自己肯定感について
自己肯定感が高い人・低い人
自己肯定感について、時々考えることがあります。
同じ発達障害の人でも、自己肯定感が比較的高い人と、低い人とが存在します。
その違いは何なのかなって、不思議に思っているんです。
私は、どちらかというと、比較的自己肯定感が高い方だと思います。
大きくなる中で、たくさん自信を失うこともありました。
でも、「自分はだめだ」と思うことって、あまりないんです…。
もちろん、いつもいつも「私はできる!」と思っているわけではありません。
失敗したとき、トラブったとき、「やっぱりダメだ」と思うことも、当然あります。
でも、だからといって、そのままいじけてしまうことって、あまりないかな…と(;^ω^)
褒めてくれる・認めてくれる人がいた
小さいころから、人とは何かが違うと思っていて。
できないことも、たくさんあって。
悔しい思い、悲しい思いもしてきました。
理不尽に怒られたことも、数え切れません。
それでも。
私ができることをほめてくれる人がいた。
赤ちゃんのころに障害児かもしれないといわれた私を、愛してくれる両親がいた。
私を見守ってくれる人がいた。
少し大きくなって。
中学・高校時代は、自己肯定感が最低だったけれど。
大学生になって、似たような人と友達になって。
私の存在を認めてくれて。
今でも仲良くしてくれて。
私のそのままを認めてくれて。
いつも気にかけてくれる人がいて。
私の「できること」と「できないこと」を、きちんと把握して、わがままではないことを理解してくれる人がいて。
そんな環境があったからこそ、私は自己肯定感を極端に下げることなく、生活できているんじゃないかな…と思うんです。
心から信頼できる人がいるかどうか
いろいろ考えていて、結局、自己肯定感の高い低いを左右するのは、「この人は私を裏切らない。この人は私のことを理解してくれている」と、心から信頼できる人が、誰か一人でもいるかどうかではないのか、と思い至りました。
信頼できる相手は、家族でなくてもかまわない。
友達でも、上司でも、お医者さんでも、どんな立場の人でもいいのです。
これは、あくまで私の勝手な考えであり、そうではないという人もいると思います。
「自分を肯定する」ということは、結局は「自分を信頼する」ことであり、「自分の周りの世界を信頼する」ことでもあるのではないか、と考えています。
自分を信頼し、一人でも信頼できる人がいること。
それが、悲観的な思考を止めてくれるストッパーにもなるのではないかと。
誰が何と言おうと、自分が信頼する人が、自分のことを理解し認めてくれる。
それだけで、自分が存在する価値があるように思うのです。
自分が存在していてよいという、証にも思えるのです。
自己肯定感。
それを育てるのに、何が必要かは、人によって違うでしょう。
私にとっては、自己肯定感を支えるのは、「信頼できる人」でした。
信頼できる人、何かあったら必ず支えてくれる人の存在と言うのは、本当に大切なものだと感じています。