kaleidoscope

自閉症スペクトラム障害、ADHD、うつ病を抱える如月の万華鏡のような頭の中を、書き連ねていきます。わわわアールブリュット作家。

「障害」って何だろう?

「障害」とはなにか?

世の中には、沢山の人がいます。

いろんな種類の人がいます。

肌の色が違ったり。

考え方が違ったり。

身体のどこかに不具合を抱えていたり。

障害を抱えていたり。

 

ふと思ったこと。

「障害」って、なんだろう?

 

障害には、身体障害、知的障害、精神障害発達障害、難病など、いろいろあります。

 

その中でも、身体障害は割とすぐに分かると思います。

特に、四肢の障害であれば、一見して障害を抱えていることが分かります。

視覚・聴覚障害も、ある程度どんな障害なのか、誰にでも分かりやすいでしょう。

 

知的障害は、軽度だと分かりにくいです。

重度だと、さすがにわかりますが…。

 

精神障害はもっとわかりにくいし、社会の理解もまだまだ乏しいです。

下手をすれば、「甘え」なんて言われます。

 

発達障害は、もっと理解が乏しくて。

「そんなものは存在しない」とか。

「親の育て方の問題だ」なんていう勘違いが、横行しています。

 

難病も、杖をついていたり、車いすに乗っていたりすればまだわかりやすいですが。

一見、元気そうに見える難病も、沢山ありますよね。



私も、自閉スペクトラムADHD、うつ、てんかん(もしくはほかの神経疾患)といった障害を抱えています。

私の場合、脳機能の障害で。

外からは、障害を抱えているようには見えません。

パッと見、どんな障害なのか、分かりにくい障害です。

 

会話が成り立たないほど重度の自閉症ではないので。

ちょっと会話しただけでは、「普通じゃないか」と思われてしまいます。

一生懸命、普通にふるまって生きているんですけど。

その努力は、多数派さんには伝わりません。

 

だれにとって?

「障害」って、「障り」と「害」と書きます。

「障害」を辞書で調べると、「さわり、さまたげ、邪魔」と出てきます。

 

うーん、誰にとって、障り・さまたげ・邪魔なんでしょう?

本人にとって?

社会にとって?

 

本来は、本人にとって、生きる上で妨げになるもの、という意味でしょう。

しかし、どうも昨今の雰囲気からは、社会の妨げという感覚も、否定できない気がします。

 

本人にとっての妨げって?

生きる上で、普通の人には出来ることが、出来ない。

あるいは、しにくい。

それが妨げでしょう。

 

少数派にとっては、社会の仕組みや、構造が妨げになっている場合も多いです。

一番よくわかるのは、車いすの人にとって、段差は「妨げ」になっている、ということですよね。

それは、ハード面での妨げなので、分かりやすいです。

 

私のように、自閉系の人間にとっては、社会の仕組みが妨げになる場合もあります。

しかし、それはソフト面での妨げなので、見て分かるようなものではありません。

多数派さんには、理解しがたい「妨げ」かもしれません。

しかし、それは歩道の段差よりも、もっと高い段差だったりします。

一人で乗り越えられないような段差です。

 

ハード面でのバリアフリーは、まだ完全ではないにしろ、ずいぶん進んできています。

しかし、ソフト面でのバリアフリーは、認識すらされておらず、進んでいません。


障害はマイナスか?

障害は、マイナスにとらえられることが多いです。

しかし、障害が武器になる場合もあります。

 

いい意味でも、悪い意味でも、障害は目立ちます。

人の目を引きます。

それを逆手に上手く利用している人も、います。

 

しかし、某2○時間テレビのように、お涙ちょうだい番組として、健常者のために利用されることもあります。

それが悪いとは言いません。

そうして、障害への理解が深まることもあるでしょう。

しかし、健常者の「安心」のために利用されるものであってはならないと思います。

(障害ポルノなんていう言葉もあるそうです。障害を抱えた人は可哀想。自分は健康でよかった。障害を抱えている人が、こんなに頑張っているんだ。自分も頑張ろう。そう思うための存在として、障害者をとらえる風潮を風刺した言葉です)



難問

色々考えてみたけれど。

結局、「障害」って、なんなんだ?

「障害」は「個性」ともいうけれど。

「個性」では割り切れない部分があるから、「障害」であるわけで。

堂々巡りになりそうな、難問です。