独特の表現
表現がおかしいらしい
今まで、普通に話しているつもりなのに、表現がおかしいとか、独特だとか、言われることが多々ありました。
普通、一般的にしないような言葉の言い回しをしたり、擬音語を作り出したりしてしまうようなのです。
例えば
食べ物の食感を言った時に、「何それ、意味わからん」とか「おいしくなさそう」と言って笑われます。
一番多いのは、「むちむちする」かな~。
もちもちする、よりも少し柔らかい感じで。
弾力が少し強めのときの表現です。
ときどき、びっくりされます。
でも、私にとっては、それ以外の食感の表現がないのです。
それがぴったりだとおもうから、そう発言するのですが、なかなか伝わらないことも多い。
仲間たちの表現
最近、ツイッターやブログで、同じ発達障害の人とかかわることが多くなりました。
ありがたいことです。
私以外にも、いろんな苦労をしている人がいることが、分かった。
生きにくさを感じている人が結構いることも、分かった。
ネットの発達は、そういった出逢いの場としては、素晴らしいものです。
同じタイプの人たちの文章を見ていると、多数派とは違う文章を綴っていることが多いことに、気付きました。
何というか、どことなく「詩的」なのです。
短文で、言葉を綴るからかもしれません。
また、多数派とは少し違った意味で言葉を使っているようにも感じられます。
言葉のとらえ方が違うような気がするのです。
それは、多数派とは、見えているものが違うからかもしれません。
自分が見ている世界を、そのまま言葉として表現している。
でも、自分が見ている世界が、多数派とは少し違うから、言葉を紡いだ時に、言葉のとらえ方が違うように見えてしまうのかもしれません。
ちょっと変わった不思議な世界に住んでいることが、見かけ上、不思議な表現をするように見えるのかもしれません。
私が、何か発言するときに、「それ、どういうこと?」とか、「そう感じるんや~」とか言われるわけが、他の発達障害の方の文章を見ていて、何となくわかった気がします。
宮沢賢治
有名な作家、宮沢賢治も、実はASDだったのでは?という人もいます。
水に浮かべた船の上で、リンゴを水面に出し入れして、水と戯れていたそうなのです。
それをふまえて考えると、確かに、賢治も不思議な表現を多用しています。
「クラムボンは かぷかぷ笑ったよ」
意味が分かりませんよね(笑)
でも、きっと、賢治にとっては、それが一番しっくりくる表現だったのでしょう。
文学的
見えているものが違うからこその、独特の表現。
文学的でさえあると思うのです。
言葉を操れるASD者の綴る文章を見比べてみるのも、なかなか面白いものだなぁ、と思う次第です。