言語化って難しい
気持ちを言葉にするということ
私は、自分の気持ちを言葉にするのが苦手なようです。
そもそも、物事を考える時には、映像で考えます。
だから、自分の考えをまとめ、言葉として表現するには、文字として起こす必要があります。
まず、思いついたことを、紙にでも、パソコンにでも、書きます。
そして、それをもとに、ばらばらの言葉をつなぎ合わせて、一つの文章として、完成させます。
ばらばらの言葉=ばらばらの感情、です。
こうして私は、自分が感じていることをまとめていきます。
そうして、目からの情報として、もう一度頭の中にフィードバックします。
そこでやっと、自分が今どんなことを感じているのか、或いはその時どう感じていたのか、を理解します。
恐怖
恐怖の感情は、その場でわかります。
これはおそらく、一番基礎的な、動物的な感覚だからだと思います。
全ての感情は、恐怖から派生したものだと思います。
恐怖以外の感情
恐怖以外の感情は、その場では分かりにくいように思います。
だから、その場では自分がどう感じているのか、よくわからないのです。
あとからその場面を思い出して、「あぁ、なんか落ち着かなかったのは、こういうことか。」とか、「あぁ、きっとこういう感情を持っていたのだな」と理解するのです。
楽しいという感情も、その場ではあまり感じません。
それより、その時のことを思い出して楽しむことの方が多いかもしれません。
イライラしているときも、イライラしていることは分かりますが、一体何が気に入らなかったのか、ということは、後からいろいろ考えて、やっと思いつくこともしばしばです。
自分の気持ちがわからない
後から自分で、ばらばらになっている感覚を整理しても、自分が一体どう感じているのか分からないときもあります。
そういう時は、病院の先生が、言語化してくれます。
私は毎日の様子を、簡単な日記のようにして、先生に提出します。
そこに書いてある、私の内的感覚のことなどを読んで、先生が「これはこういうことだ」と解釈して、教えてくれます。
たとえば。
私が、「体の輪郭の線が、ぼわわん!ってぶれたみたいになる」と書いてあれば。
「それは、頭はどんどん行動していきたいのに、身体がついてきていないってことだと思う。」
というように、解説をしてくれます。
自分の内なる感覚として、奇妙な現象としてとらえることはできても、それがどんな感情を表しているのか、ということは分からないのです。
疲れたとか、喉が渇いたとかいう感覚が鈍いのも、そのせいかもしれません。
今の自分の状態が、把握しにくいのです。
逆に言えば、そのおかげであまり暴走したりすることもないのかもしれません。
感情がないような状態なのですから、積極的に何かしたいという感覚も、あまりありません。
そのかわり、暴走しだしたらもう止まりませんけど(笑)
どうしてもやりたいことには、まっしぐらで。
そんな感じで、どうも自分の感覚を、口で伝えるのが苦手なようです。
ゆっくり整理して、考えれば理解はできます。
どう思う?は鬼門
だから、その場で「○○について、どう思う?」と聞かれても、困ります。
そしてそれは、病院でも同じです。
どう思う?と聞かれても、ゆっくり考えなければわかりません。
そもそも、「どう」が何を指しているのか、分かりません。
答えを四択ぐらいに絞ってください!といいたくなります(笑)
言語化は難しい
言語化って、難しい。
文章にすると、ちゃんと言えるのになぁ。
もうみんな、頭の上に吹き出しつけて、そこに文字を表示してしゃべるようにすればいいんじゃないかな。