kaleidoscope

自閉症スペクトラム障害、ADHD、うつ病を抱える如月の万華鏡のような頭の中を、書き連ねていきます。わわわアールブリュット作家。

人間関係における距離感

近すぎる人が苦手

今までに、いろんな人と出会ってきた中で感じたことです。

私は、私に近すぎる位置に立とうとする人が苦手なようです。

近すぎる位置に立とうとするというか、私の世界に踏み込んでくる人。

とてもイライラします。

 

例えば、私の日常生活に踏み込んできたり。

私のパーソナルスペースに踏み込んでくる人。

 

 2種類の距離

日常生活に踏み込むというのは、例えば「毎日メールすることを約束させる」など、私の生活パターンが崩れてしまうような場合です。

パーソナルスペースに踏み込むというのは、物理的な意味(実際の体の位置の近さ)もありますが、精神的な意味もあります。

 

どういうことかというと。

物理的な意味での近さは、例えば隣あって座るときの距離のこと。

初対面だったり、あまりよく知らない人と座るときに、ぴったり密着して座る人って、いませんよね?

知らない人にぴったり密着されると、嫌悪感を感じる人が大多数だと思います。

 

精神的な近さとは、例えば、私の考えていることを、一つの意見として冷静に聞けない状態です。

「それは違う、こう考えるのが正しい!」と持論を押し付けてきたり。

「普通はこう考えるもんだ!」と、自分が正しいとする行動を相手に取らせようというタイプの人。

 

肉体的な近さも、精神的な近さも、相手への信頼度によって、嫌悪感を感じる距離が変わってきます。

相手に対して、信頼度が高ければ高いほど、「踏み込まれた」という感覚は薄くなります。

 

 自分と他人は別の人格

私と、ほかの人は、別の人格です。

人格が違うのですから、価値観も、思考も違って当たりまえ。

なのに、その当たり前が理解できない人が、案外多いんですよね。

それで、「ほかの人も自分と同じように考えているはず」という思い込みから、自分の意見を押し付けてくる。

「自分と他人は同じであるはずだ、同じでなければならない」と思い込んでしまう。

 

それに対して、「そうですか。しかし、私とあなたは別の人間です。考え方が違うということですね。」と答えると、自分と他人をきちんと分離して認識することができていない人は、怒りだします。

自分の言うとおりに相手が行動しないからです。

 

以前、それでけんかになったことがあります。

異論を唱える私に対して「普通はそんな考え方はしない」と、攻撃をしてきました。

それで「私の世界に踏み込んだ」と認識した私は、その人と縁を切りました。

 

自分と他人をきちんと区別できている人は、相手のスペースに踏み込まないよう、気を付けていると思います。

もし「踏み込んでしまったかな」と思ったら、相手の反応に対してさらりと流し、それ以上踏み込まないようにすると思います。

 

自分は自分で、他人は他人。

当たり前のことなんですが、健常者と呼ばれる多数派さんでも、この区別がついていない人が案外いるのです。

 

距離を操る

逆に、パーソナルスペースに敏感すぎるほどに気を遣う人は、とても上手に距離を取っているように見受けられます。

相手に合わせて、自在に距離を操るのです。

 

私は自分の周りにバリアを張り巡らしているのですが、自他の区別がついている人は、上手にバリアを避けて、近寄れるとこまで近寄ってきます。

通常なら不快に感じる距離でも、まったく不快感がないので、不思議です。

そういう人と出会って、はじめて、「これはすごい!」と感じました。

 

そういう私自身、うっかり人のスペースに踏み込んでしまうことも、まだまだあります。

「しまった」と思ったら、すぐに距離を開けるようにしています。

 

自分と他人を、「別のものである」と区別すること。

これができないと、自分も苦しいし、相手も苦しめることになる。

ですから、自他の区別について、常に意識をしていきたいと思っています。