kaleidoscope

自閉症スペクトラム障害、ADHD、うつ病を抱える如月の万華鏡のような頭の中を、書き連ねていきます。わわわアールブリュット作家。

障害告知に対する家族の反応

障害があることを親に伝える

大人になってから、発達障害であることが発覚した人にとって。

それを親にどう伝えるか?ということは、結構大きな問題だと思います。

親が「障害」という言葉に対して、拒否感が強い場合、なかなか説明しにくいようです。

私の周囲の話を聞いていると、そういったケースの方が多く見受けられます。

 

私の場合

母親は、割とすんなり受け入れたようです。

父親も、抵抗はありながらも、何となく飲みこんではいるようです。

消化不良を起こしているようですけれども(苦笑)

それは、おそらく私の生育環境や、家庭環境に要因があるのだと思います。

 

私は、生後半年頃、保健所の乳児検診で引っかかりました。

身体を突っ張って硬直させるので、「脳性まひの疑い」といわれたようです。

母子医療センターへ紹介され、そこで精密検査を受けています。

当時も現在も、重い病気や障害の診断・治療をする専門病院として、有名です。

 

そこでいろいろ検査を受けて。

脳性まひや、てんかんの疑いはなくなったものの、運動発達の遅れの診断が出ました。

そして、医師の勧めで療育に通うことになりました。

療育に通って、暫くすると歩けるようになったので、そこで療育は卒業しました。

 

生後半年~1歳半くらいまで、私は「障害児」と「健常児」の狭間にいました。

なので、親も必死だったようです。

 

そんな成育歴があるので、母親は、大人になった私が「発達障害」の診断を受けても、割とすんなり受け入れたようです。

妙なこだわりや、おかしな言葉遣い、変な行動、感覚の異常。

それらの謎が解けた、意味が分かるようになったことで、どちらかというと安心したようです。

勿論、発覚した当初は、戸惑いもあったでしょう。

しかし、取り乱すことはなく、今に至っています。

 

父親も、「発達障害」に関して理解はないものの、「人と違う」ということは何となく飲みこんだようです。

元々、父の母(私から見ると祖母)が、白内障網膜剥離の影響で、視覚障害者だったこともあり。

「障害」という言葉に対して、拒否感はありませんでした。

祖母は身体障害者手帳を持っていましたし、白杖も持っていました。

父の扶養者として、父親の税金の障害者控除も受けていました。

また、父方の親戚には、重度の心身障害者がおり。

父親は、その人が小さいころからのことを知っています。

だから、「障害」に関しては、そこまで拒否はしませんでした。

 

ただ、父親の場合、「精神障害」というところに引っかかったようです。

実際には、発達障害精神障害とは別物ですが。

現行制度では、精神障害に分類されてしまっています。

だから、「精神障害の手帳を取る」と言った時は、やはり拒否感があった模様。

 

それでも、手帳が必要かどうかは、私自身の問題ですので、取りましたけど。

父親のために手帳を取るんじゃないですからね。

 

私には弟もいますが、弟は私の障害を知りません(多分)。

言う必要もないと思っています。

元々、「変な奴」と思っているようですから、それで十分かと(笑)

「あいつは宇宙人やから仕方ない」とか言ってました。

弟も変なこだわりがあったりして、充分変なんですけどね(;^ω^)


ラッキーなケース

私の家族の、私の障害に対する受け入れは、こんな感じです。

私の場合、小さいころから「障害児かもしれない」と言われていたこともあり。

家族は割とすんなり受け入れたほうなんだろうと思います。

これは、非常にラッキーなケースなのでしょう。

 

欲を言うなら、療育を受けている時点で、自閉症スペクトラムであることが分かっていればよかったんですけど…。

当時はまだ、古典的自閉症でないと診断されないような時代ですから、しかたないですね。

 

我が家は、そんな感じです。