目が回らない?
くるくる回るのが好き
私は、その場でくるくる回ることが好きです。
そう言うと、「回って、目が回らないの?」と聞かれました。
そう聞かれて考えたことがあります。
目は回る
私の場合、ぐるぐる回り続けて、目が回らないわけではありません。
たとえば、棒におでこをつけて、下を向いてぐるぐる回り、走るとまっすぐ走れない、というゲームがありますよね。
あれをしたときは、目が回ります。
ついでに言うと、車酔いは酷いですし、ブランコで揺られているだけでも酔って気持ちが悪くなります。
ぐるぐる回るタイヤブランコで吐きそうになったことも、一度や二度ではありません。
なので、平衡感覚の機能が故障しているわけではない、と思います。
それを踏まえて、いろいろと考えてみました。
実験もして書いていますが、あくまで私の場合の話です。
くるくる回る自閉っ子がみな同じかどうかは、分かりません。
椅子でくるくる
まず、回転いすに座って、半回転ずつふらふらしている時。
その時は、絶対に目は回りません。
半回転しているときは、大抵一点を見つめています。
ダンスなどで、回転するときに一点を見つめて回り、目が回らないようにするのと同じことです。
顔だけを固定して、身体だけで回転しています。
ちょうど、ラジオ体操の、左右に体をひねる運動と同じ状態です。
回転いすで一回転するときは、視線は固定されていません。
流れる景色をそのまま見ています。
ただ、どこかを見ているのではなく、どこも見ていない状態です。
新幹線に乗って、窓の外を流れる景色を眺めているときに、防音壁が目に入りますよね?
その防音壁にピントを合わせて、一生懸命見ていると、目が回ってきます。
しかし、遠くの景色にピントが合っているときに、その防音壁が目に入っても、気分は悪くなりません。
それと同じ状況だと思われます。
また、回転することに気を取られていて、目からの情報が遮断されている状態であることも、理由としてあるかもしれません。
一つのことに集中すると、他の情報がお留守になる特性がありますので、ありえないことではないと思います。
立ってくるくる
立ったまま、自分の足で一回転する場合。
この時も、ぼんやりと定まらない視点で景色が流れるのを見ている感覚です。
回転いすで一回転するのと同じです。
ただ、時として、景色よりも手前に焦点が合っていることがあります。
要するに、「寄り目」の状態です。
そうすると、景色は目に入っていても見えていない状態ですから、目は回りません。
平衡感覚的には、めまいのような感覚はありますが、「目が回る」状態まではいかない、という感じです。
あとは、回転した後に何か目的がある場合には、目が回りません。
たとえば、誰かに呼ばれたけれど、どこから呼ばれたのか分からなくて回転した時など。
次にすることに気を取られているので、目が回っている感覚にまで気が回らない、という可能性があります。
スピード
また、回転のスピードも、時と場合によって違います。
くるっと勢いよく回ることもあれば、暇をもてあまして、何となく、ゆっくりくるりと一回転することもあります。
ゆっくり回っていれば、当然目が回ることはありません。
パノラマ写真を撮るように、少しずつ流れる景色を楽しみながら、視線は固定せずに回ります。
静止画を見ている?
私の場合、だいたいこんな感じです。
静止画を見ている、というのは半分は当たっています。
半回転しているときは、無意識にそうしていますから。
ただ、そうではなく、流れる景色をそのまま見ていることもあります。
目が回らない理由に、これが答えだ!というものはない、と考えます。
時と場合によって、いろいろな理由が考えられるのだろう、と思います。