kaleidoscope

自閉症スペクトラム障害、ADHD、うつ病を抱える如月の万華鏡のような頭の中を、書き連ねていきます。わわわアールブリュット作家。

空気読めたら発達障害者してません!

空気を読めという暴言

ずいぶん前のことですが、ある人に入れました。

「状況を見たらわかるやろう。空気を読んで行動しろ」と。

その人には一応、私が発達障害であることを伝えています。

ごく簡単にですが、説明もしてありました。

理解を得たとは思っていませんでしたが…。

 

すごく頑張って。

体力も使い果たして。

精神力も使い果たして。

その上で、言われた言葉が、「空気を読め」でした。

 

愕然としました。

その場で崩れ落ちるくらい、ショックを受けました。

それでも、「人と話す時はにこやかに」の決まりを守って。

にこにことしながら「そうですね」と話を聞いていました。

 

その場では受け流したものの。

家に帰って。

すごく悲しくて。

ボロボロの身体を引きずって、頑張ったのに。

泣きました。

同じ発達障害の人に、話を聞いてもらいました。

その人は言いました。

「空気読めたら、(発達)障害者じゃない!(怒)」

 

そうです。

その通りです。

空気読めたら、発達障害者してません。

 

発達障害の特性で、空気が読めないんです。

空気が読めないから、発達障害なんです。

少し読めても、読み間違いをすることの方が多いです。

読み間違えたら読み間違えたで、また怒られる。

そうやって、二次障害を発症していきます。

 

空気はお吸い物です

「空気を読む」って、すごく恐ろしい行為です。

状況は、言葉ではっきり言ってもらわないと、分かりません。

 

例えは悪いかもしれませんが。

発達障害者に「空気を読め」と言うのは、足のない人に「立って走れ」と言うのと同じようなものです。

能力が備わっていないのに、その能力が必要なことを、強要しているのです。

 

それと同時に、「空気を読め」って、相手に甘えているように感じます。

自分は説明せず、相手に判断をゆだねる。

自分の説明責任を放棄し、相手に依存しているように、感じませんか?

相手が自分の意図したことと違う行為をしたとき。

「空気が読めない奴だな!」って言いますけど。

だったら、はっきり「○○してほしい」と、伝えるべきではありませんか?

 

人と自分は別の存在である

 

 

「空気を読む」ということは。

相手が、自分と同じ感覚を持っていることが前提になっています。

しかし、実際には、相手が必ずしも自分と同じ感覚を持っているとは限りません。

自分と相手は、別の存在で、思考回路だって全く別の独立した存在です。

そのことを、多数派さんは忘れていませんか?

 

異様な空気

日本人は、「空気を読む」ことに異常に敏感だと言われています。

はっきりものを伝えないことが、美徳とされてきたからです。

だから、日本では発達障害者の居場所がなくなる。

ちょっと空気が読めなかっただけで、煙たがられる。

確実に物事を遂行したければ、指示をはっきり出す必要があると思うのです。

それは、社会全体において言えることです。

 

無責任な言葉

また、「任せる」と言っておいて、文句をつける人。

「任せた」のなら、どのような結果が返ってきても、文句を言う筋合いはないと思うのです。

「任せる」って、便利な言葉です。

でも、非常に無責任な言葉とも成り得るのです。

相手に責任を押し付ける言葉でもあるのです。

 

面倒なのはどっち?

少数派から見れば、多数派はなんて訳の分からないことをしているんだろうと、不思議でなりません。

何でそんなまわりくどい方法を取る?

直接、言葉で伝えたら、齟齬も生じにくくなる。

なのに、わざわざ、意味を取り違えるかもしれない方法を取る。

 

面倒な存在なのは、少数派ではなく、多数派の方なんじゃないの?

って思ってしまいます。