同居する人たち
以前からちらほら記事にしていますが、私の中には、「私」というひとりの人格だけでなく、複数の人格が同居しています。
それは、いわゆる「多重人格」とは少し違うものです。
誰しも、幼いころはたくさんの考えを持つ、いろんなタイプの「自分」が、中に住んでいたはずです。
それが、成長するにつれ、「自分」という一つの人格に統合されていく。
私は、そう思います。
その名残が、よく言われる「天使の自分」と「悪魔の自分」なのではないかと思うのです。
「そんなことしたらダメ。いけないことだよ」とささやく、天使の自分。
「いいじゃんこれくらい。ちょっとくらいズルいことしたって、ばれないよ」とささやく、悪魔の自分。
思い当たる節、ありませんか?(笑)
でこぼこ
たいていの人は、自分の中のいくつかの人格が、それぞれ実年齢相応に成長し、統合されていく。
でも、私の場合、自分の中のいくつかの人格の年齢が、それぞれバラバラなのです。
2~3歳の、自分の感情や行動、衝動をコントロールする能力が低い、おチビちゃんの私もいれば。
社会に適応できるだけの能力を持った、大人の私もいる。
こだわりの強いわがままな私もいれば。
従順で、楽天的な私もいる。
それらの人格が、お互いに助け合って、私は日常生活や社会生活に適応しています。
例えば、おチビちゃんが、かんしゃくを起こして暴れているときは、大人の私があやし、なだめて落ち着かせようとします。
大人の私が元気な時は、おチビちゃんは上手に抑え込まれてしまいます。
しかし、大人の私が不調の時は、おチビちゃんのやりたい放題。
もう、めちゃくちゃにされてしまいます。
これは、もしかすると、発達障害の「能力の凸凹」に由来するものかもしれません。
能力の凸の部分が、大人の私。
能力の凹の部分が、おチビの私。
凸凹も、高さがそれぞれ違いますから、各年齢層の複数の私が存在することになります。
それぞれ、助け合って生きている感じです。
私の体が、一つのグループホームのようになっている、と言えばわかりやすいでしょうか。
住人同士協力させる
社会で働こうと思うと、一番年長の、大人の私が一人でみんなの面倒を見なければなりません。
それはまるで、幼児や小学生、中学生を連れて仕事をしているようなものです。
その負担は、とても重いものです。
だから、すぐに疲れてしまうのだと思っています。
「複数の人格」というと、どうしても解離性同一性障害と思われがちですが。
もう一度言いますが、そうではありません。
似て非なるもの。
私は専門家ではないので、詳しくはわかりません。
でも、私は違うものだと思っています。
私の中の、複数の人格。
それは、時々面倒でもあり、時々楽しいものでもあります。
私の中の、このメンバーをうまく連携させられるようになること。
それが、今の私の課題かもしれません。