kaleidoscope

自閉症スペクトラム障害、ADHD、うつ病を抱える如月の万華鏡のような頭の中を、書き連ねていきます。わわわアールブリュット作家。

障害か個性か

障害とは、個性か

「障害は個性だ」という言葉、ちらほら耳にします。

その言葉を聞くたびに、私は思います。


「障害って、本当に個性なの?」

障害って、個性と言い切れるんでしょうか?

逆に言うと個性は障害である…となりますが。

逆は必ずしも真ならず。

 


でも、現実ではそう簡単に割り切れるものではないと思うんです。

障害の程度や、障害の内容によっても、「個性」と言えるか「障害」となるのかは、変わってくるでしょう。

 

 私にとって

そこで、考えてみました。

私の中で、障害は個性かどうかを。


私には、

自閉症スペクトラム障害

ADHD

てんかん(もしくはほかの神経疾患)

うつ病

の4つの障害があります。


一つずつ、考えてみます。


自閉症スペクトラム障害

これは、結構特性に振り回され、二次障害まで発症しているので、私の中の感覚としては「障害」です。

言いたいことがうまく伝わらない。

言われていることの意味が分からない。

納得がいかないと行動できない。

多数派さんと感覚が違いすぎて、もう訳が分からない。

など…。


自閉症スペクトラム障害に関する特性は、私にとってマイナス面が大きいのです。

ですから、私は自閉症スペクトラム障害に関しては、「個性である」ということはできません。


ADHD

これに関しては、私は「個性」ととらえてもいいかな、と思います。

というのは、私のADHDはそこまでひどくはないからだと思います。

重度のADHDであれば、生活にかなりの困難を伴うので、それは「障害」ととらえることになると思います。

ただ、私の場合は重度ではなく、頭の多動が生み出すアイデアが、作品を成立させているため、「個性」ととらえられると思うのです。

ADHDは、今のところ、プラスの面もしっかりとあります。


てんかん(もしくはほかの神経疾患)

これはどう考えても、「個性」ではありません。

発作のたびに体力が削られる。

発作により、行動が制限される。

発作により、状態が悪化する。

マイナス面しかありません。

これはどう考えても、「個性」とは言えないでしょう。

ですから、私の中でてんかんは「障害」です。


うつ病

これも、「個性」ととらえるには非常に苦しい部分があります。

うつ病の苦しさは、何も生み出しません。

ただただ、苦しいだけです。

時には、命さえ投げ捨てたくなります。

それを「個性」と言えるか?

言えないでしょう…。

 

障害≠個性

こうして考えると、私一人の中にも、「障害だけど個性だ」と言える部分と、「障害はあくまで障害だ」という部分が混在しています。

ですから、障害=個性という式は成り立ちません。


障害を個性ととらえて前向きに生きることは、よいことです。

しかし、障害はあくまで障害であり、それを受け止めることも大事だと思うのです。

 

それと、もう一つ。

「障害は個性だ」と発言していいのは、当事者もしくは当事者のことをよく知る人だけだと、私は思っています。

それ以外の人が「障害は個性だ」というのは、違うと思うんです。

障害を実際に経験したからこそ、「障害は個性」と言えると思うからです。


障害の軽重、障害の内容によって、それを個性ととらえるか障害ととらえるかは、変わってきます。

また、本人の苦痛の強弱によっても、変わってきます。

ですから、安易に「障害は個性だ」ということに、私は違和感を覚えます。


本人が心から「私は障害を抱えているけれど、これは個性です」という場合は、賛同します。

しかし、たとえ同じ障害であったとしても、それが全員に当てはまるわけではない。
人それぞれ、「個性」ととらえるか「障害」ととらえるかは違う。

そう考えています。