甘えている?
発達障害を抱えていたり、精神疾患を抱えていながらも、働いている人はたくさんいます。
みなさん、本当にすごいなと、尊敬しています。
しかし、その反面、そういう、すごく頑張っている人から見たら、私の今の生活は、「甘えている」と思われてしまうのかな…と思ってしまうことがあります。
医師からは、就労を止められています。
働く許可の診断書も、書いてもらえません。
障害者職業センターや、就労支援の人からも、働くことを止められています。
てんかん発作が抑えられないため、余計に就労の許可が出ないのです。
でも、そんな状況でも、働かなければ生きていけないからと、働いている人だっているわけで。
そういう人から見たら、私はのんびり気ままに生きていて、甘えているように見えるのかな…と考えてしまいます。
揺れる気持ち
もちろん、頭では、「もしそういうことを言われても、私は私なりに頑張って生きていると胸を張って言っていい」とは思っています。
誰かに「甘えだ!」って言われたときは、きちんと状況を説明し、言い返すこともあります。
発達障害や精神疾患、てんかんを抱えていても、頑張って働いている人からすれば、私の頑張りなんて、生ぬるいものでしょう。
環境だって、恵まれていることは確かです。
金銭的には豊かではありませんけれど…。
私は、発達障害といわれているけれど、実は単なる甘えなんじゃないか…とまでは、さすがに思いませんが。
働いていない事実は、甘えといわれても仕方ないよなぁ…とは思います。
無理をしないことと甘えの線引き
もう、どこからどこまでが「無理をしない」ことで、どこからが「甘え」になるのか、わからなくなってきました。
無理をしないことが、甘えに見えてしまうこともある。
自分ではこれ以上無理!っていうレベルは、人それぞれ違う。
だから、人から見れば「甘え」に見えてしまうこともある。
それはある程度は覚悟しなければならないことなのかな、と。
私なりの頑張り
でもね。
これだけは言えます。
私は、きちんと前を向いて、なめくじの歩みかもしれないけど、一歩ずつ前進しています。
これが、今の私にできる「頑張り」です。
誰かが私に「それは甘えだ!」って言っても。
「私は私なりのペースで生きているんです!甘えてるかどうかは、私の一面しか見ていないあなたが決めることではありません!」
と反論します。
甘えかどうか、人に決められることではないと思っています。
特に、私と一度も会ったことのない人に、言われる筋合いはないと思っています。
人に「そんなの甘えだ!」なんて、絶対に言いません。
苦しみは、人それぞれですから。
自分の苦労を、人に押し付けることは、しません。
人それぞれ、持って生まれた電池の大きさは違います。
頑張れる範囲だって、違います。
みんなそれぞれ、自分の今ある環境を受け入れ、ありがたい環境に身を置けているならそれに感謝して、生きていけばいいのかな、と思います。