フラッシュバックによるパニック
思い出しイライラ
フラッシュっバックでは、思い出し笑いならぬ、思い出しイライラが起こることがあります。
とても分かりやすい思い出しイライラがありました。
フラッシュバックのきっかけは、「夕焼けエッセイ」という、新聞の投書欄。
その日のエッセイは、不登校児の母親の書いたものでした。
そこから、どういう展開になったのかは覚えていませんが。
私が小学校1年生だったころのことを、思い出しました。
算数のテスト
小学校1年生の時、算数の文章問題のテストで、20点という酷い点数を取ってしまったことがあります。
それを見た母はびっくり仰天。
普段私は、「5+6=11」といった、通常の計算問題はきちんと解けていたからです。
なのにどうして、そんな酷い点数を取ったのか。
とにかく、叱られました。
そして、テストのやり直しを命じられました。
どこがどうわからないのか。
母は、つきっきりで教えてくれました。
「リンゴが3こ、みかんが5こあります。ぜんぶでいくつですか。」
そんな問題でした。
母は、問題を絵で書いてくれました。
リンゴが3つ。
みかんが5つ。
その絵を見た私は、すぐに正解することができました。
母は、私が答えるとすぐに、リンゴとみかんの絵を消しました。
そして、もう一度、文章を読んで解いてごらん、と言いました。
絵を消されたとたん、私は問題が解けなくなりました。
それを見ていた母は、私がふざけていると思ったのか、「どうしてさっきできたことが出来ないの!」と怒りました。
私は、訳が分からなくなって、泣きました。
文章を理解するということ
私は、「文章を読む」ことは出来ました。
ひらがなは読めましたから、書いてあることを読み上げることは出来ました。
しかし、その「内容」までは理解できていなかったのです。
文章に書かれていることが、どういうことなのか。
それが、リンゴとみかんの絵と、どうリンクするのか。
それが全く分かりませんでした。
その後も、すべての問題を解き終わるまで、かなりの時間がかかりました。
泣きながら、何とか最後まで解きました。
時間を経て理解した気持ち
そのことが、フラッシュバックしました。
フラッシュバックというより、タイムスリップと言った方が、表現は妥当かもしれませんが…。
そして、その時のイライラを、悔しい気持ちを、二十数年の時を経た今、母にぶつけてしまいました。
もちろん、母はそんなこと、いっさい覚えていません。
私が泣きながらテストのやり直しをしたことなんて、これっぽっちも覚えていません。
ときどき、自閉っ子のパニックの原因が、昔の些細な出来事にあることに驚く親御さんや、多数派さんの日記を見かけます。
親御さんや多数派さんにとっては、「そんなことで?」と思うような、些細なことかもしれません。
でも、当の本人にとっては、「とても重大な事件」なのです。
分かってもらえなかった、その時の気持ち。
悔しかった気持ち。
イライラした気持ち。
それが、今やっと消化され、感情として出てきているのです。
感情の消化には、何年もの時が必要かもしれません。
言語化できた時に、はじめてその理由が分かるのかもしれません。
寝に持っているわけではない
母に話した時、「根に持たんといてよ~」と言われました。
別に、根に持っているわけではないのです。
ただ、今やっと、それを伝えることができただけなのです。
そして、そういった些細に見える出来事の積み重ねが、自己肯定感の低下を引き起こしていることは、事実なのです。
フラッシュバックによるパニック。
私の場合は、こんな感じです。
多数派さんには、なかなか理解できないものかもしれません。
だからこそ、当事者側から発信していかなければならないことなのではないか、と考えています。