人間関係における距離感
近すぎる人が苦手
今までに、いろんな人と出会ってきた中で感じたことです。
私は、私に近すぎる位置に立とうとする人が苦手なようです。
近すぎる位置に立とうとするというか、私の世界に踏み込んでくる人。
とてもイライラします。
例えば、私の日常生活に踏み込んできたり。
私のパーソナルスペースに踏み込んでくる人。
2種類の距離
日常生活に踏み込むというのは、例えば「毎日メールすることを約束させる」など、私の生活パターンが崩れてしまうような場合です。
パーソナルスペースに踏み込むというのは、物理的な意味(実際の体の位置の近さ)もありますが、精神的な意味もあります。
どういうことかというと。
物理的な意味での近さは、例えば隣あって座るときの距離のこと。
初対面だったり、あまりよく知らない人と座るときに、ぴったり密着して座る人って、いませんよね?
知らない人にぴったり密着されると、嫌悪感を感じる人が大多数だと思います。
精神的な近さとは、例えば、私の考えていることを、一つの意見として冷静に聞けない状態です。
「それは違う、こう考えるのが正しい!」と持論を押し付けてきたり。
「普通はこう考えるもんだ!」と、自分が正しいとする行動を相手に取らせようというタイプの人。
肉体的な近さも、精神的な近さも、相手への信頼度によって、嫌悪感を感じる距離が変わってきます。
相手に対して、信頼度が高ければ高いほど、「踏み込まれた」という感覚は薄くなります。
自分と他人は別の人格
私と、ほかの人は、別の人格です。
人格が違うのですから、価値観も、思考も違って当たりまえ。
なのに、その当たり前が理解できない人が、案外多いんですよね。
それで、「ほかの人も自分と同じように考えているはず」という思い込みから、自分の意見を押し付けてくる。
「自分と他人は同じであるはずだ、同じでなければならない」と思い込んでしまう。
それに対して、「そうですか。しかし、私とあなたは別の人間です。考え方が違うということですね。」と答えると、自分と他人をきちんと分離して認識することができていない人は、怒りだします。
自分の言うとおりに相手が行動しないからです。
以前、それでけんかになったことがあります。
異論を唱える私に対して「普通はそんな考え方はしない」と、攻撃をしてきました。
それで「私の世界に踏み込んだ」と認識した私は、その人と縁を切りました。
自分と他人をきちんと区別できている人は、相手のスペースに踏み込まないよう、気を付けていると思います。
もし「踏み込んでしまったかな」と思ったら、相手の反応に対してさらりと流し、それ以上踏み込まないようにすると思います。
自分は自分で、他人は他人。
当たり前のことなんですが、健常者と呼ばれる多数派さんでも、この区別がついていない人が案外いるのです。
距離を操る
逆に、パーソナルスペースに敏感すぎるほどに気を遣う人は、とても上手に距離を取っているように見受けられます。
相手に合わせて、自在に距離を操るのです。
私は自分の周りにバリアを張り巡らしているのですが、自他の区別がついている人は、上手にバリアを避けて、近寄れるとこまで近寄ってきます。
通常なら不快に感じる距離でも、まったく不快感がないので、不思議です。
そういう人と出会って、はじめて、「これはすごい!」と感じました。
そういう私自身、うっかり人のスペースに踏み込んでしまうことも、まだまだあります。
「しまった」と思ったら、すぐに距離を開けるようにしています。
自分と他人を、「別のものである」と区別すること。
これができないと、自分も苦しいし、相手も苦しめることになる。
ですから、自他の区別について、常に意識をしていきたいと思っています。