想像力の欠如は本当か
想像力は欠如していないのでは?
自閉症スペクトラムの特性として、想像力の欠如というものがよく取り上げられます。
これについて、ちょっと思うところがあるので一言。
私個人の感覚からいえば、「想像力の欠如」というのは、多数派の勝手なイメージではないか、と思うのです。
自閉系の人間は、想像力が弱いので、これから先に何が起こるか、予測がつけられないから、パニックになる。
そういう風に解説されることも、ままあります。
それって本当?
本当にそう思う?
私は、違うと思います。
危険回避のための能力
私の場合、これから先何が起こるか分からないから、ありとあらゆる場面を想定し、危険を回避します。
要するに、出来る限りの危険予測をして、安全側を取るわけです。
その状態は、周りから見ると、「杞憂」であり、ありえないだろうということにまで不安を抱き恐れている、ととらえられるかもしれません。
でも、それが不安を解消するための手段なのです。
不安を抱くことで不安を解消する。
それが、多数派には分かりにくいのかもしれません。
何が起こるかわからない、と不安に思っていれば、突然の出来事が起きても、「ほら!不安が的中したじゃないか!」と思うだけで済みます。
不安に思っていなければ、その場でパニックになります。
まさか爆破されると思っていない地下鉄が、爆破された時を考えてみてください。
普段から、「もしかしたら爆破されるかもしれない」と思っていれば、「杞憂かもしれなかったけど、当たった!」となります。
その時取るべき行動をシミュレーションしていれば、適切な行動をとることができます。
普段何も考えていなかったら、ただただパニックに陥るだけです。
いかがでしょうか?
そう考えると、不安に思うことで、逆に見通しを立てている、という見方もできると思います。
この状態が、想像力の欠如だと言えるでしょうか?
想像力の暴走
自閉っ子は、スケジュールが好きだと言われます。
私も、例にもれずそうです。
その理由は、流れがはっきりするからだと、言われています。
想像力の欠如により、何が起きるかわからないことが不安なのだと、解説されます。
結果として、スケジュールがあると安心するのは、確かです。
でもそれは、想像力の欠如が原因というより、想像力がありすぎることが原因ではないかと、私は思うのです。
想像力がありすぎて、沢山のパターンのイメージをしてしまう。
特に、悪いパターンをイメージしてしまう。
それが、スケジュールとして示してもらうことで、イメージを絞り込むことができる。
沢山のパターンのイメージによる、情報の洪水が起きていて、パニックを起こすとしたら?
対処法も、変わってくるかもしれません。
多数派の方が…
もう一つ。
想像力が欠如しているのは、多数派のほうではないのか、ということ。
何とか社会適応している自閉系の人間は、多数派がどういうときに、どういう行動をするのか、観察しています。
相手が言いたいことが分からないとき、必死に相手の言い分を想像します。
でも、多数派は少数派の人間を指さして、「何が言いたいのか分からない。変な奴。」と言います。
少数派は必死に想像するのですが、感覚の違いのために、想像する方向がずれてしまいます。
要するに、多数派の「想像」のベクトルと、少数派の「想像」のベクトルの向きが違う、ということです。
たったそれだけなのに、「想像力がない」と決めてしまっていいのでしょうか?
空想遊び
空想の世界で遊ぶことが好きな自閉っ子も、沢山います。
「想像力の欠如」と言ってしまうと、それとは、現象として相反することになってしまいます。
「想像力がありすぎる」と説明した方が、しっくりくると思うのです。
想像力を働かせて
一言と言いつつ、何言も書いてしまいました。
あくまで私個人の感覚・考えではありますが、もしかしたら本当のところは、今言われている一般論とは逆かもしれない、と考えていくことも、相互理解のためには必要なのではないでしょうか。