kaleidoscope

自閉症スペクトラム障害、ADHD、うつ病を抱える如月の万華鏡のような頭の中を、書き連ねていきます。わわわアールブリュット作家。

自己肯定感について

自己肯定感が高い人・低い人

自己肯定感について、時々考えることがあります。 

同じ発達障害の人でも、自己肯定感が比較的高い人と、低い人とが存在します。

その違いは何なのかなって、不思議に思っているんです。

 

私は、どちらかというと、比較的自己肯定感が高い方だと思います。

大きくなる中で、たくさん自信を失うこともありました。

でも、「自分はだめだ」と思うことって、あまりないんです…。

 

もちろん、いつもいつも「私はできる!」と思っているわけではありません。

失敗したとき、トラブったとき、「やっぱりダメだ」と思うことも、当然あります。

でも、だからといって、そのままいじけてしまうことって、あまりないかな…と(;^ω^)

 

褒めてくれる・認めてくれる人がいた

小さいころから、人とは何かが違うと思っていて。

できないことも、たくさんあって。

悔しい思い、悲しい思いもしてきました。

理不尽に怒られたことも、数え切れません。

 

それでも。

私ができることをほめてくれる人がいた。

赤ちゃんのころに障害児かもしれないといわれた私を、愛してくれる両親がいた。

私を見守ってくれる人がいた。

 

少し大きくなって。

中学・高校時代は、自己肯定感が最低だったけれど。

大学生になって、似たような人と友達になって。

私の存在を認めてくれて。

今でも仲良くしてくれて。

 

私のそのままを認めてくれて。

いつも気にかけてくれる人がいて。

私の「できること」と「できないこと」を、きちんと把握して、わがままではないことを理解してくれる人がいて。

 

そんな環境があったからこそ、私は自己肯定感を極端に下げることなく、生活できているんじゃないかな…と思うんです。

 

心から信頼できる人がいるかどうか

いろいろ考えていて、結局、自己肯定感の高い低いを左右するのは、「この人は私を裏切らない。この人は私のことを理解してくれている」と、心から信頼できる人が、誰か一人でもいるかどうかではないのか、と思い至りました。

 

信頼できる相手は、家族でなくてもかまわない。

友達でも、上司でも、お医者さんでも、どんな立場の人でもいいのです。

 

これは、あくまで私の勝手な考えであり、そうではないという人もいると思います。

 

「自分を肯定する」ということは、結局は「自分を信頼する」ことであり、「自分の周りの世界を信頼する」ことでもあるのではないか、と考えています。

自分を信頼し、一人でも信頼できる人がいること。

それが、悲観的な思考を止めてくれるストッパーにもなるのではないかと。

 

誰が何と言おうと、自分が信頼する人が、自分のことを理解し認めてくれる。

それだけで、自分が存在する価値があるように思うのです。

自分が存在していてよいという、証にも思えるのです。

 

自己肯定感。

それを育てるのに、何が必要かは、人によって違うでしょう。

私にとっては、自己肯定感を支えるのは、「信頼できる人」でした。

信頼できる人、何かあったら必ず支えてくれる人の存在と言うのは、本当に大切なものだと感じています。