求を満たすには近道ではないかと思うのです。

 

自分をみつめる

かくいう私も、以前は自信なんてありませんでした。

しかし、発達障害であると診断され、自宅療養していく中で自分をゆっくりと見つめる時間を持ち。

自分で自分を信じることができるようになりました。

今では、「私自身のことは、私が一番よくわかっている。誰が何と言おうと、私は私を信じる」という結論に達しています。

 

その結論に達してから、物事が良い方向へ進んでいます。

他人から認められることで、自信を持とうとする受動的な行動よりも。

自分で自分を認めることで、自信を持とうとする能動的な行動の方が、はるかに他人に認めてもらえる確率が高いことを、実感しています。

 

まずは一歩

他人に認められたい欲求が強くて、つらい人たち。

もし、変わりたいと思うのであれば、まずは自分で自分を信じるところから始めてみてはいかがでしょうか?

 

もちろん、押し付けはしません。

先に他人に認められることを欲する生き方も、一つの選択肢です。

こういう考え方もできるよ、ということを知っていただければと思います。