kaleidoscope

自閉症スペクトラム障害、ADHD、うつ病を抱える如月の万華鏡のような頭の中を、書き連ねていきます。わわわアールブリュット作家。

「休む」ことを知らなかった

学校が嫌だった

中学生のころ。

私はイジメに遭い、学校に行きたくありませんでした。

その頃の話は、「発達障害 中学校」の項目に書いています。


学校で、クラスメイトとうまく関係を築くことができず、私はクラスで一人ぼっちになってしまいました。

今なら、一人だろうと気にしないけれど。

当時は、中学生。

友達がいないことは、ダメなことだと思い込んでいました。


また、一人でいると、担任の先生からも「友達は?誰か仲のいい子はいないの?」と心配され。

なんとなく、責められているように感じていました。

先生は、とてもいい先生で、私がクラスで浮いているのを心配してくれていたんでしょうけれど。

私にとっては、「どうして友達も作れないの!」と責められているようでした。


クラスメイトとの人間関係はいやで仕方なかったけれど。

勉強するのは、そんなにいやではありませんでした。

クラスには行きたくない。

でも、勉強はしたい。


今なら、そう訴えれば、対処してもらえるのかもしれません。

でも、当時はそんな風潮はなく。

私自身も、学校に行かないことは悪いことだと思っていたので、「いやだ、休みたい」とは言えませんでした。


休みたいといえなかったこともありますが、休むことで勉強が遅れてしまうのも嫌で。

私は、休むことなく、無理やり学校に通いました。


イジメがあったのは1年生のとき。

2年生でクラス替えがあり、イジメはなくなりました。

仲の良い友達もできました。

でも、学校に行くことには不安があり。

2回ほど、朝起きてから吐き気がひどく、学校を休みました。


母に学校に休む連絡をしてもらうと、その後は元気に。

母は仮病だと思ったようですが、しつこく聞きただすことはしませんでした。

それだけは、救いだったと思います。


不登校になりかけた2年生の1学期。

でも、仲の良い友達もでき、部活も充実していて、気づくと「学校に行きたくない」という思いは消えていました。

 

そして、無事に中学を卒業し、高校に進学。

友達は誰も同じ高校に進学しませんでした。

人間関係は、一からやり直し。

私はまたもや、人間関係がうまくいかず。

学校に行くのが、つらくてたまりませんでした。

 

休むことは悪いことだと思っていた

でも、私は1日も休みませんでした。

進学校だったこともあり、1日でも休むと、授業が分からなくなってしまいます。

毎日授業に出ていても、ちんぷんかんぷんだったのですから、休むなんて絶対ダメだと思い込んでしまいました。


どんなに調子が悪くても。

どんなに泣きそうでも。

必ず、毎日学校に行きました。

高校では、卒業時に皆勤賞をもらいましたが、うれしくもなんともありませんでした。

心はボロボロでしたから…。

 

当時の私に、「学校を休む」という勇気があったなら。

不登校」という行動に移すことができていたなら。

もっと早く、発達障害を見つけてもらっていたのではないか?

ここまで無理を重ねて、働けなくなることもなかったのではないか?

と、時々自分を責めてしまいます。


不登校がとてもつらいことだというのは、いろんな方のブログを拝見して、理解しているつもりです。

不登校という選択をすることができた当事者たちは、苦しみながらも、勇気のある決断をできたんだなって、思います。

 

立派な選択

私は、自分の経験から、思うんです。

不登校」って、立派な選択だよ、って。

無理して、自分を破壊してまで、学校に行く必要はないよって。


若い間は、体力があるから無理がきく。

その無理を重ねると、将来大人になってから、一気にガタがくる。


将来働けなくなるくらいなら、学生のうちに少しくらい、休んだっていいじゃない。

自分のキャパシティーをしっかり理解すればいいじゃない。

 

私は、弱かったから、「学校を休む」という選択ができなかった。

その結果が、現状です。

自分に合ったペースで、生きてこられていたなら。

もう少し違った現在があったのかな、なんて思ってしまいます。