理屈っぽい?
昔から、理屈っぽい子だと、よく言われてきました。
今でもそう言われますし、自分でもそう思います。
とはいっても、ただ理屈っぽいのではなく、理屈で理解しないと納得しないのだ、と自分では思っています。
その考えに至った理由を分かってもらおうと、説明することが多かったこともその原因かもしれません。
屁理屈ってなんだ?
しかし、私の感覚は、周りとは違っていましたし、考え方も、周りとは違っていました。
そのため、私がどんなに理由を説明しても、「屁理屈を言うな!」と怒られるばかり。
私にとっては屁理屈ではなく、正当な理由があるにもかかわらず、そういわれてきました。
私の感じていること、考えていることが、周囲の人間には分からなかったのでしょう。
感じ方が違っていることに、気付いてもらえていなかったために、私の説明は、すべて否定されました。
挙句、「屁理屈」と言われてしまいました。
ものを考える道筋がちがう
私が物事を考える道筋は、多数派とは違っているようです。
そのため、考えたことを、考えた順番に人に伝えても、なかなか理解してもらえないのです。
思考に大きな飛躍があるためかもしれません。
多数派は、その飛躍についてこられないのかもしれません。
自閉っ子が何か問題行動を起こした時。
問題発言があった時。
その理由を尋ねても、多数派には理解のできないことかもしれません。
でも、自閉っ子には自閉っ子なりの、理由が存在します。
それは、多数派には思いもよらない理由かもしれません。
それでも、本人には筋の通った理屈なのです。
なので、屁理屈だとか、言い訳をするななんていう言葉で、片づけてしまわないでください。
屁理屈なんかじゃありません。
酷くまじめな、理屈なのです。
屁理屈を言うことができない種類の人間なのです。
非常に正直に、物事のいきさつを話しているだけなのです。
それぞれの理屈がある
多数派には多数派の、少数派には少数派の、それぞれの理屈があってもいいではありませんか。
多数派が必ずしも正しいわけではないのです。
ただ、多数派の考えを「正答」とすることで、世の中をまとめているに過ぎないのです。
その多数派の意見に合わないことを屁理屈だと言って、無視をしていては、人間も、社会も、高度になることはできないと思います。
大事なことなので、もう一度言います。
屁理屈ではありません、理屈です!!