kaleidoscope

自閉症スペクトラム障害、ADHD、うつ病を抱える如月の万華鏡のような頭の中を、書き連ねていきます。わわわアールブリュット作家。

記憶力

記憶力が良い

 

発達障害(特に自閉症スペクトラム)では、記憶力が異常にいいということが、よく取り上げられます。

私も、記憶力はかなりいいです。

たとえば。

発達障害・乳幼児期」のテーマにもあるように、一番古い記憶が、1歳半です。

映像のない、感覚だけの記憶だったら、もっと古い記憶もあります。

ずっと、みんなそんなものだと思っていました。

ところが、違うみたいですね。

 

カメラ・アイ

 

学校の教科書は写真のように画像で覚えていました。

「あのページの、この行に書いてあった」というふうに思い出すのです。

だから、記憶力が必要な教科は、点数がよかったです。

私が通っていた高校の大先輩、南方熊楠(世界的に有名な博物学者)も、高機能自閉症だったのでは、と言われています。

夏目漱石など、少し変わった有名人と仲が良かったそうです。

因みに、その高校は旧制中学で、現在でも公立では県内トップの進学校です。

 

南方熊楠の逸話として、こんな話があります。

幼少時に貧乏で、百科事典を買うことができず、よその家で百科事典を読ませてもらい、それを覚えて帰って、一言一句間違えることなく、書き写したそうです。

凄い記憶力です。

彼も、写真のように記憶していたのだと思います。

 

写真や動画形式での記憶は、容量が大きいため、沢山のことを一気に覚えられます。

そのかわり、データ量が膨大なため、脳に負担がかかります。

これだけ言うと、すごく便利だと思われるかもしれません。

でも、記憶したことを、忘れることができないのです。

 

記憶力とタイムスリップ

 

 

楽しかったこと、いいイメージのことを覚えているのは、構いません。

たまに、そのシーンを思い出して、その場面にタイムスリップして、楽しむこともあります。

逆に、嫌なシーンもリアルに再現されてしまうのです。

まるで、その場に立っているように。

映像だけでなく、感情や感覚まで、そっくりそのまま再現されます。

現在はどこかに行ってしまい。

過去が現在になる。

そんな、時間軸のねじれが起こります。

本当に、タイプスリップです。

 

キーワードになる言葉を聞いたとたん、その映像の再生が始まります。

感覚としては、「白昼夢」に近い感じでしょうか。

目はあいていますし、行動しているときもあります。

それでも、周りの景色は見えていませんし、音も聞こえていません。

ずっと、脳内で再生されている映像が見えています。

声をかけられて、我に返ることもあります。

周りから見ると、ぼんやりしているようにしか見えないと思います。

でも、私は「過去」という映画を見ているのです。

 

私はこれを、「記憶魔、発動」と呼んでいます。

 

そして、嫌な場面だと、それを振り払おうとして、頭を振ったり、身体を叩いたりすることもあります。

無意識の行動ですが、こうすると、現実世界に戻ってこられるのです。

ただし、人前ではしません。

自閉っ子は頭を振るとか言われますが、それは、私の場合、嫌な映像を振り払うための行動です。

刺激がないと、映像が止まらないからです。

刺激が、スイッチになっているのです。



恥ずかしい思いをしたこと。

みんなに笑われたこと。

イジメにあったこと。

そんな忘れてしまいたいことも、忘れることができません。

何度も、同じ場面を経験することになるのです。

それで、機嫌が悪かったり、パニックを起こしたりすることもあります。

周りから見ると、なぜ突然パニックを起こしたのか、分からないでしょう。

 

情報の便秘

 

ニキ・リンコさんは、「自閉は情報の便秘」と表現しました。

的を射た言葉だと思います。

 

病院でも、先生に、「記憶力がいいんだよね。嫌なことも、思い出すんだよね。忘れたいことも、忘れられないんだよね。」と言われました。

そして、「記憶のしくみ」も教えてくれました。

 


私は、ずっと画像での記憶の中で生きてきました。

これは、少数派だそうです。

多数派は、いったいどんな風に、物事を記憶しているんでしょうか。

そして、どうやって、いらない記憶を消しているのでしょうか。

 

多数派が、嫌なことも乗り越えて生きていけるのは、嫌な記憶を消してしまうことができるからなんでしょうか。

「そんなことは忘れてしまえ」とか、「時間が解決する」とか言いますが、それはそんなに簡単なことなんでしょうか。

 

少なくとも、私にとってはとても難しいことです。

沢山の記憶を溜めこむより、沢山の知識を溜めこむより、それを捨てることの方が難しいのです。

みんなが自動的にしている、情報の整理と廃棄は、私は手動で行ってもできません。

どんどん、新しい情報はDVDになって、図書館の、或いはツ○ヤのように、棚に並べられていきます。

そして、キーワードに引っかかったものが、勝手に再生されます。

 

だから、否定的な言葉は使わないでほしいのです。

誰だって、楽しい思い出が沢山のほうが、楽しく生きられるのです。

否定された体験が、否定的な言葉によって再生され。

その記憶に、私は痛めつけられるのです。

 

マニュアル化

 

私は、記憶力がいいので、沢山のことをマニュアル化して生きています。

前にも同じようなシーンを経験した。

だから、今回もあの時の方法で対応しよう。

一瞬で、そんな風に頭の中の情報を検索し、人と話したり物事に対応したりしています。

だから、とても頭が疲れます。

そして、マニュアル化されていないことに対して、パニックになって固まってしまうこともあります。

それを乗り切って、またその事態をマニュアルとして、ファイリングしていくのです。

 

私にとって、生きるって、マニュアルを作り続けることと同じです。

この先も、ずーっとそうやって、人とうまくやっていけるように努力していくのです。

それは、多数派が「成長」の中で自動的に獲得するものらしいのです。

私は、手動で「成長」しなければならないようです。



これが、私の「記憶力」です。