kaleidoscope

自閉症スペクトラム障害、ADHD、うつ病を抱える如月の万華鏡のような頭の中を、書き連ねていきます。わわわアールブリュット作家。

会話が苦手

会話って難しい

 

私は、会話があまり得意ではありません。

自閉症スペクトラムは、コミュニケーションに障害があるのですから、当然と言えば当然です。

会話の何が得意ではないのか。

分析してみたいと思います。

 

但、これはあくまで私の場合、です。


一対一ならなんとか

 

まず、私は一対一が一番落ち着きます。

一対一なら、相手の話だけを聞いていればいいからです。

相手の表情やしぐさだけを、見ていればいいからです。

 

それが、一対二になるとどうでしょう。

話は一人ずつします。

でも、声は二種類になります。

その二種類の声を、今はどちらが発言しているのか、聞き分けなければなりません。

そして、それぞれの話し方の特徴や表情、しぐさから、相手が自分の言ったことを、どう受け取ったのか判断しなければなりません。

読み取る量は、2倍になりました。

少し、難易度が上がってきました。

 

一対三になると、どうでしょう。

声は三種類になりました。

一人が話しているときに、残りの二人が何らかのリアクションを取ります。

話している人の話を聞きながら、残りの二人の様子をうかがわなければなりません。

読み取る量は、3倍以上になります。

私も、時々発言を求められるかもしれません。

きちんと聞いていなければなりません。

このあたりが、一番負担になります。

 

一対四以上になると、どうでしょう。

もうこうなったら、多数派が勝手にしゃべって、話が進んでいくでしょう。

私がコミュニケーションを放棄しても、グループの会話は成立していきます。

私は黙って適当に聞いていればいいのです。

こうなってしまえば、もう一人でいるのも同然です。

私の存在は、幽霊です。

 

といったところでしょうか。

要するに、読み取らなければならない情報量が多くなると、困る。

情報を読み取らなければ!と思って、ストレスがかかる。

そんな感じなのかな。


目を見て話すということ

 

話をしているときは、目を合わせられません。

決して、嫌だから目を合わさないのではありません。

どちらかというと、どうでもいい人のほうが、まだ目を合わせられます。

 

話しているときに目を合わせると、なんだかその「目」が何かを言っている気がして、威圧的に感じてしまうのです。

動物なんかは、目をじっと見てはいけない、それは敵対していると受け取られるから、などといいますが。

それに近い状態かもしれません。

とにかく、敵意ほどではないにしろ、なにかしらの威圧感は感じます。

 

そして、目を合わせてしまうと、それに集中してしまい、相手の言っていることも、自分の言っていることも聞き取れなくなります。

自分が話していることが何であるかさえ、分からなくなってしまうのです。

言いたいことが、言葉にならなくなってしまいます。

 

二つのことを同時にできない、という特性とも関連していると思います。


聞き取り

 

発言の最初が、ききとれないことがよくあります。

良く知っている人なら、大概は大丈夫です。

もし聞き取れなくても、推測することもできます。

しかし、聞きなれない声だと、その声を声だと認識するところから始まります。

まず、この人の声なのだ、というインプットをしなければならないのです。

だから、突然話されると、「○△×なんですけど~、」というように、初めの部分が聞き取れません。

声をインプットするのに時間がかかると、何度も聞き直してしまうので、失礼な奴だと思われてしまいます。

 

突然話し出されて、びっくりして固まってしまうことも、よくあります。

まさか、話しかけてくると思っていませんから、突然雷が目の前に落ちたようなショックを受けます。

ちょっと大げさな表現ですけど、そのくらいに思ってもらってちょうどいいと思います。


必要な音だけを聞き取るということ

 

周りがざわついていると、それがノイズのように、相手の言葉の上にかぶってきます。

「あの~、ここ【ざわざわ】なんですけど、どう【ざわざわざわざわ】ですか?」という風に、聞こえます。

相手が、地図を持っていれば、どこかへ行きたいのだと、分かるでしょう。

プリントなどを持っていれば、内容について聞いているのかもしれません。

そうして、推測します。

でも、相手が何もヒントを持っていなかったら?

何度も、聞き返すしかありません。

人間の声と、ざわざわという背景の音が、混ざってしまいます。

電波の悪いラジオみたいな感じですね。



大体、こんなところでしょうか。

これが正しい分析かどうかは、分かりません。

私にとっては、会話はこういうものです。